成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

指示詞と代名詞

2010年10月14日

日本語の「これ、それ、あれ」を、話し手から「近いもの、中位のもの、遠いもの」を差し示す指示詞としたのは、明治の語学者である大槻文彦であった 。この大槻の論は、いまも公教育の国語授業で教えられている。

この論はウェブスター英和辞典に載っていた当時の伝統英文法の翻訳バージョンである。まず英語のthisと thatに日本語の「これ」と「あれ」を一対一で対応させる。その結果、this(近称)→「これ」(近いもの)、that(遠称)→「あれ」(「遠いもの」になった。Itについてはthis, thatとは本質的に異なる部分があるが、そこは無視してit→「それ」(中位のもの)と対応させた。大槻のこの説を「距離区分説」と呼ぶことにする。

この「距離区分説」に異を唱えたのが、昭和の言語学者のひとり、佐久間鼎であった。佐久間は、「これ、あれ、それ」の使い分けは物理的な距離区分によるものではなく、対象となる事物がどの人間に属しているかによるものだと論じた 。すなわち、「これ」は話し手側の勢力圏(なわばり)に属するものを指し示し、「あれ」は相手側の勢力圏に属するものを指し示し、「それ」は話し手側と相手側のいずれの勢力圏にも属しないものを指し示すとした。これを「勢力圏(なわばり)説」と呼ぶ。なおこの「勢力圏」とはあくまで心理的なものであり、実際の勢力関係とは関係がない。

A:(背中がかゆいので)「ここ、掻いて!」
B:「どこ? ここ?」(Aの背中を掻く)
A:「うん、そこそこ」

距離区分説よりも勢力圏説のほうが日本語の実情にあっていることは明らかである。これは、ある意味で仕方のないことである。大槻文彦が英文法を参考に距離区分説という「翻訳」文法を考案したのは明治時代のこと。この時代には英文法を参考にするしか日本語研究をおこなう方法はほかになかった 。いっぽう佐久間が生きた昭和の時代になると(不十分ながらも)日本人が日本人として日本語の実情にあわせた日本語文法研究を行えるようになっていた。そうした時代背景をもとに生まれた2つの説であるから、佐久間説のほうが大槻説よりも優れているのは当然のことである。必然的な進化の道筋といえるだろう。

佐久間が考案した勢力圏説にも修正すべき点がある。なかでも問題なのは「それ」の位置づけである。「それ」には相手の勢力圏に属するものを示すとは必ずしもいえない使い方があるからである。

「どちらまで?」
「ちょっと、そこまで」

その後の研究の結果、勢力圏説を発展させたかたちで「直接経験・間接経験説」という論が発表された 。この論では、「これ」「あれ」は話手が直接的に経験している領域に属しているものを指し示し、「それ」は話手が間接的に経験している領域に属しているものを指し示しているとしている。

また「指示」という行為を、(1)会話の現場に存在する事物を指し示す「現場指示」、(2)会話のなかで話題(トピック)として取り上げられた事物を指し示す「文脈指示」、という2つに分けるという方法も、現在の日本語研究では一般的に行われている。

(1) 現場指示
「これ」――話し手が現在働きかけているもの、処理中のもの、勢力を及ぼしつつあるもの。典型的には、話し手が現に手に触れているもの、場所なら話し手が現にいる場所。
「あれ」――話し手が現在働きかえられないもの、処理不能または処理済みのもの、勢力を及ぼせないもの
「それ」――間接経験的な現場を構成する。最もわかりやすいのは、聞き手が現場において知覚していると想像される対象。

(2) 文脈指示
「これ」――説明という行為のなかで、話し手がまさに処理している対象を指し示す。(例:佐久間は日本語の指示詞体系に新しい説を提唱した。これを「勢力圏説」という。)
「あれ」――話し手が過去に直接体験として出会った対象を指し示す。(例:若い頃の英語の勉強をいま振り返ると、あの頃は英語のよい教材がなかなか手に入らなくて、ずいぶん苦労した。)
「それ」――間接経験的な現場を構成し、聞き手や読み手が知覚していると想像される対象、つまり文章や会話のなかに現れている事物を指し示す。

