成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

ゲゲゲの女房

2010年6月18日

NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」を毎日みている。マンガ家の水木しげるとその奥さんの自伝的作品だ。私は小さい頃から水木しげるのマンガの大ファンで、「悪魔くん」や「ゲゲゲの鬼太郎」などは何度読み返したかわからない。いまでも自宅にかなりの水木マンガがあり、ときどき読み返している。いつ読んでも面白い。

ラバウル戦線で左手を失いながらも九死に一生を得て帰国した水木は、見合いで遅い結婚をした。朝ドラ「ゲゲゲの女房」では、その後の夫婦の人生を描いている。ドラマはいま貸本マンガ時代のことを描いており、水木夫婦が極貧生活を続けているところだ。いいマンガを描いても描いても売れない、そんな時代のことである。

今日の回は、貧乏に追い込まれた水木が、業界誌向けのマンガを描こうと思い立ち、業者のところに出かけていったところ、ただ金のためだけに仕事をする人物に出会うという筋書きだった。「こうした新聞の読者はマンガのことなんかまったく気にかけていません。まあ刺身のツマ以下の扱いです。でも、いいお金になるのです」とその業者は説明する。というのも業界誌の数は非常に多いので、同じマンガを何度も何度も使いまわせるからである。財務的にいえば資産回転率がよいのだ。

結局のところ、水木は業界誌への掲載は諦めて、その代わりに表紙だけを少女マンガ風にして読者の気を引くことにした。怪奇的な絵柄で有名な水木だが、描こうとさえ思えば美少女だって描けるのである。

今日の回で印象に残ったのは、水木しげるの奥さんが零細出版社に原稿料の集金にいって、そこの奥さんと二人で話しこむシーンである。貸本マンガという時代遅れの仕事に熱中する旦那を持つ二人が、今後も貧乏続きの人生であることを覚悟する場面だ。

この場面をみながら、自分のことや自分の奥さんや子供たちのことをついつい考えてしまった。こんな文章を書いているかぎり、これからもお金がたくさん儲かることはないだろう。自分はそれでもよいかもしれないが、まわりのことを考えると、どうなのだろうか。もっとお金になるものを書くようにすべきではないかと思うのだけれど、いざ書きはじめると、それができない。結局、一部の人にしかわからないものばかりを書いてしまうのである。

いちど大手出版社の編集者の方に原稿をみてもらったことがあるのだが、いずれの評価も「出版は難しい」だった。内容的なコメントはなかったが、共通していたのは、これでは売れないということであった。自分なりの自信作だっただけに、ずいぶんとがっかりした。

その後もやはり「売れる」原稿は書けずにいる。なにも節度をもって書かないのではなく、ただ書けないのである。「ゲゲゲの女房」のなかで水木は、家に棲みついている貧乏神をときどき見かける。そんなとき水木が「お前、まだいるのか」というと、その貧乏神はニタッと笑うのである。我が家ではいまのところ貧乏神のすがたを見かけていないが、それは私が水木よりも霊力に劣るからかもしれない。

Categories: ことのは道中記 雑感