成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

平子義雄の『翻訳の原理』

2011年8月1日

前々回の道中記では、対照言語行動学研究会での柳父章さん、氏家洋子さんとの出会いをご紹介した。いずれも素晴らしい出会いだったが、今回の研究会では、もうひとつの出会いがあるはずだった。6月に急逝された平子義雄さんとの出会いである。もともと今回の研究会には平子さんがご出席の予定であり、著書『翻訳の原理』でご紹介されている俳句の翻訳について議論をかわす予定になっていた。それがかなわぬままになってしまった。ご冥福を心よりお祈りしたい。

平子さんの著書『翻訳の原理』をはじめて読んだのは数年前のことである。じつはそのとき私は『翻訳の原理』のタイトルで自分なりの原稿をつくろうとしていた。そこで同名の本が出ていないかどうかをチェックしようとネット検索したところ、平子さんの本の行き当たったのである。読んでみると、私が書こうとしていたトピックの数多くが平子さんの本のなかですでに述べられているではないか。がっかりするとともに、嬉しくもなった。

私は30年以上も翻訳の世界にいるが、翻訳の原理について自分の考えと同じ考えの人には出会ったことがない。どうやら自分の翻訳論は他の人とずいぶんと違うらしいと気づき、研究者として当然と思いつつも一種のさびしさがあった。そのさびしさが平子さんの本を読んで一部解消されたのである。そして今回はそのご本人に出会える千載一遇のチャンスだった。教えていただきたいことがたくさんあったが、それもかなわぬままになってしまった。本当に残念である。

『翻訳の原理』の目指すところは、平子さんの書かれた「あとがき」に集約されている。その一部を以下に引用する。

「本書は、翻訳の実践書と言うには日本語論や言語哲学、解釈学などのほうへはみ出していて、「まだるこしい」迂路と感じられるのかもしれないが、私はその迂路こそ生産的だ、理論は結局実践の力となる、と思って書き出したのである。(略)本書は翻訳の理論書としては導入的なものであるが、基本的な問題はここにすべて網羅されているはずである。」(『翻訳の原理』p.213)

翻訳論でもっとも避けなければならないのは、たんなる翻訳技術論に陥ってしまうことである。翻訳とは2つの言語だけではなく、2つの世界観(文化や社会を含む)、3人の人間(原著者、読者、翻訳者)をも対象とする総合的な営みである。したがってそれを扱う翻訳学はいわば総合人間学と呼ぶべきものだ。その意味で本当の意味での翻訳論を展開しようとすれば、さまざまな「迂路」に踏み込まざるを得ない。そして平子さんのおっしゃるとおり「その迂路こそ生産的だ、理論は結局実践の力となる」のである。

『翻訳の原理』のあとがきでは平子さんはさらに翻訳学の「基本的な問題はここにすべて網羅されているはずである」と述べ、そしてこれを糸口としてそれぞれの領域をさらに深めてほしいと願われている。後に続く私たちには、この平子さんの言を受け、平子さんの遺された貴重な学問成果を継承し、それを発展させていく責任があるはずである。

Categories: ことのは道中記 翻訳