成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

受動態

2010年6月16日

受動態には4つの機能がある。

第1の機能は、センテンスの「トピック」を変えるための方策である。たとえばJapan Blue defeated Netherlands Orange.とNetherlands Orange was defeated by Japan Blue.とでは、センテンスのトピックが異なる。前者のセンテンストピックはJapan Blue、後者のセンテンストピックはNetherlands Orangeである。もし今回のワールドカップで実際にそうなれば(結果は19日に出る)、日本の英字新聞の見出しは間違いなく前者のようになるだろう。一方、ヨーロッパの新聞では後者のようになるはずだ。

このように能動態と受動態ではセンテンスのトピックが異なる。ということは「意味」が異なるということである。したがって意味を違えずに能動態を受動態へ書き換えることはできない。今でも学校の英語テストで「以下の英文を受動態に書き換えなさい」などといった設問が出題されているとすれば、それに対する正解は「意味が違ってしまうので、できません」である(ただしこう書いて点数がとれなくても当方は関知しない)。

第2の機能は、「能動態での文法的主語が不明である」ときの方策である。英語はその言語的特質として文法的主語をつねに必要とする(命令文を除く)。ところが、場合によってはその主語が不明な場合がある。たとえば財布を盗まれたとする。しかし誰が盗んだのかはわからない。そんなとき受動態を使ってMy wallet was stolen.といえばよい。もちろん誰かが盗んだのだろうからSomeone stole my wallet.といってよいが、たとえば団体旅行でみんなの前でこういう言い方をすると、かなり角が立つ。

第3の機能は、「能動態での文法的主語を敢えて隠す」ための方策である。たとえば企業がレイオフを実施する際にA large number of employees will be laid off.と受動態で書けば誰がレイオフを実施するのかをいわなくてもすむ。一方これを能動態で描写するとThe management will lay off a large number of employees.となってレイオフを実施するのが経営陣であることが明確になってしまう。経営陣としてはこれは困る。

第4の機能は、「客観的なイメージをかもし出す」ための方策である。科学関連や法律関連の英文ではIやWeなどの行為主体が前面に出ることはまずない。客観的イメージが崩れるからである。科学者たちや法律家たちは自分が客観的ではないとみられることを極端に恐れるものである。そこで客観的にみられるように受動態が用いられる。たとえばWe will explain a new approach of waste management.ではなくA new approach of waste management will be explained.とされるのが普通である。

以上、受動態の4つの機能のうち第1の「トピック変更」と第2の「主語不明対応」は、受動態が本来持つべき機能である。受動態を使ってトピックを変えることで文章全体の流れはスムースになる。行為者が不明なときには受動態を使わざるを得ない。

一方、第3の「主語隠し」と第4の「客観偽装」は受動態の悪用ともいうべきものである。「主語隠し」は責任逃れに用いられることがきわめて多い。お役人などは自分に都合が悪くなると受動態ばかりを使うのが常のようだ。多くの科学者や法律家は客観性つまり頭の良さを装うためにほぼすべてのセンテンスを受動態で書くクセがついてしまっている。困ったことだ。

こうしたことから、この第3、第4の受動態の機能については極力使わないようにするべきだと英米の文章専門家は指摘している。だが、実際の英文はいまでもこうした受動態のオンパレードである。責任をなんとかして逃れたい、みんなから頭が良いようにみられたい、というのは、私たち凡夫の共通かつ普遍の願いなので、おそらくこの二つの受動態の用いられ方は、今後も決してなくならないことだろう。

さてここで私たち日本人英語学習者にとって重要なことは、受動態には「トピック変更」と「主語不明対応」という本来の機能のほかに、「主語隠し」「客観偽装」という悪用方法があるということを、まず明確に認識しておくことである。多くの日本人英語学習者はこのことをよく知らないために、どんなときに受動態を使うべきなのかの「規準」が持てないでいる。そしてそれが日本人の英文ライティングにおける大きなトラブルのもとになっているように思う。

また英日翻訳に関していえば、原文が受動態であるからといってなんでもかんでも「れる・られる」に置き換える必要がないことがここからわかるはずである。「主語隠し」「客観偽装」のための受動態に「れる・られる」と充てることに本質的な意味はない。それを延々と行ってきたのがこれまでの産業翻訳だが、そろそろそうしたバカなことはやめてもよいのではないか。

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