成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

『アインシュタイン』問題から翻訳の今後を考える

2011年8月8日

翻訳に関する「詐欺」事件が起こった。武田ランダムハウスジャパン社が2011年6月23日に出版した『アインシュタイン その生涯と宇宙 下』(ウォルター アイザックソン, 二間瀬敏史(監訳), 関 宗蔵, 松田 卓也, 松浦 俊輔)の誤訳である。事件の概要は、同書の一部に機械翻訳が使用されていることを訳者の一人(松田氏)が指摘し、出版社が同書を回収したというものである。7月15日には事件の顛末を同訳者がアマゾンのレビューで公表したために衆目の知るところとなり、大きな注目を集めている。

以下、事件の概要をかいつまんで説明する。ただしこれはあくまで松田氏のレビューの内容からの推測であることを明記しておく。武田ランダムハウスジャパン社では同書の翻訳を数人の学者に分担して依頼したが、そのうちの一人に断られた。そこで編集部が外部翻訳者グループに翻訳を急遽依頼したところ、彼らが機械翻訳を使って翻訳してきた。編集部は出版延期を社長に申し入れたが、拒否された。そこで編集部は機械翻訳の原稿を自分たちで修正したが修正しきれない部分が残った。そしてその部分をそのまま最終原稿として利用した。その際に編集部は監修者や他の翻訳者には連絡しなかった。監修者や他の翻訳者も編集部に連絡をとらなかった。出版された後に同書を読んだ松田氏が事実を知り、監修者の二間瀬氏に連絡した。二間瀬氏が出版社社長に抗議し、社長も同書を読み、同書の回収に踏み切った。

とても信じられない話だが、これは実際に起こったことである。私は30年にわたって翻訳業に携わってきており、この10年はプロ翻訳者養成講座の講師も務めている。そうした経験のなかから学術系の翻訳出版物には誤訳や悪訳が多いことは十分に承知している。しかし翻訳の素人である学者が訳すのだから、ある程度は仕方がないという割り切った気持ちもある。

だが今回の事件については別である。この事件は出版のプロである編集者と翻訳のプロである翻訳者グループが中心となって引き起こした「詐欺」(Fraud)以外のなにものでもない。弁明や同情の余地などひとかけらもない。彼らはプロとして失格であるばかりか、翻訳出版に対する社会の信頼を著しく傷つけた。この罪の責任を痛感すべきであり、出版と翻訳の世界からただちに退場するべきである。同出版社の社長も同罪であり、出版業界からすぐ身を引くべきである。

同時に翻訳関係者すべてが今回の事件を真摯に受け止めて深く反省するべきである。現在の翻訳をとりまく現在の状況はあまりにもひどい。実際には訳していない人間が監訳者や訳者を平然と名乗り、一方で実際の翻訳者は目先の利益のためにまともな翻訳などとてもできない条件で仕事を引き受ける。編集者や翻訳エージェントはそうした状況を食い止めるどころか助長さえしている。今回の事件については訳者の一人が内実を公表したことで明るみに出たが、もしこうした暴露がなかったなら一般に広く認知されることはなかったであろう。言い換えると、今回のような詐欺としかいいようがない翻訳を世に送り出したとしても、その関係者たちはそのまま逃げおおせることが現状では可能なのである。今回の事件の責任の一端は、こうした状況を作り出した(私も含めた)翻訳関係者すべてにあると考える。私たち翻訳関係者は翻訳のあり方について、いまこそ抜本的に考え直していかなければならない。

まず早急におこなうべきは翻訳業界の現状把握である。今回の事件が起こった背景のひとつにはコンピュータ翻訳の急速な発展がある。以前のコンピュータ翻訳はあまりにも低レベルであったために翻訳者による完全な書き換え作業が必要不可欠だった。当然ながらプロ翻訳の現場で利用することなどとてもできなかった。しかしグーグルに代表されるオンラインデータベースの革命的な発展に伴って近年ではコンピュータ翻訳システムが急速に発展しつつある。一部の翻訳関係者はすでに下訳として利用できるレベルに達したと判断し、実際に活用をしはじめている。今回の事件はそうした状況のなかで起こったものである。

私自身はコンピュータ翻訳を100パーセント拒否するものである。これまで利用したことは一度もなく、これからも利用しない。コンピュータ翻訳を使うぐらいなら私は翻訳者を辞める。しかしそれはあくまで個人の話であって翻訳業界全体の話ではない。業界としては今後コンピュータ翻訳の利用が急速に進んでいくと予想される。

