成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

なぜ翻訳書は、あれほど読みにくいのでしょうか

2011年9月1日

みなさん、翻訳書を読むことができますか? わたしはダメです。だって翻訳書の文章って、すっごくわかりにくいですから。なかには、二度も三度も読み返さないと意味がとれないものもあります。ほんと、うんざりですね。

では、なぜ翻訳書の文章がそれほどわかりにくいかというと、それはこれまでの翻訳者が英語と日本語の「言語としての個性の違い」をほぼ完全に無視して、たんに英語を日本語に置き換えるだけの翻訳をしてきたからです。ここでいうところの言語としての個性の違いとは、たとえば次のようなことです。

☆ 英語は、繰り返し表現を極端に嫌います。そのため、同じことをいうのでも、語彙や構文をどんどんと変える癖があります。いっぽう、日本語は繰り返し表現をまったく嫌いません。逆に、語彙や構文を変えてしまうと、それは別のことを表現することになってしまいます。

☆ 英語は「ブロック積み重ね型の言語」です。それぞれのセンテンスがほぼ完全に独立していおり、それをまるでブロックのように積みかさねていくという文章構造になっています。その結果、センテンス間をつなぐ表現は必要最小限におさえられます。いっぽう、日本語は「着物織り上げ型の言語」です。ひとつひとつの文はそれほど独立しておらず、いわば一本の糸を着物に織りなしていくような言語です。そのため、文と文とをつなぐ表現がないと、ぶつ切りされたような違和感が残ります(ただし、学術系など西欧化した日本語文は別です)。

☆ 「ブロック積み重ね型」言語であるために、英語は全体の構造の整合性をたいへんに重視します。全体のなかの部分という意識がとても強いのです。いっぽう、「着物織り上げ型」言語の日本語は糸を織りなしていく言語ですから、全体の整合性はあまり気にしません。部分部分がそれぞれによければそれでよしとするところがあります。

☆ 英語は「二等辺三角形の言語」です。シンメトリカルな構造が大好きです。ベルサイユ宮殿の庭をイメージしてください。そのために、ペア表現などのシンメトリカルな表現がとても多く使われます。いっぽう日本語は「不等辺三角形の言語」です。竜安寺の石庭をイメージしてください。シンメトリカルな表現も使うことは使いますが、英語ほどには重要視しませんし、逆にあまりにシンメトリカルだと、つまらなく感じます。日本人は歪んだところや欠けたところにも「美」を感じるのです。

☆ 英語は「耳の言語」です。話し言葉だけでなく書き言葉でも、音の響きやリズムがきわめて大事です。いっぽう、日本語は「目の言語」です。とくに書き言葉では目にどう映るかが、耳にどう聞こえるかよりも、はるかに重要です。

☆ 英語は「モノ中心の言語」です。この世界には、まずモノ(実体)があり、それぞれが独自の特性(属性)を持っています。そしてそのモノのあいだになんらかの関係(コト)が生じるのだと、彼らは考えています。いっぽう、日本語は「コト中心の言語」です。この世界には、まずコト(出来事)があり、それがどんどんと変化していきます。「川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」といった感覚です。モノというのは(人間もふくめて)、そうしたコトのなかでの諸要素にすぎません。このような世界観そのものの違いから、英語は名詞を核とした言語表現が中心となり、日本語では動詞を核とした言語表現が中心となります。

うえに述べたような英語と日本語の言語としての本質的な違いを、それぞれの文脈にあわせて具体的に処理し、できるかぎりわかりやすい日本語の訳文をつくり出していくことが、私の毎日の仕事です。

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