成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

内なる情報処理

2011年5月3日

(以下、『進化しすぎた脳』 池谷裕二 ブルーバックス pp352-4より引用)

池谷
たとえば、いま僕の前に小机があるよね。これを30センチメートルほど手前に引いて動かしてみよう。僕らは、これが先ほどと同じ机だということが認識できるけど、網膜に映った情報だけで視覚が生み出されたとしたら、少し位置がずれただけでも、同じ机だとわからなくなってしまう。おそらく、脳の中では、デジカメの映像とはまったく違う処理が行われているような気がしてならないんだ。その1つは何かというと、トップダウン処理なんだよね。

視覚の例でいえば、ボトムアップというのは目の網膜から伝わってくる「外の世界に冠する情報」の処理で、トップダウンというのは脳の中で発生している「内なる情報」の処理。強い証拠があるわけではないんだけれど、僕は、トップダウン処理を担当しているのは自発行動だという仮説を立てている。位置や光の当たり方が変わっても机を机と認識できるためには、トップダウン処理が働いて「これは机なんだ」と信じ込ませるような強力な機構がないと、机を机とする安定した認識は生まれない気がする。机の存在を認識するためには、あまりにも外界からの情報が少ないし、そもそも外界は変化しやすいからね。

学生U
記憶と、記憶の中にあるカテゴリー化ですね。

池谷
そうそう。机とはかくあるものという情報が記憶の中に保管されていて、網膜からあがってきたわずかな情報を手がかりにして、「机」だと思い込むための機構が作動する。だって、視神経は100万本しかないわけだ。僕たちの目は、本来ならば、100万画素のデジタルカメラ程度の解像度しかない。この程度の画素数では、直線だってギザギザの線にしか見えないはずなんだ。でも僕らには机の輪郭がギザギザに見えたりしないよね。これは、脳の中で、不足した情報が充填されて、直線であるかのように思い込まされているだけだと思う。こんなことは、コンピュータのようなボトムアップ処理だけでは決してできない。
おそらく、脳の大部分の情報は、トップダウン方式によって埋め込まれたものだろうね。視覚の話に限れば、3%しかボトムアップがないから、残り、97%が埋め込み処理だ。こうしたことを考えていくと、自発活動は、単なる無秩序な脳のノイズじゃない。
(引用おわり)

うえの池谷さんの論によると、私たちの脳の中にある情報の大部分は、外界から直接に得たものではなく、脳の中であとから自分で生み出したものである。視覚の場合には、なんと97%もの情報が、外界からではなく、脳内で自分が生み出した情報だという。そうした「内なる処理」が行われることによって、直線がギザギザではなく直線として見えるのだ。池谷さんは、この脳内での情報処理のことを「トップダウン処理」と呼び、コンピュータのような情報処理を「ボトムアップ処理」と呼んでいる。

こうした「トップダウン処理」は、視覚だけではなく、聴覚でも行われている。たとえば、私たちが他者の言葉を聞いているとき、相手の言葉をすべて聴きとっているわけではない。視覚のように3%だけということはないだろうが、おそらく半分以上は聞いていない。たとえば、語尾の「~です」の「す」の部分は、ほとんど聞いていない。じつは、普通の会話では、「~です」の「す」は、実際に音が出ていない。しかし、それでも私たちは、そこに「す」の音があると認識している。自分の脳の中で、あとから「す」の音を生み出したのである。池谷さん風にいえば、聴覚からあがってきたわずかな情報を手がかりに、その音が「です」であると思い込むための機構が脳内で作動したのである。

ところがこうしたトップダウン処理が、英語になると、日本人にはできない。たとえば、on, in, from, atなどの英語の多くの前置詞は、実際には、音は出ていない。「~です」の「す」と同じことである。だから、コンピュータのような「ボトムアップ処理」しかできなければ、それは聴こえない。日本人の英語の聴き取りは、この状態にある。しかし英語のネイティブは、それらの音を、無意識のうちに脳の中で自分で生み出している。「トップダウン処理」をしているのだ。だから、その実際にはない音が、ちゃんと音として聴こえるのである。

では、どうすれば、この英語のトップダウン処理が、私たちにもできるようになるのだろうか。池谷さんによると、その1つの秘訣は、多くの経験を通じて、「予測力」を高めることにある。また、事前に準備をして、情報を待ち構えておくことも必要である。以下の、そのことに関する池谷さんと学生たちとの会話を紹介しておく。

(ここから引用)
学生U
話は変わりますが、300年くらい前に数学者ライプニッツが、意識に上る前の段階では、ふだんはレベルが低くて外には現れない微小な表象が頭の中に蓄えられ、それがふとしたきっかけで突出してくると言っていますね。取り出しやすいように意識下で微小な形で表出を繰り返しているのではないでしょうか。

学生T
何かが起こってから、特定のカテゴリーにある情報が取り出されるのでは遅すぎるのかもしれないね。むしろ、自発活動で、そういう情報に常時アクセスしているから、さまざまな状況にとっさに対応できる。

池谷
そうそう。ついでに、プラスしたいんだけど、脳の自発活動には、予期というか、推測のようなものがなくてはいけないと思う。みんなは、僕が次に何をしゃべるだろうと予想を立てながら聞いているから、すんなりその場で、僕の話を理解できるわけだよね。
 だから、たとえばコンピュータに知能をもたせようと思ったら、経験を習得させることが重要になってくる。経験に基づいてその瞬間瞬間に予測を行って、その予測が外れたら、その外れたという経験を通じて、将来より精緻な予測を行っていく。知能というものは、そういう試行錯誤を積み重ねて予想の精度を高めていく能力が根底になくてはいけない。
(略)
 そんな感じで、脳の中にある程度の予備知識的な情報がないと知能は生まれない。経験がないと予測なんてできやしない。記憶や予測は知性の必要条件だね。
(引用おわり)

「経験に基づいてその瞬間瞬間に予測を行って、その予測が外れたら、外れたという経験を通じて、将来より精緻な予測を行っていく」というのは、私のいう「動的な読み」と同じである。そして、動的な読みの能力、つまり、試行錯誤を重ねて予想の精度を高めていくことのできる能力こそが、知能の根底である。私たちは、英語においても、この能力を高めていかなければならない。

そしてこうした予測をするためには、予備知識的な情報が、脳の中になければならない。経験がないと、予測はできないのだ。これをリーディングに引きつけていえば、豊かな読書経験が不可欠ということになる。それまでの英語の読書量が、脳の中で英語のトップダウン処理を生み出すための源泉なのである。皆さんに、できるかぎりたくさんの英語の本を読んでもらいたいのは、このためである。たくさん読めば読むほど、トップダウン処理の力が増強され、読むことが楽になっていく。そして読むことが楽になればなるほど、もっとたくさんの英語の本を読むことができるようになる。こうした好循環を意識的に生み出すこと、英語学習の要諦である。

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