成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

市場理論とゲーム理論

2011年1月28日

日経新聞で連載中の松井彰彦さん(東大教授)のゼミナールが面白い。「市場を考える」というテーマのもとに、とてもわかりやすい講義がなされている。ぜひご覧あれ。そのなかで今日(2011.1.28)の講義では「市場理論」と「ゲーム理論」という2つの理論についての解説をおこなっている。以下、講義の一部を抜粋する。

(ここから引用)
理想的な市場では、人々はコストなしに市場にアクセスし、市場価格で売ったり買ったりすることができる。市場理論が想定する市場では、「市場」は需要と供給を一致させるように価格を決めてくれるブラックボックスで、その中味は問わない。各人は市場とのみ直接つながっており、他の人とは市場を介して間接的につながる。

一方、ゲーム理論が想定する市場は少し異なる。ゲーム理論の分析単位は個人と個人の交流というゲームである。この一対一のゲームをベースとして大人数からなる市場社会を考える。市場理論は「市場対個人」がベースであったのに対し、ゲーム理論は「個人対個人」がベースになるということである。
(日経新聞、2011年1月28日朝刊、29面より抜粋)

ようするに市場理論とは、市場の人間とつながりについては分析するが、人間と人間のつながりについては無視することを前提とする理論であるということだ。こうした考え方そのものに、ある種の違和感をもつ人もいるだろうが、これはあくまで理論つまりフィクションなのだから、それによって現実をうまく説明できるのであれば、それはそれでよい。一方、ゲーム理論は、人間と人間とのつながりを前提とする理論である。ゲーム理論は、特に経済学のために考案されたものではなく、独自に発展してきたものである。

市場理論とゲーム理論との本質的な違いは、取引者同士がお互いに知っているかどうかという点にある。市場理論では、経済活動はお互い知らないもの同士のあいだで行われるものということになっており、たとえ知り合い同士であっても駆け引き(ゲーム)はしないというのが前提である。一方、ゲーム理論では、経済活動では取引者同士がお互いを知っているとして、そこに駆け引き(ゲーム)が生じるものとする。たとえばA社は取引相手のB社のことを知っていて、そのB社の出方によってはビジネスのやり方を変えるということである。

ここまで読んできて、現実のビジネス活動に近いのは市場理論ではなくゲーム理論のほうだと感じた方が多いことだろう。実際のところ、多くの経済学者もそう考えていて、いま経済学の世界ではゲーム理論を基礎とする研究が急速に進んでいるところである。

ただ問題はその研究のあり方にある。多くの経済学者がゲーム理論を市場理論のなかに「取り入れよう」としているのだ。市場理論とゲーム理論のあいだには、取引者がお互いの顔を見えるか見えないかという本質的な違いが存在する。お互いの顔が見えるか見えないかは二者択一の選択であり、したがってこの2つの理論を一つにすると、取引者はお互いのことを「見えて見えない」ということになる。これでは理論として成り立たない。にもかかわらず、松井さんも含めた多くの経済学者が市場理論のなかにゲーム理論を「取り入れよう」としている。松井彰彦さんも、市場理論とゲーム理論を基本的に並列に取り扱いながらも、講義の最後には「ゲーム理論を取り入れることで、市場の分析をより深めていくことができるのである」と結論づけている。

おそらく多くの経済学者のなかには「お互いの顔が見えない市場が存在し、それがすべての経済活動の中心である」という考え方が刷り込まれているからではないだろうか。そしてその刷り込みがあまりにも強いので、松井さんのような卓越した知性の持ち主でさえも上記のような論理矛盾を犯してしまうのではないかと思われる。

なにも市場理論が間違いだといっているのではない。市場理論とゲーム理論とは別々に考えたほうがよいのではないかといっているのである。そうすれば上に述べたような無理スジのことを敢えてしなくてすむようになるのではないかと思う。

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