成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

インドネシア語

2010年7月8日

ほとんど外国にいったことのない私だが、大学での研究テーマが東南アジア経済だったこともあって、東南アジア諸国は周遊旅行を数回おこなっている。もう30年以上も前のことだ。カタコト英語を使いながら一泊500円の宿を泊まり歩く貧乏旅行だった。いまの私からはとても信じがたいだろうが、バンコクからチェンマイに向う夜行バスで隣にすわったスウェーデン人男性に言い寄られたこともある。もちろん丁寧にお断りした。

フィリピン、タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシアとまわった。どの国にもよいところがいっぱいあった。なかでも私が一番気に入ったのが、インドネシアだった。

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インドネシアのジャカルタでは当時存在したスラム地域に泊まった。多くの「家」は木とダンボールづくり、道は赤土のまま、ニワトリやヤギが闊歩していた。人々はみな和やかでやさしい表情をしていた。その前に訪れたシンガポールの人々の厳しい表情とは対照的だった。

泊まったYMCAの部屋の壁には白いヤモリがたくさん張り付いていた。天井にも張り付いているので、ベッドに寝ていると顔に落ちてこないかと少し心配した。トイレに紙はなく、1メートル以上の高さの水瓶が置いてあり、そこの水を汲んで流す水洗式になっていた。とても清潔な感じがした。

朝になると、もの売りの声が外から聞こえてきた。何を売っていたのだろうか。朝の冷気のなかに聴こえてくる甲高い売り声は、数週間の貧乏旅行に少し疲れていた私をずいぶん元気にしてくれた。

YMCAにはアメリカ人男性が泊まっていた。40代だったろう。半年以上泊まっているとのことで、いわば「主」のような存在だった。数日すると親しくなって、少し話をするようになった。

彼はインドネシア語ができた。まわりのインドネシア人と流暢に会話をしていた。半年の滞在で覚えてしまったのだという。そして、インドネシア語はじつに簡単だから君も覚えればいいと私に勧めてくれた。カタコト英語にさえ苦労している私にそんな語学的才能があるわけがないと、私はそのとき思った。

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それが私のインドネシア語との出会いであった。その後、私は東南アジア経済の勉強をやめてしまい、インドネシア語ともつながりをなくしてしまった。インドネシア語をあらためて意識したのは40代になってからのことだ。当時帝人社長だった安居祥策氏(現日本政策金融公庫総裁)にインタビューさせていただいたときのことである。安居氏はかつて帝人インドネシアの社長を務められたことがあり、インドネシア語ができる。40代でインドネシアに赴任してからマスターされたのだという。インタビューでインドネシアの話になったとき、安居氏はそれまでの厳しい表情を一変させ、とても嬉しそうに話をされていた。私のなかでもインドネシア語への興味がふたたびむくむくと沸きあがってきた。

インドネシア語は人口2億3000万人を擁するインドネシア共和国の公用語である。インドネシアは世界に冠たる多民族国家だ。言語の数は600以上あるとされる。インドネシア語はそうした多言語環境を束ねるためにつくられた人工言語である。交易に使われていた海峡マレー語を起源とするものの、どの民族にも属していない。現在は首都ジャカルタを中心にインドネシア語を母語とする人々が3000万人ほどいるとされるが、その他のインドネシア人にとってインドネシア語は教育や仕事の場だけで用いられる第二言語である。

インドネシア語は世界で最も習得しやすい言語だとされる。表記はローマ字で、発音文法ともにきわめてシンプルである。発音については母音中心で複雑な子音連続は存在しない。文法は語順がSVO構文で、Sは省略できる。動詞や代名詞は変化しない。冠詞や単複区別はない。語形変化は必ず規則的である。時制はない。インドネシア語は簡単だといった30年前のアメリカ人男性の言葉はどうやらウソではなかったようだ。

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だがこのようにシンプルな言葉であるがゆえに、インドネシア語に対しては誤解や批判も多い。誤解のひとつは、インドネシア語では複雑なことがうまく言い表せないのではないかというものである。具体的にはインドネシア語は学問や法律に向かないという意見だ。

これは明らかな間違いである。人間言語の本質的特徴は有限の要素を組み合わせて無限の表現を生み出せるところにある。したがって単純な文法構造であっても、あらゆる思想や思考を表現することが可能である。それに、もし単純な言語では複雑な思考が表現できないのであれば、印欧語族のなかで突出して単純な文法を持つ英語では複雑な思想や思考は表現できないことになる(実際つい最近までそうした考えを主張する知識人がヨーロッパにはたくさんいた)。

またインドネシア語への批判として挙げられるのが、インドネシア語のような人工言語では繊細な感情表現ができないのではないかというものである。これは正しい。こまやかな感情表現は母語でしかできないものだからだ。

ここでの問題点は、本質的に母語にしかできないことを人工的な共通語のインドネシア語に求めることが妥当なのかということである。結論からいえば、それは妥当ではない。リンガフランカはリンガフランカとしての機能を持つだけでよい。それ以上のことを期待するとすれば、それこそが間違いなのだ。

インドネシアにはジャワ語という言語がある。12世紀以上にわたり多くの文学作品を生み出してきた伝統と格式ある大言語だ。そしてジャワの学校では授業はインドネシア語で行われるが、生徒はジャワ語でおしゃべりをする。つまり理知の部分は第二言語のインドネシア語、情意の部分は母語のジャワ語を使っているのである。

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2億3000万人の人口を有し、600以上もの言語が存在するインドネシアという国では、リンガフランカは必要不可欠な存在である。そのリンガフランカに、最も強大かつ伝統ある民族の言葉であるジャワ語を採用するのではなく、商人たちの実用語であった海峡マレー語を採用したところに、インドネシア人の深い知恵があったのではないかと私は考えている。

かつてラザロ・ザメンホフが提唱した人工言語エスペラントは、さまざまな迫害を受けたこともあって、ついにその理想を実現することができなかった。ところが現在のインドネシアでは、600以上の異なる言語を母語とする2億3000万人の人々がインドネシア語という「東洋のエスペラント」を使うことで、その理想をまさに実現しているのである。これはたいへんな偉業なのではないだろうか。

ひるがえって現在の世界全体の言語状況をみてみると、米国の強大な影響力のもとに英語が世界のリンガフランカとしての地位をほぼ固めつつある。だがリンガフランカとしての英語はリンガフランカとしてのインドネシア語とは性質がまったく異なるものである。それはジャワ語がインドネシアの共通語になったようなものだ。強者の強者による強者のための言語支配なのである。これは言語的マイノリティにとってきわめて不利な事態である。そして私たち日本人もまたこの「言語的マイノリティ」の一員であることを忘れてはならない。

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最後に少しだけインドネシア語をご紹介しておく。私もこれを書いたことをきっかけに、これからはインドネシア語も勉強していきたいと考えている。

はい  Ya. (ヤ)
いいえ  Tidak. (ティダッ), Tak (タッ)
すみません   Maaf. (マアフ)
おはようございます  Selamat pagi (スラマッ・パギ)
こんにちは  Halo. (ハロ)
ありがとう  Terima kasih.(トゥリマカシ)
わかりません Saya tidak mengerti. (サヤ・ティダッ・ムングルティ)
私は日本人です。  Saya orang Jepang. (サヤ オラン ジュパン)
私の名前は ______ です。  Nama saya ______ . (ナマ・サヤ _____ .)
日本語は話せますか?  Bisa bahasa jepang? (ビサ・バハサ・ジュパン?)

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