成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

『冬の鷹』

2010年11月9日

吉村昭が1974(昭和49)年に発表した小説『冬の鷹』は、杉田玄白、前野良沢らが、日本初の西洋医学書である『解体新書』を翻訳したときの様子を描いたものである。

物語は、前野良沢が江戸でオランダ通詞に出会い、オランダ語習得を決心するところからはじまる。その後、良沢の長崎留学、良沢と玄白との出会い、江戸小塚原での死刑囚の腑分けの見学、そして『ターヘル・アナトミア』翻訳の決意と翻訳チームの結成へと、物語はつづいていく。ときは1771(明和8)年、江戸幕府は鎖国体制を堅守しており、西欧書の翻訳は政治的にきわめて危険な行為でもあった。

ところで、オランダ書の翻訳であれば長崎のオランダ通詞ができそうなものだが、しかし彼らはオランダ語を話すことはできてもオランダ語を読むことはできなかった。つまり、当時の日本人で『ターヘル・アナトミア』を訳すことのできるオランダ語の能力を持つ人間は、誰一人としていなかったのである。

そうしたなか、玄白、良沢たちの翻訳チームは、仲間のなかでオランダ語にもっとも精通している良沢の家に参集し、翻訳作業に着手する。だが着手したのはよいが、どこからどのように手をつけてよいのか皆目わからなかった。なにしろ長崎に留学してオランダ語に最も精通するとされる良沢でさえ、わずか数百の単語しか知らなかったのである。

物語のなかでは、翻訳をはじめたときの玄白や良沢たちの途方にくれた様子が、次のように描かれている。

(ここから引用)
かれらは、二冊のターヘル・アナトミアをひらいた。長い沈黙が、かれらの間にひろまった。かれらの眼前には、多くの横文字がびっしりならんでいる。
「良沢殿、少しはおわかりになられますか」
淳庵が、たずねた。
「皆目、見当もつきませぬ。わからぬことは貴殿たちと寸分ちがいませぬ」
良沢は、弱弱しい眼をして答えた。
玄白が深く息をつくと、
「まことに櫓も舵もない船で大海に乗り出すようなもの。茫洋として寄るべきかたもありませぬ」
と、つぶやいた。
かれらは、呆然とターヘル・アナトミアの文字のつらなりをながめていた。
(『冬の鷹』、吉村昭、新潮文庫、pp129-30)

こうして櫓も舵もない船で翻訳という大海に乗り出した彼らは、その後、いくたびも良沢の家に集まって翻訳をこころみるが、たったひとつの単語さえも訳すことができなかった。

こうして月日ばかりが過ぎていった。途方にくれたチームのなかで、玄白が、まず本文ではなく人体図から翻訳をこころみてみてはいかがかと提案する。その提案を受け入れた彼らは、あらためて人体図をじっくりとながめてみた。そのときの描写が、以下の部分である。

(ここから引用)
二個の裸身図の頭の上には、いずれもAの記号が印刷されていた。そのAの記号がなにをさすのか、かれら四人の中で意見が二つにわかれた。
正面を向いている裸身図は、乳房のあるところから女体であることが察しられ、背を向けているものはそのたくましい筋肉から男の体であると知れた。その二体とも頭は毛髪におおわれ、Aの記号を頭とも考えられるし、頭髪をさしているとも思えた。
しかし、そのような議論よりもまず記号を説明する文章が本文中にあるか否かをたしかめる方が先決だった。かれらは、説明文が裸身図の次のページからはじまる文章の中にあるにちがいないと考え、ページを一枚ずつ繰っていった。が、十二ページにわたってぎっしりと並ぶ横文字の中には、それらしい記号は見出せなかった。
玄白は、落胆し肩を落とした。
(略)
「説明文があって、その後に人体図があるとは考えられませぬか。つまり人体図の後の本文中にはなく、前の部にあるという……」
淳庵が、思いついたように言った。
「それは不自然とは思いますが、縦のものを横に書くオランダ語のことです故、淳庵殿のご意見も正しいかも知れぬ」
玄白が、うなづいた。かれらは、ただちに人体図の前にあるページを眼でさぐりはじめた。
そのうちに、玄白たちは良沢の顔に眼をすえた。良沢は、ターヘル・アナトミアの一箇所を無言で凝視している。その眼は、異様に光っていた。
「良沢殿、いかがなされました」
玄白が、その顔をのぞきこんだ。
良沢は、返事もせず次のページを繰った。かれの顔が紅潮した。
「ありましたぞ、これにちがいありませぬ」
良沢は眼をかがやかせ、ふるえをおびた声で言った。
「たしかでござりますか」
玄白たちの顔にも、血の色がのぼった。
「ここを御覧なされ」
良沢は、二十ページ目の冒頭を指さした。そこには、TWEEDEという大きな横文字の下に、A.……, het Hoofd……という文字が印刷されていた。
「たしかにAという記号は書かれてありますが、それがいかがなされたのですか」
玄白が咳きこむようにたずねた。
良沢は、かたわらにおかれている紙を綴じた書物に似たものをひらいた。それは、青木昆陽の著した「和蘭文字略考」を筆写したものであった。急いで紙をひるがえしていった良沢は、或る部分を指さし、玄白たちにしめした。そこには、
頭 ホットhoofd
と、記されていた。
「貴殿たちにもお教えしたとおり、ハ(h)の大文字はHでござる。つまりHoofdは、頭でござる」
良沢は、もどかしそうに言った。
玄白たちは、文字を見つめ、たがいに顔を見合わせた。
「頭でござる。Aは頭でござる。頭髪ではない」
玄白が、狂ったように叫んだ。
「さらに、男の鼻の部分に6という記号がついておりましょう。これは六という数を示すもので、それを本文中にさぐると、ほれここに6の後にNeusとある。この語は、私も、熟知しております」
と言って、良沢は、単語を書きとめた帳面を繰った。そこには、鼻neusという文字がみられた。
かれらの顔には、歓喜の色があふれた。
「やりましたぞ」
「やりました。頭はホフト、鼻はネウスでござる」
かれらは、口々に叫んだ。その眼には、一様に光るものが湧き出ていた。
「これで、ようやく手がかりが得られました。これも良沢殿の御知識のたまものです」
玄白は、感動に身をふるわせて深く頭をさげた。
「いや、人体図から初めに手がけようと申されたのは玄白殿で、それがこのような成果をみた源でござる。一人の力では到底およびもつかぬ難事業ではござるが、同志力をあわせて進めば自ずと道はひらけると申す。たがいに補い合って必ずこの書の翻訳に精を出さねばなりませぬ」
良沢は、眼に涙をにじませながら言った。
その日、かれらは、人体図に付せられた記号を本文中にさぐって、大文字で書かれたオランダ語をそれぞれ丁寧に筆写していった。そして、夕方までに頭、鼻、胸、腹、臍、掌の語を知ることができた。
玄白たちは、明るい表情で良沢を家を辞していった。
(同上、pp133-7)

こうして、彼らは翻訳への糸口を見つけ出すことができた。その後も彼らは苦しい試行錯誤を繰り返しながら、一年半をかけてついに『ターヘル・アナトミア』全体の翻訳を終えるに至った。日本初の西欧医学翻訳書『解体新書』が、ここに完成したのである。

いまから約240年前におこなわれたこの翻訳作業と、いま私たちがおこなっている翻訳作業とは、なにが同じで、なにが異なっているのだろうか。その問いをしっかりと受け止め、考え、そして自分なりに答えを出すことが、翻訳者としての出発点であり責務ではないかと思う。

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