成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

あしたのジョー

2011年3月4日

映画『あしたのジョー』が公開された。ネットでみるかぎり、それほどの高評価ではなさそうである。だが、あれほどの名作の映画化なのだから、そもそも高望みすることが間違っているのではないかと思う。ジョー、力石、それに丹下段平が復活しただけでもOKではないか。

わたしは小さい頃から大のボクシングファンで、後楽園ホールにも何度か足を運んだことがある。目がとても悪いので自分でボクシングをしたことはないが、目さえよければおそらくやっていたのではないかと思う。間違いなく弱かっただろうが。好きなボクサーはたくさんいるが、一人だけを挙げるとすると、元世界スーパーフライ級チャンピオンの川島郭志である。打たれ弱さというボクサーとしての致命的な欠陥を克服し、「アンタッチャブル」といわれるまでにディフェンス力を磨き上げて世界の頂点に立ったボクサーだ。あの美しいボクシングはいまでもよく覚えている。

知らない人にはわかりづらいだろうが、ボクシングは単なる殴り合いのゲームではない。ボクシングとはきわめて多様で洗練された技術の集積であり、それらの技術をきっちりと習得していかなければ強いボクサーにはなれない。そのため、現在のボクサーの大半は非常に小さい頃からボクシングをはじめている。4歳や5歳からという例も珍しくない。他のスポーツと同様にボクシングの世界でも英才教育は強みを発揮する。

しかしながら小さい頃からの英才教育だけでよいボクサーになれるというわけでもない。特にパンチ力についてはどうやら天性のものらしく、練習を積んだからといって急激に増すわけではない。その意味で、強いボクサーは生まれながらにして強いという側面もある。

基本的にプロボクサーにはトレーナーがつくのだが、ボクサーが強くなるにはこのトレーナーの役割がきわめて重要である。トレーナーは元プロボクサーであることが多い。ジョーのトレーナーである丹下段平もそうである。ただし元ボクサーでなければ名トレーナーになれないというわけではなく、現世界フェザー級チャンピオンである長谷川穂積のトレーナーの山下正人は、もとは兵庫県警の暴力団対策を担当する刑事だった。

強いボクサーになるための絶対的な条件を挙げるとすると、やはりボクシングにかける人並みはずれた思いだろう。どんなに才能に恵まれていたとしても、なんとしてもチャンピオンになるのだという強固な意志がないかぎり、自分を極限にまで追い込むようなトレーニングはなかなか続かないものだ。そして、そうした極限のトレーニングを粘り強く繰り返さないかぎり、結果はついてこないものである。

ということで、もしボクシングの世界でチャンピオンになりたいのならば、名トレーナーのいるボクシングジムに入門し、そこで死に物狂いのトレーニングを積み重ねるほかに道はない。

最近は新しい格闘技がたくさん出てきたこともあって、ボクシングの人気は下降線をたどっている。街中のボクシングジムの経営も苦しいようで、プロボクサーを育てるだけではなく、ボクシングを少しかじってみたいという素人連中や、ダイエットを目的とする女性層なども積極的に取り込もうとしている。経営が立ち行かなくなれば肝心のプロボクサーも育てられなくなるわけだから、それはそれで理にかなったマーケティング方法であろうかと思う。

しかしボクシングの原点はやはり「あしたのジョー」だろう。何もないところから自分の拳だけで自分の明日を切り拓いていくというのが、あの四角いリングのなかで一人きりで闘うことの意味ではないだろうか。ケーブルテレビのボクシング番組をみてみると、そうした若者たちがいまも数多く存在することがわかる。彼らにはぜひともチャンピオンになってほしいものである。リングの上だけではなく、人生においてもである。

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