成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

柳父章と時枝誠記

2011年7月31日

昨日(2011.7.30)、対照言語行動学研究会の研究会に初めて参加した。テーマは「異文化コミュニケーションとしての翻訳」。3名のパネリストが文学、実務翻訳、翻訳論という立場から翻訳という営みを考察し、その後、ディスカッションという形式だった。研究会のあとには研究者同士の懇親会もあり、非常に有意義な研究会だった。

今回の研究会では大きな収穫がもう2つあった。ひとつは、あこがれの柳父章さんにお目にかかれたことである。柳父さんは翻訳研究者のあいだでは知らぬもののない翻訳論の大家中の大家だ。もちろん私も柳父翻訳論の信奉者のひとり。翻訳をはじめた頃から柳父さんの著書を読み続けており、いまでも私の本棚の真ん中に柳父さんの本がずらりと並んでいる。その柳父さんとお会いでき、さらにはお話までさせていただいたのである。例えれば、野球大好きおじさんが、突然長嶋茂雄に出会って話をしたというところだ。サインをもらおうかとも思ったが、さすがにそこまではしなかった。

もうひとつの大きな収穫が、研究会幹事の氏家洋子さんに出会えたことである。懇親会でお話しをさせていただくと、氏家さんは、なんと時枝誠記の最後のお弟子さんというではないか。時枝誠記の『国語学原論』は、柳父章の『翻訳の論理』とともに、私の翻訳研究にとって最も大切な本である。この2つの本に出会えたからこそ、ここまで翻訳の研究を続けてくることができたのだと思っている。

『国語学原論』と『翻訳の論理』という2つの本の共通点は、いずれも完全にオリジナルなものということである。自分の頭で考え、自分の論としてまとめていくという学問として当たり前の姿勢が、そこでは妥協することなく貫かれている。『国語学原論』の最初の数十ページを読んだとき、いつかこういう本が自分でも書けるようになりたいと心底思ったものだ。いまでもそう思っている。

時枝誠記のお弟子さんである氏家さんは、とてもチャーミングな方だった。少しお話をさせていただいただけで、その人柄の良さに引き寄せられるのがわかった。私の『国語学原論』に対する浅薄なコメントも熱心に聞いていただいた。『国語学原論』についてこんなに「熱く」語ったのは生まれてはじめてである。それだけで長年心のなかにあった何かが溶けていくような気がした。

これを契機に、もういちど柳父章と時枝誠記の著書をしっかりと読み返し、そこから新しい何かを紡ぎ出していく努力をしていきたい。才能のない自分だが、自分の頭で考えて自分なりにまとめていくという姿勢だけは、決して失いたくない。それを失うことは自分を失うことだと思っている。

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