成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

上田敦生のドラッカー翻訳

2010年11月8日

先の道中記で述べたように、原文至上主義では原文の意味をまさに「言葉どおりに」正確に写しとることが絶対条件であり、翻訳の「正しさ」を維持するためには訳文の読みやすさはある程度犠牲にしてもよいとされてきた。こうした歪んだ翻訳観のもと、読むに堪えない翻訳書がいまも世の中に跋扈している。

だがすべての翻訳書がこうした誤った翻訳観に毒されているわけではない。数は少ないが非常に優れた翻訳書もある。たとえば上田敦生のドラッカーの翻訳がそのひとつだ。

いまから30年ほど前、私は翻訳書というものに辟易していた。とにかくとても読めたものではない。そもそも日本語になっていないのだ。あまりのひどさに憤慨していたなかで出会ったのが、上田のドラッカー翻訳書だった。

最初に読んだのはたしか『経営者の条件』(The Effective Executive)ではなかったかと思う。一読して驚いた。読めるのである。それもすらすらと読めるのである。名文ということではない。そういうことではなく、ドラッカーがいいたいことがそのまますっと頭のなかに入ってくるのだ。まるで普通の、そしてきわめて良質の、もともと日本語で書かれた本を読んでいるかのようであった。

その日から私は上田のドラッカー翻訳の大ファンとなった。上田が訳したドラッカーの翻訳書を次から次へと読んでいった。数か月でドラッカー全集のほぼすべてを読んでしまった記憶がある。その後はドラッカーの原著も読むようになったが、おかしなことに私にとって上田の訳書のほうが本当のドラッカーのように思えてしまうのだ。むかし「刑事コロンボ」というアメリカのテレビ番組があって、その吹き替えを小池朝雄という声優がおこなっていたが、それがあまりにもコロンボにぴったりで、その後にオリジナルのコロンボの声を聞いたときにはどうにもしっくりこなかった。それとおなじことが、私にとって上田とドラッカーのあいだにも生じてしまったようである。

では、ここからは実際に上田のドラッカー翻訳がどのようなものかをみてみよう。以下は、Managing the Nonprofit Organization – Principles and Practice(訳書名『非営利組織の経営』)のChapter 1 The Commitmentのなかの一節である。まず原文をのせ、つぎにそれに対応する上田訳をのせておく。

The task of the non-profit manager is to try to convert the organization’s mission statement into specifics. The mission may be forever—or at least as long as we can foresee. As long as the human race is around, we’ll be miserable sinners. As long as the human race is around, there will be sick people. And, as long as the human race is around, there will be alcoholics and drug addicts and the unfortunate. For hundreds of years we’ve had schools of one kind or another trying to get a little knowledge into seven year-old boys and girls who would rather be out playing.
But the goal can be short-lived, or it might change drastically because a mission is accomplished. A hundred years ago, one of the great inventions of the late nineteenth century was the tuberculosis sanatorium. That mission has been accomplished, at least in developed countries. We know how to treat TB with antibiotics. And so managers of non-profits also have to build in review, revision, and organized abandonment. The mission is forever and may be divinely ordained; the goal are temporary.

Managing the Nonprofit Organization – Principles and Practice,
Peter F. Drucker, Collins, p.5


ミッションの具体化
次の仕事はミッションの具体化である。ミッションそのものは永遠のものでよい。人類あるかぎり罪人はいる。人類あるかぎり病人もいる。アルコール中毒者もいる。麻薬中毒者もいる。不運な人もいる。教えるべきことを教えるべき遊び盛りの七歳児もいる。
しかし、目標は具体的でなければならない。目標は達成されて変わることがあって当然である。100年前には結核患者のためのサナトリウムが社会的イノベーションだった。今日では、少なくとも先進国ではその目標は変わってしまった。抗生物質のおかげである。
あらゆる非営利組織が、活動の点検、改訂、廃棄を体系化しておかなければならない。ミッションは永遠であって神の定めのものかもしれない。だが目標は常に具体的であるべきである。

『非営利組織の経営』 ドラッカー名著集 
P・F・ドラッカー著、上田敦生訳 ダイヤモンド社 p.5

いかがだろうか。参考として上記部分の直訳(成瀬)を以下に載せておく。

非営利組織の管理者の仕事は、その組織のミッションに関する声明を具体的なものへ変換しようとすることである。そのミッションは永遠かも知れない――あるいは少なくとも我々が予見できる限りにおいては。人類が存在する限り、我々は惨めな罪人であろう。人類が存在する限り、病気の人々はいるだろう。そして、人類が存在する限り、アルコール中毒者と薬物中毒者、そして不幸な人々はいるだろう。数百年間、我々はむしろ外で遊びたい7歳の少年少女に少しの知識を入れようとする、ある種または別の学校を持ってきた。
しかしその目標は短命であることができるか、あるいはミッションが達成されるがゆえに劇的に変わるかも知れない。百年前、19世紀末期の偉大な発明の一つは結核療法所だった。そのミッションは、少なくとも先進国では達成されてしまっている。我々は結核を抗生物質で治療する方法を知っている。そしてそのために非営利の管理者たちも、再検討、改訂、および組織化された放棄を組み入れなければならない。ミッションは永遠であり、神の力で定められるのかも知れず、目標は一時的である。

