成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

ゴルゴ13とバカボンのパパ

2011年2月8日

さきの道中記で経済理論研究のトレンドとしてゲーム理論と経済物理学を紹介したので、ここではもうひとつの最新トレンドである行動経済学についてご紹介をしておきたい。行動経済学については、それをベースにしたコマーシャル(ベビーカーの種類が多すぎると逆に選択ができなくなってしまって売れない)を少し前にテレビでやっていたので、ゲーム理論や経済物理学にくらべれば、かなり世に知られているのではないだろうか。

経済物理学が物理学を経済学に応用したものであるように、行動経済学は心理学を経済学に応用したものである 。その最大の特徴は人間を非合理的存在と捉えるところにある。従来の経済学では人間は(少なくとも経済活動においては)理性的だというのが前提であった 。しかし行動経済学では人間はそもそも非合理的な存在であり、それは経済活動においても変わらず、そしてその非合理な経済行動は心理学的に分析可能だという前提に立っている。このように、従来の経済学と行動経済学では、依拠すべき前提つまり分析のパラダイム自体がまったく異なっているのである。

例えていえば、従来の経済学ではすべての人間をゴルゴ13とみなし、行動経済学ではすべての人間をバカボンのパパとみなすのである。ゴルゴ13は暗殺という目的の達成に向けて、つねに冷静な判断と緻密な計算のもとにみずからの行動を決めていく。いっぽうバカボンのパパのほうは、理性ではとても推し量れない行動を繰り返す。そしていつでも「それでいいのだ!」なのである。二人ともに30代後半から40代にかけての年代と思われるが、その個性はまさに対極にあるといってよい。もちろんゴルゴ13もバカボンのパパもマンガの主人公であるから非現実的な存在だが、理論というフィクションの構築にはこうした極端な前提の設定が重要である。トマス・ホッブスの『リヴァイアサン』をみよ。

では経済理論のモデルとしてはどちらが適しているのだろうか。ゴルゴ13なのか、それともバカボンのパパなのか。個人的には、どちらも捨て難い。

合理的判断が経済活動の基盤であると考えることには説得力がある。こうした合理的判断がなければ経済活動そのものが成り行かないからだ。しかしその一方で、そうした合理性の追求だけで経済活動が成り立っているとも思えない。たとえばゴルゴ13は天才スナイパーであり、暗殺のたびに巨額の報酬を手にするのだが、そうした手に入れた巨額の富を彼はいったい何に使っているのだろうか。贅沢三昧をしている様子はなく、暗殺した人間の子供たちのための慈善基金を創設しているわけでもあるまい。すなわちゴルゴ13の行動は一見合理的にみえるが、突き詰めていくと暗殺のための暗殺にすぎず、非合理的なのである。ひょっとするとゴルゴ13は単なる殺人マニアなのかもしれない。

いっぽう、バカボンのパパの行動はたしかにハチャメチャだが、しかし彼はけっして人をむやみに傷つけたりはしない。さらに家族に対してはじつに節度をもって接している。つまり彼は一見非合理的な活動を繰り返しているようにみえるが、しかし根底においては合理的な判断をくだしているのである。一流のコメディアンが一見ムチャクチャにみえながらも最後の一線は越えないという冷静な判断をくだしているのと同じである。

私自身は人間とは『マクベス』に出てくる三人の魔女たちのいうように「きれいできたない、きたないできれい(Fair is foul, and foul is fair.)」存在だと思っているので、経済活動の理論基盤についても合理か非合理かの二者択一ではなく「合理は非合理、非合理は合理(Rational is irrational, and irrational is rational.)」でよいのではないかと思う。したがって従来の経済学も行動経済学のいずれの理論も受け入れていきたいと考えている。皆さんはどう思いますか?

Categories: ことのは道中記 雑感