成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

「三重」言語としての日本語

2010年5月14日

現代の日本語は、やまとことば、漢語、翻訳語という3つの異なる言葉が重なりあっている、「三重」言語である。

「やまとことば」は、日本の土地で生まれ、日本の自然を母に、日本の文化を父にして、数千年にわたって生きてきた言葉である。その特質は、万葉集や古今和歌集といった和歌や現代の流行歌やエッセイなどに凝縮されてみることができる。

土地に根づき、そのなかで育ってきたということから、やまとことばを比喩にして表現するならば、草木がもっとも適切であると思う。

草木であるから、やまとことばはいまも生きている。だからこそ私たち日本人は、やまとことばのなかにいのちの温かさとやさしさを感じとることができる。

だがそのいっぽうで草木であるがゆえに、やまとことばは環境が変化すると生きてゆけない。また栄養がゆきとどかないと大きく育つことができない。やまとことばという草木はいまも生きてはいるが、このところ栄養がほとんど与えられていないので、ずいぶんと弱ってしまった。このままでいくと枯れてしまうかもしれない。

千数百年前、やまとことばという草木の言葉の世界に、漢語というまったく異質の言葉が入ってきた。漢語は、中国大陸という広大な地で多種多様な文明が衝突を繰り返すなかからつくりあげられた言語である。数千年にわたる文明的衝突が大きな圧力を生み出し、その結果として漢語はまるで草木が石炭になるように硬く硬く凝固した。石化したのである。

石となったことで漢語は環境に左右されることがなくなった。どの地においても通用する普遍性を得た。そして東アジア圏のリンガフランカとしての地位を獲得した。だがその代償として、漢語は生命体としての温かさを大きく失ってしまった。情意ではなく理知の言葉となったのである。

この漢語を千数百年前に受け入れた日本人は、やまとことばを情意の言葉として残しつつ、漢語を理知の言葉として新たに採用するという方法で日本文明を構築していくことにした。世界史をみて、これは他に類をほとんどみないユニークな選択であった。こうして千数百年前に日本という国は二重言語国家としての歩みをはじめたのである。

それから千数百年を経たのち、日本文明に新たな言語が導入された。西欧言語、なかでも英語である。

英語は、西欧言語のなかでもユニークな言語のひとつである。さまざまな文明の衝突を歴史的に経験してきた英語は、その結果として構文のクレオール化(単純化)と語彙の多層化をその大きな特質として得ることになった。中国語とは異なるかたちではあるが、石化のすすんだ言語である。

その後、大英帝国や米国の圧倒的な軍事経済的パワーとともに世界を席巻した英語は、現代世界におけるリンガフランカの地位を獲得した。そして日本語も、この英語という言語をいやおうなく受け入れることを迫られた。

このとき日本人は、千数百年前に漢語を受け入れたときとは異なる方法をとった。漢語導入の際には、やまとことばを情意の言葉として残しつつ、漢語を理知の言葉として直接的に採用したのだが、英語を受け入れる際には、そうした直接的導入ではなく、漢語というフィルターを通して日本語に受け入れることにしたのである。これが「翻訳」である。

こうして、明治期に膨大な数の「翻訳漢語」が生み出された。その数は数万語にもおよぶ。その数万語の翻訳漢語を利用して、日本人は西欧文明を急速に日本文明に導入していった。これもまた世界史的にみて他に類をみない試みであった。

こうして現代日本語は、やまとことば、漢語、翻訳語(じつは西欧語)が重層化した「三重」言語となった。やまとことばという「草木」と、漢語と翻訳語という「石」とが共存する、奇妙なすがたの言葉である。そしてこの奇妙な言葉を、私たちは思考や表現の道具として用いているのである。

現代日本語は私たち現代日本人の宿命である。この宿命の言語をいさぎよく引き受け、その長所を伸ばし、短所を直していくことが、私たちの担うべき役割ではないかと思う。

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