成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

なんでも鑑定団

2010年12月12日

日曜日の昼にはいつも「なんでも鑑定団」をみている。司会者のコメディアンが場の雰囲気をなごませるなか、一般の人がそれぞれの「お宝」をかかえて登場し、それを専門家が鑑定して値段をつけていくという趣向のテレビ番組である。名品だと自信満々のものが真っ赤な偽物だったり、なんのへんてつもない茶碗がたいへんな名作だったりして、見ていて飽きない。

オモチャなどの鑑定もあって、ガラクタのようなものでも高額の値段がつくのも面白い。値段のつけ方はマーケットで売れる金額だから、壊れたブリキのオモチャや有名人のサイン入りの汚れたシャツに大金を支払う人々が多くいるということだ。

私にとってのこの番組の面白さは、価値があるから値段が高いのではなく値段が高いから価値があるという思考のあり方を、ある種のゲームとして楽しめるところにある。

そもそも美術品の価値など私にはまったくわからない。そのわからないものに対して専門家が値段をつけるのをみながら、なるほど、あれだけの値段がするのだから価値があるに違いないと妙に納得する自分のあさはかさが面白いのである。

ただ、もし私が美術の専門家であるとすると、あの番組はたぶん見れない。美術のValue(価値)をMarket Value(市場価格)で評価できるという番組の前提そのものを専門家としては受け入れられないと思う。なぜならそれは自分の愛するものを冒涜する行為だからである。あくまで美術の素人だから、それでもアハハと笑っていられるのである。

本当の価値は市場価格では測れない。あなたの一番大切な人の価値は年収と同じなのか。そうだと答える人もいるかもしれないが、少なくともこれを読んでいる方のなかにはいないと思う。そういう人はこんなものを読むヒマがあったらもっと「価値あること」をしているはずである。

ところが「なんでも鑑定団」を見ているときの私は、値段が高いほど価値があると考えるそうした卑しい人間の一人になっている。そして意外なことにそんな自分のことをけっこう面白がってもいる。どうやら私はずいぶんといいかげんな人間のようである。

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