成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

大数の法則、インフレ、周期変動

2011年2月17日

今日の(2011年2月17日)の日経新聞の「経済教室」面がじつに面白い。こんなに面白い「経済教室」面はひさしぶりではないか。なぜそんなに面白いかというと、経済学者、政治家、物理学者という専門が異なる論者がそれぞれの視点から現在の経済状況について分析をおこない、そのなかにこれから考えていくべき重要なポイントがいくつも示されているからである。

まず「ゼミナール」では東大の松井彰彦さんが「市場を考える」という集中講義のなかで「大数の法則」と「合理的群集行動の法則」について述べている。「大数の法則」はご存知だろうが、それを経済現象で説明すると次のようになる(松井さんの文章から抜粋)。「一人ひとりの行動は予測困難だが、たくさん集まれば一定の行動が観察されるようになる。10人くらいだと、野菜の値段が高くなったからといって消費が減るとは限らないが、1000人集まればほぼ間違いなく消費は減る」。

いっぽう「合理的群集行動の法則」とは次のようなものだ(これも松井さんの文章から抜粋)。「株式や高利回り債券などのリスク資産は、将来の価格がどうなるかによって現在の価格が決まる。みんなが将来価格は高くなると予測すれば「買い」が正解だし、みんなが低くなると予測すれば「売り」が正解だ。その結果、価格が高いほうが「買い」が少なくなるとは限らない。(略)ごく簡単にいえば、51%以上が買いだと思えば、買いが正解になるから、少しの情報の揺らぎで、人々の行動が雪だるま式に影響を受けてしまう」。

ところで現在の標準的証券理論の基盤は「大数の法則」である。証券市場に参加する人々は「合理的」であり、したがって(ここから論理がジャンプするのだが)証券市場には「大数の法則」が当てはまるという前提に立っている。そしてその前提のもとに統計学の手法を用いてリスク計算がなされ、デリバティブ商品価格が決められている。だがもし「大数の法則」が証券市場で成立しないとなると、これらの理論はたんなる砂上の楼閣ということになる。

はたして証券市場に「大数の法則」は当てはまるのか。「合理的群集行動の法則」のほうが当てはまるとすれば、どのような新しい証券理論が必要なのか。金融研究者の皆さんにとってここが今後の重要な研究ポイントではないかと思う。

つぎに「経済教室」では元金融担当相の伊藤達也さんが今後の日本財政のあり方について述べている。伊藤さんの主張を一言でまとめれば「最も大切なことは、名目3%以上の成長軌道に乗せること」(伊藤さんの文章から抜粋)である。なぜならば「自公政権時の中期的な財政運営の試算では、名目3%以下では財政再建のシナリオを描くことが難しい」からである。

この主張に反対する人は誰もいないはずである。問題はどうやって名目3%の経済成長路線に乗せるかだ。伊藤さんは実質成長2%、インフレ率2%のかたちで名目成長4%を達成するべきであり、実質成長2%についてはイノベーションや新ビジネスモデルの構築を通じて全要素生産性を高めることで達成が可能だと主張している。インフレに関しては政府と日銀が協働して2%程度のインフレ率を目指すべきだと主張する。

さてここで考えるべきは「実質」と「名目」の差異つまりインフレについてである。「名目」3%の経済成長路線を目指すべきというのが伊藤さんの意見であり、多くの人がそれに賛同している。「実質」ではなく「名目」である。ということは、例えばインフレ率が持続的に3%であれば、実質成長率はたとえ0%であってもよいのだろうか。ここではそれでもよいということにしてみよう。しかし日銀の第一の責務は「物価の安定」にあるので、インフレをみずから起こすといった“破天荒な”発想は基本的にあり得ない。

しかし、はたして本当にそれでよいのか。現在の日本経済のあらゆる問題の「根っこ」にあるのは「デフレ」ではないのか。そしてこの「デフレ」が「インフレ」に変わったとき、実質の経済成長が力強く始まるのではないか。実質経済成長を起動させる第一要件は「全要素生産性の向上」ではなく「デフレからの脱却」なのではないか。

とすればいま早急に検討されるべきは、いかにして3%前後のインフレを実現するのか、そのための具体的な方法は何かということではないかと思う。その手段は単なる金融緩和策だけではないはずである。ハイパーインフレをあまりに怖がりすぎて何もしないのは「羹に懲りて膾を吹く」の類ではないだろうか。政策提言を行う皆さんにとってはインフレをいかに安全に実現するかこそが、いま考察すべき最優先課題ではないかと思う。

最後に「やさしい経済学」では新潟大学の家冨洋さんが「経済物理学からみた景気変動」というコラムを書いている。これは物理学の「ユール・スルツキー効果」と呼ばれる周期変動に関する理論を経済学に応用して景気循環の謎を解こうという試みだ。注目すべきは、この「ユール・スルツキー効果」という物理学の発見が1920年代になされたものだということだ。90年も前のことである。その古い理論をいま物理学者が経済に応用しようとしているのである。ということは、これまでの90年のあいだ経済学者はこの物理理論を経済学に応用してこなかったということになる。これは何を意味するのだろうか。経済学者が単にさぼっていただけなのか。それともさまざまな理由から応用しようとしても応用できなかったのか。もしそうであれば応用できなかった理由とは何か。その点をぜひ知りたいものである。

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