成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

『芸術闘争論』

2011年2月16日

村上隆の『芸術闘争論』(幻冬舎)を読んだ。これは熱い本である。一部の人にとっては熱すぎる本である。読みながら心をぎゅっとわしづかみにされるようである。こんな日本人がいるのだという驚きと、変革を目指さねばならないという勇気と覚悟を与えてくれる。

ご存知の方も多いだろうが、村上隆は世界の現代美術における代表的アーティストの一人である。日本のマンガやアニメをベースにした現代アート作品を手がけており、2008年にはTIME誌の「The Most Influential People In The World 100」(世界で最も影響力がある100人)の一人に選ばれ、2010年にはフランスのベルサイユ宮殿で個展を開催してさまざまな論議を巻き起こした。彼の作品は数億円の単位で売買されているという。

私のようなド素人の目からみて村上の作品を一言でいえば、「なんなんだ、こりゃ」である。そこらへんのアニメ誌にいくらでもころがっているマンガの類と、何も変わらない。そのため、村上隆とはたんなる世界的なハッタリ屋なのではないかなどと、この本を読むまでは思っていた。ところが、そうではなかったのである。まったく違っていたのである。

この本を読んでわかったことは、次のことである。

第一に、現代美術というものは、西欧の文化と歴史を基盤とする一種の知的ゲームである(にすぎない)ということである。日本文化でいえば千利休が完成させた「わびさび」の茶道の世界に近いものである。現代美術を規定するルールつまり「お作法」を知らなければ、現代美術という名のゲームつまり「お茶会」には参加できないのである。

第二に、そうしたルールをしっかりわきまえて、そのうえで果敢に現代美術ゲームに挑戦している日本人の数はきわめて少ないということである。村上によると、日本人で世界で活躍しているアーティストは10人ほどしかいないという。ではそのほかに数万人もいるアート系の日本人たちが何をしているかというと、美術系大学とその予備校を中心とする、世界から隔絶された日本美術業界のなかでこじんまりと生きているのだという。どうやら日本のアーティストたちのほとんどは日本という名の温暖なガラバゴス諸島のなかでのんびり日光浴を楽しんでいるイグアナたちであるようだ。

第三に、日本人が現代美術ゲームに参加してしかも勝ち抜いていくためには、欧米の社会が勝手に決めたルールの枠組みのなかで戦いつつも、しかも日本人としての独自の強みを発揮していなければならないということである。そして村上によると、マンガやアニメこそが現時点での日本人の独自の強みであり、それを欧米の現代美術ゲームに適応できるように「翻訳」しているのが村上の仕事なのだという。

第四に、そうやって闘い勝ち抜いていくためには、まず現代美術というゲームに係るさまざまな情報をしっかり入手し、それを分析して戦略を立て、そして綿密に実行していかなければならないということである。この意味で、現代美術のゲームとはまさにビジネスそのものである。ゆえに『芸術闘争論』は優れた現代美術書であるとともに優れたビジネス書でもある

第五に、村上隆の最終目標は、西欧世界が勝手に決めた現代美術ゲームのルールそのものを変えることにあるということである。そのために、まず彼らのルールに則ってその内懐に飛び込み、そしてその内側からばりばりと食い破っていこうというが、村上の戦略である。

第六に、その最終目標を達成するために、現代美術ゲームの最前線に一気に200人の日本人を送り込みたいというのが、村上の当面の目標である。そのために村上は自分がこれまで得てきたノウハウをすべて包み隠さずに公開することにし、その伝道書として書かれたのが、この『芸術闘争論』である。村上はこう書いている。
「まずは、シーンを作らねばならない。そのためには自分が今まで体験で学んだことのすべてを教えよう。自分が掴んだ何かを隠すことによって、自らが少々、生きながらえても仕方がない。大事なのは、この自立性のない、なにかに頼りきった日本の状況を根こそぎ変えることだ。」
「ぼくの野望、それは世界のアートシーンへ日本人アーティストを一気に200人輩出させること。そうすれば世界は変わる。アートのルールは変えることができる!」。

そして第七に、こうした闘いには周囲からの無理解や嘲りや中傷や批難がつきものであるが、そうした雑音に村上隆は惑わされないということである。村上はこう書いている。
「ベルサイユ宮殿での個展に関しては、絶望的ともいえる無理解なレスポンスも多く、奮起して、毎晩、汗まみれになって、ツイッター上で激弁を振るい、自爆炎上を繰り返しました。芸術家は、作品を作ることしかできません。今、ぼくのまわりで起こっている無理解や小さな悲劇なんて、鼻糞のようなもんだ、最後にはいつもそう思っています。毎夜毎夜、そのように思い、PCを閉じて、創作の現場にすごすごと戻っていきます。闘いを続けることでしか生き延びることはできない。現状を変革することはできない。これがぼくの闘争論です。」

闘いを続けることでしか生き延びることはできない。現状を変革することはできない。これがぼくの闘争論です――これにはまいった。

私自身のことをいえば、スケールこそまったく違うが、日本の翻訳業界と英語教育業界というシーンで村上と同じように変革を引き起こそうとしてきた。しかし、はたして村上ほどに激烈かつ用意周到に闘ってきたのか、闘いを続けることでしか生き延びられないという強い覚悟があったのか問われると、自信がない。どこかで周りからの無理解や批難や中傷を恐れていたところがあったようにも思う。そしてそのことが十分な結果を出せない最大の原因ではないかということを、この本が気づかせてくれた。

やはり小手先の改善などではなく変革を目指さねばならないのである。そのためには実力と戦略と勇気と覚悟がいる。アートだけでなく翻訳や英語教育でも同じことだ。その意味で私はこの本を『芸術闘争論』とともに『翻訳闘争論』『英語教育闘争論』として読んだ。

最初に書いたようにこれはとても熱い本である。そして役に立つ本である。皆さんにぜひ読んでもらいたい。

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