成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

器の大きさ

2010年5月2日

大学を出て商社に就職したかと思うと3年で辞めてしまい、大学に戻ったから学者になるのかと思っていたら高校教師になり、それも7年で辞めてこんどは小さな編集プロダクションに入り、つぎはPR会社に勤め……と、30をすぎても行き先の定まらない人生行路を進んでいる私をあきれたようにながめながら、父親はため息まじりにこういった。「まあ、おまえは大器晩成型だからな」。

そうか、そうなんだ、オレはタイキバンセイなんだ、父親がそういうんだから、そうにちがいない、と私は思うことにした。ところが、それから5年たっても10年たっても、ちっとも晩成なんかしない。ひょっとするとオレは「晩成」型ではなく「不成」型なのかもしれないと、ちょっぴり不安になった。

それからも私の人生は迷走に迷走を重ねたが、50に手が届くようになった頃、なんとなくだが、それなりに自分というものがみえてきた。それを自分なりに判断すると、私は決して大器ではないが、それほどの小器でもない。ずいぶんとあまくみて、まあ「中の上」器といったところか。そしてどうやらこれが私という人間の器の大きさのようである。

自分の器の大きさがみえたことで、気持ちがすごく楽になった。それに、自分にできることとできないことの区別ができるようになったので、これからは今までのようにむやみと空回りをせずに仕事ができるはずである。

50近くになってから自分の器の大きさがみえるというのは、人間としての成長がかなり遅い気もするが、これも自分という人間の持ち味であろうから仕方がない。とにかく自分に与えられた器の大きさのなかで、これからできるかぎりのことをやっていこうと思う。

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