成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

内田樹の日本経済論

2010年10月3日

内田樹という社会学者がおもしろい。売れっ子なので、その名前を知っているひとも多いかもしれない。

私の専門領域のひとつは経済だが、その分野でいままっとうなことをいっているのは、私の知るかぎり内田のほかに数人だけである。まっとうなこととは、すなわち日本経済がこれから成長することはあり得ないという事実である。日本は今後も人口が減少するうえに高齢化していくのだから、経済原理からいって当たり前のことである。

ところが、新聞では日本経済をいかに成長させるかが毎日のように延々と語られ、政治家たちも、それにあわせたかのように経済成長に向けての政策をつぎつぎと打ち出していく。こうした状況について、内田は次のように述べる。

(以下、読売新聞のサイトから引用)
――経済が停滞し、民主党政権も経済界も、「成長戦略」「景気回復」を掲げています。
内田 ビジネスマンはみんなそうです。ビジネスの世界は右肩上がりしかないですから。右肩上がりか、つぶれるかです。
――でも、右肩上がりの成長はもうないと、多くの人が感じているのではないですか。
内田 そうです。だからあれは大本営発表です。もう勝ちはないと分かっているのに、「皇国の興廃この一戦にあり」と言っている。みんな成長はないと分かっていて、「成長はないけど、どこで手を打ちましょうか」という段階なのに、だれもそれを言えない。
長期低落傾向にあっても日本には十分余力があるので、それをうまく回していけばけっこう住みよい国がつくれる、という提言を経済人も政治家もしない。最もリアリティーのある提言で、みんなそれを聞きたい。
(引用終わり)

内田のいうとおりである。いま私たちに必要なのは、経済の「成長」戦略ではなく「軟着陸」戦略である。そしてうまく軟着陸さえできれば、これからの日本はかなりよい国になるはずである。ここでいう「よい」とは「強い経済力がある」国ということではなく「けっこう住みよい」国ということである。

こういうことをいうと、経済の専門家とされる人ほど鼻先でふふんと笑いとばすものだ。強い経済こそがすべての基盤であり、それなしでよき社会など成り立たないというわけである。そしてそうした思考の果てにたどり着くのが、なんとしても経済を成長させなければ日本に明日はないという結論であり、そのもとに内田のいう「大本営発表」が繰り返される。これは日本と日本人にとってきわめて非生産的なことであり、かつ危険なことである。

「長期低落傾向にあっても日本には十分余力があるので、それをうまく回していけばけっこう住みよい国がつくれる」という内田の感覚は、たしかに鋭い。ただし「十分余力がある」というのは、現在の生活水準を今後も保っていけるということではないことに注意したい。経済的な豊かさについては今後低下せざるを得ない。言い換えれば日本人は今よりも貧乏になる。大事な点は、今よりもどのぐらい貧乏になり、同時に、今よりもどのぐらい幸せになることができるか、ということを、深く考え抜き、その具体的方策をつくりだすことである。

こうした発想は、経済を専門をする人たちにはできない。なぜなら、彼らにとって「経済的に豊かになること」と「幸せになること」とはイコールだからである。したがって、今よりも貧乏になりつつ今よりも幸せになるための提言など、彼らには浮かぶはずもない。

しかし実際には、現在の日本にとってそれこそが「最もリアリティーのある提言」なのである。そしてそうした提言ができるのは、固定観念に縛られている経済の専門家などではなく、内田のようないわゆる素人衆である。今後、内田のような素人衆がもっともっと発言を増やしていけば、日本の経済運営も、よい方向に向っていくのではないだろうか。

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