英語の伝統文法では、「指示詞」という品詞カテゴリーはつくられておらず、指示機能をもつthis, thatなどの語彙は、「代名詞」(Pronoun)というカテゴリーの一部として扱われている。名詞中心言語である英語らしい分類の仕方といえよう。

そのなかで、thisとthatはペアとして機能し、話し手にとって空間的、時間的、心理的に、それぞれに「近いもの」「遠いもの」を指し示す。これはすなわち、大槻文法でいうところの「距離区分説」である。というよりも、実際には大槻文法のほうが英語の文法を真似たのだが。

ところで、このthis/thatと「これ」「あれ」「それ」の関係だが、thisは「話し手の勢力圏(なわばり)」の中にあるものを指し示すものであり、つまり「これ」に相当するといえる。いっぽうthatは「それ」と同様に「相手の勢力圏(なわばり)」の中にあるものを指し示すとともに、話し手と相手の両方の勢力圏の外にあるものも指し示すことができる。つまり「あれ」にも相当する。

ここで気になるのは、これまでの英文和訳ではthisは「これ」、thatは「あれ」、itは「それ」と訳していたのではなかっただろうか。とすると、thatが「それ」ならば、itに対応するべき日本語は、いったい何なのか。

伝統英文法では、itは人称代名詞(personal pronoun)の仲間とされている 。言い換えればitはthis/thatのような指示代名詞(demonstrative pronoun)ではなく、したがって「指し示す」という機能は持っていない。itの機能は、「(既知・未知の)名詞表現にとって代わる」という機能である。じつはitのみならず、それが「代名詞」としての基本的な機能なのである。

代名詞は(既知・未知の)名詞表現にとって代わるだけの表現であるから、それ自体には意味が含まれていない。意味的にはからっぽである。ところで英語という言語の基本構造はそれぞれの構文機能を持つ意味チャンクをただ前からポンポンと並べていくだけものである。以下の図のように主語、動詞、目的語、修飾語といった「箱」を前から順に並べていくイメージだ。

通常はこの箱のなかには意味のある語が置かれていく。しかしすでに意味が明らかな場合には、名詞の代わりに代名詞を置く。代名詞自身には、何の意味も含まれていない。ただ構文的に必要なために、そこに置かれている「空箱」にすぎない。こうしたことから、英語の文章読本にあたるものでは、よい英文と書くためには言い換え表現などを利用して代名詞の使用頻度をなるべく小さくするようにせよというアドバイスがなされることが多い。私たち日本人が英語を書く際にもきわめて有用なアドバイスであろう。

翻訳において問題となるのは、英語とはちがって、日本語には名詞の代替機能をもつ「代名詞」というものは存在しないということである。ここまでみてきたように「これ」「あれ」「それ」は「指示詞」であって「代名詞」ではない。したがって「指示」代名詞であるthis/thatには対応する訳語を見つけることができるとしても、人称代名詞であるit(およびhe, she, youなど)には、それに対応する訳語を見つけることはできない。ようするにit, he, she, they, youなどには訳語はないということである。したがってit=「それ」、he=「彼」、she=「彼女」、I=「わたし」、you=「あなた」は誤訳である。

では、どう翻訳するのか。第一の方法は、英語の代名詞を日本語の訳文では「省略」してしまうことである。そもそも、なぜ英語に代名詞があるのかというと、英語という言語は構造的に語彙の省略がきわめて難しく、そのために代名詞を必然的に必要とするからである。もし英語に代名詞がなければ、繰り返し表現がきわめて多くなることだろう。いっぽう日本語は構図的に省略を許容できる言語である。逆に「それ」「これ」などを多用しすぎると文体的におかしなものになってしまう。ようするに「異言語としての特性の翻訳」として、英語の代名詞を日本語の省略へと翻訳するのである。

第二の方法は、もとの名詞表現に「還元」してしまうことである。たとえば、

I know Mr. Naruse. He is a translator.

という英語を日本語にするとき、

わたしは成瀬さんを知っています。彼は翻訳者です。

とするのではなく、

成瀬さんのことは知っています。たしか成瀬さんは、翻訳者ですよね。

とするのである。こうするほうが、日本語として自然なものになる。

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