成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

介護と外国人

2010年11月29日

今日(2010年11月29日)の「あらたにす」サイト(朝日、読売、日経3紙の合同ウェブサイト)のコラム「新聞案内人」で、経済学者で東大教授の伊藤元重が「介護・育児に外国人活用」を拒む異常と損失」というタイトルが意見を述べている。伊藤はまず台湾の友人家族がフィリピンからの外国人介護者を使ってうまく生活している例を挙げた後、つぎのようにいう。

(同上コラムより引用)
これと比べると、日本の光景は少し異様に映る。母親の介護のために50歳そこそこで仕事を断念してしまう女性を何人も見てきた。介護の手助けをしてもらう人もいないので、娘が仕事を断念せざるをえないのだ。キャリアでがんばってきた人たちが、毎週末に東京から地方の親の元へ介護に出かけるという話もあちこちで聞く。親の世話をしに行くのは当たり前のことかもしれないが、こうした人たちの中にも海外の人材でもよいからもう少し低コストで介護の手助けをしてくれる人がいればという話はよく聞く。
(引用おわり)

ところが日本社会には外国人労働者を受け入れるという土壌がまだ育っていない。受け入れをオープンにしたようにみせてはいても実際には暗黙の締め出しを続けているという例も数多い。こうした社会のあり方を伊藤は「異常」であり「損失」であるとする。

ここでの「異常」とはつまり他国と大きく異なっているということである。少なくともアジア諸国やヨーロッパ諸国と比べてみれば、こうした日本のあり方は確かに異常である。そして超高齢化社会を迎えた現代日本においては、その歪みが介護負担として女性に大きくのしかかってきているのである。伊藤は次のようにいう。

(以下引用)
高齢者の数が少なく、女性の大半が常勤の職につかないような時代であれ介護や家事労働を他の人に助けてもらう社会的なニーズは少なかったのかもしれない。わざわざフィリピンやインドネシアなどから人に来てもらってそうした仕事をしてもらう必要性を感じた人も少なかっただろう。しかし、世界的に見ても異常なほどに家事労働や介護の人材流入を規制する日本の制度は、少子高齢化の先頭を走り続ける日本の現状とは明らかにそぐわない。介護疲れで多くの殺人まで起きているにもかかわらず、日本人だけで介護の人材は十分であると考えているのだろうか。
(引用おわり)

「損失」というのは、このような状況であるがゆえに、日本では女性がキャリアを積み重ねていくことがきわめて難しいということである。すでに誰もが知るように、現代知識社会では男女の能力差などあり得ない。にもかかわらず、日本の女性が職業キャリアで成功している例は他国と比べるときわめて低い。人口の半分は女性であるから、日本という国は経済的側面からみると人口の半分を有効活用していないことになる。こうした状況について伊藤は次のように述べる。

(以下引用)
日本の人口の半分が女性であり、その女性の労働力参加率が世界的に見ても異様に低く、そして多くの優秀で有能な女性が介護や育児のために泣く泣くキャリアを断念する状況は、この際、是が非でも是正しなくてはいけない。ある人が言っていた。「日本は人口の半分を有効に活用していない。もしこれが有効に活用できれば、その経済的な利益は巨大な規模になる。それだけ日本に潜在的なポテンシャルがあるのだ」、と。
(引用おわり)

日本に日本なりの文化伝統というものがあり、このようになんでもかんでも他国との比較や経済活動という側面からみることには大きな違和感を持つという方も多くいらっしゃるだろう。だがここで述べたいのは、モノゴトを「他国との比較や経済的側面だけから見る」ということではなく、従来の見方とともに「他国との比較や経済的側面からも見る」ということである。従来の見方だけにとらわれていては、今までにない状況のなかでは対処できないことが数多くあるからである。今回のような核家族社会のなかでの超高齢化という事態はまさに「今までにない状況」であり、それに対処するためには従来の見方だけでは不十分なのだ。

いずれにしろ介護という問題を女性だけに押し付けてよいはずがない。男性もまた一緒に対処していかなければならない。だがその際に男性たちが、では妻の代わりに私が介護休暇をとりましょう、いや私が職を辞して介護をいたしましょう、ということが、はたして正しい選択肢であろうか。そんなはずがない。もっと知恵のある解決策があるはずだ。そのひとつの考え方が外国人介護者の導入というものである。伊藤は最後に次のようにいう。

政府は成長戦略でいろいろな政策を掲げているが、介護と育児で苦しんでいる女性のために、海外から多くの支援の人材を導入できるような制度を構築することが、もっとも即効性があり、かつ強力な成長促進策であるかもしれない。(同上)

最後にもう一度いうが、介護の問題は女性だけの問題ではなく、男性の問題であり、日本社会全体の問題である。私自身、妻の介護のためにキャリアを捨てなさいといわれれば、はたしてどうするのだろうか。おそらく捨てるのだろうが(たいしたキャリアじゃないので)、しかしできれば捨てたくはない。もし外国人の介護者に支援をお願いできるのであれば、まず間違いなくそうするだろうと思う。愛すべき伝統的な日本社会に新たな異物が入ってくることの軋轢と問題点を十分に踏まえながらもである。人間と同様に社会もまた本質的に動的な存在である。不断の変化を続けながらも、そのなかでつねによいバランスを模索していくしか、うまく生き続ける方策はほかにない。

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