上田訳がいかに直訳とかけ離れたものであるかは一目瞭然である。ここまでかけ離れているのかと驚かれた方もいるのではないか。そもそも原文にない小見出しがついている。さらには原文は2パラグラフであるのに訳文は3段落である。かなりの部分が意図的に削除されている。そして、こうした処理が施されていることによって、直訳にくらべて上田訳は圧倒的に読みやすい。

そこで第一パラグラフについて直訳と上田訳とを比較しながら検討してみることにしよう。

非営利組織の管理者の仕事は、その組織のミッションに関する声明を具体的なものへ変換しようとすることである。そのミッションは永遠かも知れない――あるいは少なくとも我々が予見できる限りにおいては。人類が存在する限り、我々は惨めな罪人である。人類が存在する限り、病気の人々はいるだろう。そして、人類が存在する限り、アルコール中毒者と薬物中毒者、そして不幸な人々はいるだろう。数百年間、我々はむしろ外で遊びたい7歳の少年少女に少しの知識を入れようとする、ある種または別の学校を持ってきた。(直訳)

次の仕事はミッションの具体化である。ミッションそのものは永遠のものでよい。人類あるかぎり罪人はいる。人類あるかぎり病人もいる。アルコール中毒者もいる。麻薬中毒者もいる。不運な人もいる。教えるべきことを教えるべき遊び盛りの七歳児もいる。(上田訳)

まず第一センテンスの

The task of the non-profit manager is to try to convert the organization’s mission statement into specifics.

に対する直訳は

非営利組織の管理者の仕事は、その組織のミッションに関する声明を具体的なものへ変換しようとすることである。

である。これに編集を加えると、たとえば次のようになる。

非営利組織のマネジャーの仕事は、組織のミッションステートメントを具体的に実行することである。

おそらくこれが現在の一般的な翻訳の手法であろう。だが上田訳は違う。以下のようになるのである。

次の仕事はミッションの具体化である。

the non-profit managerもconverもstatementもみな訳されていない。しかしこれで十分なのである。

さて次のセンテンスである。

The mission may be forever—or at least as long as we can foresee.

直訳は以下のとおりだ。

そのミッションは永遠かも知れない――あるいは少なくとも我々が予見できる限りにおいては。

編集を入れると例えば次のようになる。

ミッションは、少なくとも我々の見通せるかぎりでは、永遠といってもよいだろう。

しかし上田訳はこうなる。

ミッションそのものは永遠のものでよい。

or at least as long as we can foreseeが訳されていない。もちろん訳し忘れではない。上田が敢えて省いたのだ。もし翻訳コンテストでこんな訳文を出せば、一次審査で必ず落とされる。

次の部分である。

As long as the human race is around, we’ll be miserable sinners. As long as the human race is around, there will be sick people. And, as long as the human race is around, there will be alcoholics and drug addicts and the unfortunate.

直訳とその編集版は以下のとおりだ。

人類が存在する限り、我々は惨めな罪人であろう。人類が存在する限り、病気の人々はいるだろう。そして、人類が存在する限り、アルコール中毒者と薬物中毒者、そして不幸な人々はいるだろう。

人類のあるかぎり人はみな惨めな罪人である。人類のあるかぎり病人は耐えない。アルコール中毒者、薬物中毒者、不幸な人々も絶えることはないだろう。

上田訳はさらに簡潔になっている。

人類あるかぎり罪人はいる。人類あるかぎり病人もいる。アルコール中毒者もいる。麻薬中毒者もいる。不運な人もいる。

文がぶつ切りになっていることも上田訳の特徴のひとつだ。

さて最後のセンテンスである。

For hundreds of years we’ve had schools of one kind or another trying to get a little knowledge into seven year-old boys and girls who would rather be out playing.

直訳は以下のとおり。

数百年間、我々はむしろ外で遊びたい7歳の少年少女に少しの知識を入れようとする、ある種または別の学校を持ってきた。

たとえ直訳の信奉者だとしても、これでよいという人は、さすがに少ないだろう。そこで編集を加えると以下のようになる。

また、外で遊びたがる7歳の子供たちを教育するために学校ができてから、すでに数百年がたっている。

ここまで変えてしまうと一部からは「意訳」として排除する意見も出るかもしれない。

しかし上田訳の「意訳」さは、そんなレベルではない。

教えるべきことを教えるべき遊び盛りの七歳児もいる。


☆☆☆


一般の翻訳作法からみて上田敦生の翻訳がいかに「非常識」かがおわかりになったことと思う。だがこのように非常識であるがゆえに、上田の翻訳は読める。すらすらと読める。ドラッカーが伝えたいことがすっと頭のなかに入ってくる。そして、この上田の翻訳があったからこそ、ドラッカーの思想がここまで広く深く日本人に受け入れられたのではないかと私は考えている 。

上田のような翻訳を成立させることは尋常なことではない。日本語の卓越した力量、英語の卓越した力量、広く深い知識、卓越した翻訳技術と長年の経験、そしてなによりも原著者との緊密な心のつながりが必要不可欠である。ドラッカーの翻訳に関して上田はこれらの条件をすべて満たしていた。まさに稀有の例である。

したがって私たちが最初から上田のような翻訳を目指すことは無理である。まずは日本語力を磨き、英語力を磨き、知識をしっかり身につけ、翻訳の技術と経験を積み重ねていくことが必要だ。そのうえで、もし運命の人と出会ったならば、その人の訳者となればよい。いずれにしろ、道は遠く長い。あせらずに一歩一歩前にすすむ以外、ほかに方法はない。

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