成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

デミングとドラッカー

2010年4月29日

いま、Peter M. Sengeの“The Fifth Discipline—The Art & Practice of the Learning Organization”を読んでいる。その新版序文のなかに、「品質管理の父」エドワード・デミング博士のことが紹介されている。じつは私自身、デミング博士の業績のことは知っていても、博士がどのような考えの持ち主であったのかは、この本に出会うまで知らなかった。知ってみて驚いた。そこには私自身ずっと感じていたことが、はるかに明確なかたちで語られていたのである。

Sengeへの手紙のなかで、デミング博士は次のようにいう。「人間とは、本来豊かな創造性に満ちており、幸せになれる存在である。ところが、いまの組織のあり方が、人間を駄目にしている。その理由をたどっていくと、現代社会の根本的なあり方にまで行き着く。誰もが、幼児の頃から競争へと追い立てられ、無意識のうちに本当の自分を見失っているのだ」。

別のところで博士は次のようにもいう。「本当に大切なことで数値化できるのは3%にすぎない」(もちろんこれはデミング一流のジョークでもある。3%という数値化をいったいどうやって行ったのか)。

かつては「管理社会」という言葉をよく耳にしたが、最近ではあまり耳にしなくなった。これは現代社会が管理社会ではなくなったからではなく、それがあまりにも当たり前になったので、もはや誰も気づかなくなっているのではないだろうか。おそらく私たちの多くが、無意識のうちに本当の自分をすでに見失っているのだ。

デミング博士の言葉に深く心を動かされながら、もう一方で思い浮かべていたのは、「経営学の父」ピーター・ドラッカーの言葉だった。30代の頃、私はドラッカーの著作を傾倒して、むさぼるように読みふけっていた。そのドラッカーのマネジメント論について、経済学者の安富歩が自著『生きるための経済学 <選択の自由>からの脱却』(NKKブックス)のなかで紹介している。ドラッカー思想の本質をこれほどまで簡潔かつ明快にまとめた文章に出会ったのは、30年近くドラッカーを読んでいてはじめてのことだ。以下、その一部をご紹介する。

(以下、引用)組織においてもっとも大切な部分は、外部との接点である現場である。その現場に携わる人々にフィードバックを返すのが、マネジメント(中間管理者)の役割である。そのフィードバックは、現場の人々が自分の状態を正しく把握するために行われるものであり、監視して奨励するためのものではない。必要なことは、評価することではない。評価は人をハラスメントにかけ、創発性を失わせる。フィードバックすることと、評価することとの違いを認識することが、大切である。

そしてトップ・マネジメント(経営者)は、マネジメント(中間管理者)にフィードバックを返すとともに、組織全体が何を目指すのかを決定する役割を担う。利益は目標とはなり得ない。利益は、組織の運営を維持できるかどうかを決める条件にすぎない。利益が出る事業は継続可能であり、利益の出ない事業は継続不能である。しかし、その組織が何を目指すべきかについては、利益は何も教えてくれない。それを考えるのがトップ・マネジメントの仕事である。

組織のマネジメントの根幹は、マーケティングとイノベーションである。マーケティングは何かを売りつけるための手管ではない。それでは「販売」である。マーケティングとは、その組織が外部から何を求められているのかを察知し、それに組織の作動を適応させることである。この適応のために、自分自身を常に変えることが、イノベーションの本質である。もしマーケティングとイノベーションとが、完全にできるのであれば、販売は必要がなくなる。

これがドラッカーのマネジメント論の根幹である(引用、終わり)

ドラッカーのマネジメント論は、人間とは本来豊かな創造性に満ちており幸せになれる存在であるというデミングの思想を基盤とするものである。そのことは上記の安富の文章を読めば誰にでもわかることであろう。

かくしてデミングとドラッカーという二人の巨人から私たちが学べることは、もはや明白である。すなわち、いまの社会や組織のあり方は明らかにおかしいのである。そして、このおかしな社会や組織のあり方を根本から変えていかなければならない。

そのために最初に行わなければならないのは、私たち自身の意識変革である。いまの自分にとらわれず、安富のいう他者からの精神的ハラスメントを断固としてはねのけ、つねにお互いに学びあいながら、新たな自分をつくっていく必要がある。大事なことは、まず自分を変えることだ。なぜなら、私たちの最大の敵は、私たち自身だからである。


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