成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

スピノザ

2010年11月23日

スピノザという哲学者の名前を知っているひとは、それほど多くはないだろう。バールーフ・デ・スピノザ、または、ラテン語でベネディクトゥス・デ・スピノザ。1632年にオランダのユダヤ人家庭に生まれて1677年に死んだ。享年44歳。

スピノザは若い頃に敬虔なユダヤ教徒の家族と絶縁し、長じてはドイツの国王から招聘を受けた大学教授の座を固辞した。家庭を持たず、アムステルダムの片隅にある下宿宿の小さな部屋で、レンズ磨きをしながら一人きりのつつましやかな生計を立てた。汎神論と呼ぶべきその哲学思想は、当時のキリスト教とユダヤ教の双方から危険な無神論として激しく非難された。そのため、みずからの思想を世に発表することはできなかった。主著『エチカ』が世に発表されたのはスピノザが死んでからのことである。生涯、冨や栄誉とは無縁であり、家庭にも恵まれなかった。しかし性格はきわめて穏やかで明朗であり、人々への思いやりに満ちていたという。

当時のヨーロッパ社会においてスピノザはあらゆる点で異端であった。まさに孤立無援の状態だった。しかしそのなかでも隠遁という名の逃避を行うことなく、社会とつねに真正面から向き合っていた。学問という名のサンクチュアリに逃げ込むことはなく、現実の政治に積極的に参画しようとした。誰にも媚びず、誰とも群れず、しかし、誰からも逃げ出そうとはしなかった。

私にとってスピノザは特別の存在である。多くの方と同じように、私も若い頃には、いわゆる存在不安をかかえて生きていた。どのように生きるべきかのモデルを見つけることができなかった。その苦しいなかで出会ったのが、スピノザの『エチカ』だった。

そのときから、『エチカ』はいわば私の経典となった。正直なことをいえば、その内容はいまでもよくわからない。矛盾に満ちているとも思う。だがそんなことはどうでもよい。『エチカ』は私が生きていくうえでの道標なのである。聖書を読んでも歎異抄を読んでも見つけられなかったものが、そこにはある。

スピノザがいたという事実そのものが、私には大きな福音である。そうだ、スピノザのように生きればよいのだと、いつも思う。そしてそうやって生ききったのち、永遠の相へと戻っていけばよいのである。

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