では現時点でのコンピュータ翻訳の利用度はどのぐらいなのか。まずこれを把握すべきである。現状が正しく把握できていなければ対策の打ちようもない。コンピュータ翻訳を利用していると大っぴらにいう関係者はいないだろうが、工夫をこらせばある程度精度の高い情報を集めることができるはずである。調査の機関としては、たとえば経産省傘下の社団法人である日本翻訳連盟がふさわしいのではないかと思う。

こうして現状を把握して分析したうえで次に翻訳業界としてコンピュータ翻訳利用に関するガイドラインを策定するべきである。ガイドライン策定機関はやはり日本翻訳連盟あたりが第一候補となるだろう。ただ同連盟は実質的には翻訳会社の業界団体なので中立公正という観点から問題がある。以下に提案する翻訳評価の件も考えあわせると中立公正の機関の新設を真剣に考えるべきではないかと思う。

もうひとつ今回のような事件の再発を防ぐために提案したいのが公正中立かつ信頼に足る翻訳評価の構築である。今回の時間の背景には翻訳全般に対する公正で信頼に足る評価が存在しないという事実がある。優れた翻訳に対しては「日本翻訳出版文化賞」などの評価システムが存在するが、いかんせん膨大な翻訳作品のなかの一部のみを対象とせざるを得ない。一方で今回のような劣悪な翻訳をチェックする評価は、個人的な試みを除いてはいまのところ存在しない。

この状況を金融市場に例えてみれば、公的規制機関がまったく存在せず証券アナリストも存在しないなかで、証券知識のない素人投資家たちが、武田ランダムハウスジャパン社のような悪徳業者に騙されながら、でたらめな投資活動をおこなっているといった状況である。これでは市場が健全なかたちで育つわけがない。

翻訳の評価は難しい。まず原文と訳文の両方を読み込んだうえで的確に評価しなければならないのだから、評価者には膨大な労力と卓越した能力が必要になる。また翻訳を公平公正に評価するには説得力ある評価基準が必要であり、それを使いこなす高度な技術力も必要である。そしてなによりも、それだけのことをしても経済的に報われることがない。

しかしだからといって現在のような翻訳無法状態を放置しておいてよいはずがない。このままであればコンピュータ翻訳の利用は野放図に拡大し、それに伴って翻訳の劣化もどんどん進む。その結果、日本の翻訳文化は社会からの信頼を失い、ひいては翻訳不要論つまり日本語の衰退へと向かっていくことになるだろう。

こうした私の認識をあまりにも大袈裟だと思う方がいるとすれば、それは間違いである。いま、知的領域の日本語は存亡の危機に瀕している。もちろん生活言語としての日本語が滅びることなどありえないが、しかし知的言語としての日本語については近い将来に滅びてしまう可能性は十分にある。実際、多くの大学が日本語ではなく英語で授業を行いはじめている。知的領域での日本語の衰退はすでにはじまっているのである。建国以来、日本の知性は翻訳という営みによって支えられてきた。翻訳文化には賛否両論があるだろうが、しかし翻訳が日本人の知的活動の重要基盤であるという事実は誰も否定できないはずだ。それがいま十分な検討のなされないまま、ただ劣化の一途をたどっている。そうした事態をいまなんとしても食い止めなければならない。翻訳評価の構築はそれを食い止める有力な基盤となるはずである。

翻訳評価の構築には翻訳業界全体での幅広い取り組みが必要であるが、その基盤となるのは、やはり一人一人の翻訳者による翻訳評価への関与であると思う。すでに述べたように、翻訳評価は労多くして功少ない営みである。また他人のした仕事に首を突っ込むようなことはできるかぎり避けたいというのが現場の翻訳者としての本音である。しかし、そうしてわれ関せずの姿勢をとっているうちに、翻訳業界はついにここまできてしまった。このままでは、日本の翻訳業界全体がダメになってしまう。そうなれば、自分の翻訳さえも守ることができなくなる。一人一人の翻訳者にとって決して他人ごとではないのだ。これからは私たち人一人が他者の翻訳に対しても積極的に意見を表明する姿勢を持たなければならない。私個人としてもこれからは積極的に翻訳に対する評価を勇気をもって発信していこうと思う。多くの返り血を浴びることだろうが、それでも発信をしなければならない。いまそうしなければ、おそらく日本の翻訳に明るい未来などないと思うからである。

Categories: ことのは道中記 翻訳