成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

日本人による日本人のための英語教育法を目指して

2010年11月3日

私が英語を本格的に勉強しはじめたのは20歳をすぎてからのことです。それまで英語にはほとんど興味がありませんでしたが、あることがきっかけで英語をマスターしたいと強く思うようになりました。そこで独学で英語の学習をはじめたのですが、これが想像以上にたいへんでした。

そのなかでも一番フラストレーションがたまったのは、発音とリーディングでした。いずれも高校までの英語の学習で悪いクセがついてしまっていて、それが本当の英語をマスターするうえで大きな障害となっていたからです。

発音については、高校までに身につけてしまったカタカナ発音がどうしても抜けずにたいへんに苦労しました。英語の音声教材を聴いても英語のテキストを読んでも、すべてを自分の頭のなかでカタカナにすぐに変換してしまうのです。こうしたカタカナ発音にブロックされて、本当の英語の音が自分のなかに入ってきません。なぜ学校で最初から正しい英語発音で英語を教えてくれなかったのかと、ずいぶんと憤慨したものです。

リーディングについても、高校までに英文和訳による返り読みのクセが完全についてしまっていました。たとえば関係代名詞節をみるとすぐにひっくり返して日本語に訳してしまうのです。これでは英語を英語として読むことができません。英語ネイティブ並みのリーディングスピードなど到底達成できるはずもありません。

そうした事情もあって、英語の学習を本格的にはじめてからの数年間は、苦悩の連続でした。なぜこんなことをはじめてしまったんだろう、これでは英語を本当の意味でマスターすることなどできるはずがない、もうやめようか、と何度も思ったものです。けれでも、ほかに熱中できることもなかったので、カタカナ発音と英文和訳という悪いクセをひとつずつ消しながら、英語学習を少しずつ進めていきました。曲がりなりにも英語を英語として発音し、英語を英語として理解できるようになったと感じたのは、30代になってからのことでした。英語の勉強を思い立ってから、すでに10年以上がたっていました。

ずいぶんと無駄な時間を費やしたものだなあとつくづく思いますが、しかし私のような経歴のものが日本社会で暮らしながら英語をマスターするにはこれしか方法がなかったのだと、いまでも思っています 。

それにしても、日本の英語教育はなんと非効率なことでしょう。もし高校までの英語教育がもっとまともなものであったなら、私が費やした無駄な英語学習の時間は大幅に減らすことができたはずです。高校までの英語教育で私が身につけたことは、敢えていえば、歪んだ発音と歪んだ読解方法でした。

おそらくこうした事態は、私だけのことではなく、ほかの多くの皆さんにも共通することではないかと思います。ただ、私のように20歳をすぎてから英語を独力でマスターしようなどという無謀な試みをされるほど、ほとんどの方はヒマではなかったということだと思います。

私がいま英語教育に熱心なのは、こうした自分の体験を踏まえて、日本人が英語学習に費やす時間と努力とを少しでも正当なものに近づけたいと思うからです。いまの英語教育をみてみますと、40年ほど前に私が受けた教育システムとはたしかに変わってはいますが、しかしそれが良い方向へ変わったかというと、少なくとも私の目からみれば、そうではありません。

音声は以前よりも重視されるようになりましたが、それを日本人のために体系的に教えるメソッドは確立してはいません。いま現場で使われている発音教授法のほとんどが、英米で開発された教授法を崇拝し、それをただ模倣しているだけのものです。私たちは日本語という英語とは本質的に異なる音韻体系を持つ言語を母語にしているのですから、英米で開発された教授法がそのまま使えるはずもありません。当たり前のことですが、その当たり前のことが無視されているのです。

構文理解にしても、英文和訳という日本人が独自に開発したメソッドを完全否定してしまった後、新たなメソッドが確立されることはありませんでした。先に述べたように、英文和訳という方法はたしかに歪んだ英文学習法ではあります。しかし、少なくともそれは日本人の手によって日本人のために開発されたものであり、それを通じて日本人は西欧文明をきわめて短期間のうちに吸収することができたのです。そうした歴史的経緯も考慮せず、一刀両断に切り捨て、欧米の社会的文脈のなかで開発されたコミュニカティブ・アプローチをただ無批判に導入したのが、1980年代以降の日本の英語教育でした。本当に愚かしいことです。

幕末から明治にかけて私たちの先達たちは、西欧文明をうまく吸収できなければ日本の将来はないと確信していました。そのうえで、西欧文明を最も効率的に吸収するためのツールとして英文和訳という手法を確立し、そして西欧文明の吸収に成功したのです。それは世界に類を見ない偉業であったと、柳父章という学者が述べています。

いま私たち日本人は、第二の文明開化の時期を迎えているのではないでしょうか。そしてこの第二の文明開化では、西欧文明を吸収することを主目的とした第一の文明開化とは異なり、日本人として世界中の人々と幅広く交際し、お互いに意見を交換していくことが目標になります。そのための必須ツールが英語であり、それを私たち日本人はマスターしなければなりません。

その際には、第一の文明開化の時期に開発された英文和訳という英語習得法は、もはや有効ではありません。なぜなら、英語学習の目的そのものが異なるからです。したがって、英文和訳という私たちの文化遺産をリスペクトし、また欧米で開発された学習法を参考としつつも、第二の文明開化の現在にマッチした、日本人のための新たな英語学習法を早急に開発しなければならないと、私は思います。

日本の英語教育にいま必要なのは、英米で生み出された言語教育法をただ無批判に導入することではなく、日本人に合った英語教育の方法を日本人みずからの手で開発することです。そのためには、私たちの母語である日本語にしっかりと目を向け、日英両語の比較対照を綿密に行いながら、日本人のための英語学習法を開発していくべきです。微力ではありますが、私もそうした英語学習法の開発と実践をこれからも続けていきたいと思います。

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