成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

文系と理系

2011年1月4日

新年早々、ネット上におもしろいコラムを見つけた。「あらたにす」(朝日、日経、読売の合同サイト)の「新聞案内人」に安井至(東大名誉教授)が書いている排出権取引に関するものである。内容は、二酸化炭素排出権取引をめぐる「文系」と「理系」の対立構造についてだ。少々長くなるが、その一部を以下にご紹介する。

(ここから引用)
EUでは排出権取引が成立しているのに、日本国内ではなぜ反対派が多いのだろうか。その根源的な理由は実は極めて単純なことではないだろうか。

EUはもはや製造業で生きることを放棄している国が大部分であるが、日本は、製造業が無くなれば、輸出産業が無くなってしまう。エネルギー、資源、食料の輸入ができない国になってしまう。

製造業は、投資が効果を生み出すのに時間が掛かるため、できるだけ正確な予測が可能な社会システムになることが望ましい。排出権取引では、炭素価格が市場に依存するため、予測がほとんど不可能といえる。そのため、対応するのは難しい。むしろ、環境税の方が、遥かに対応しやすい。

さらに言えば、日本の製造業は、省エネ技術に自信があるため、その技術を世界に展開することによって、EU、米国を含むほぼすべての国での温室効果ガスの削減に寄与できると考えている。

現時点の日本からの排出量は世界の4%以下なので、コストの高い涙ぐましい努力を行って排出量削減しても、その効果はたかが知れている。

地球益を考えたら、世界全体での削減を実施する方がはるかに効果的で、日本の製造業の関係者は、それに貢献できると考えている。

中央環境審議会などでの意見分布をチェックしてみると、どうも、理系の委員は、概ね国内排出権取引に反対であるが、文系の委員は、概ね賛成である。

文系の委員の主張は、「EUなどの取り組みは先進的であり、日本の対応では世界に遅れる」、といったものが多い。しかし、EUは、商売の種として排出権取引を求めているのであり、先進的だから導入しようとしているのではない。

排出権取引に関しては、これまで、産業界対環境NPOの対立構造なのだ、と理解していたが、実は、日本という国を支えているという自負をもっている理系人間と、その認識のない文系人間の対立なのではないか、と思い始めている。
(安井至、「あらたにす」サイトのコラム「新聞案内人」2011.1.3より。引用おわり)

押さえておくべきポイントがいくつかある。

第一のポイントは「EUはもはや製造業で生きることを放棄している国が大部分であるが、日本は、製造業が無くなれば、輸出産業が無くなってしまう」という部分である。排出権取引について考える際、この点はきわめて重要だ。それ以下で説明されているように、排出権取引は製造業には不利であり、非製造業とくに金融業には有利なシステムである。言い換えれば、アメリカやイギリスにはたいへんに有利で、日本にはきわめて不利だということである。

第二のポイントは「日本の製造業は、省エネ技術に自信があるため、その技術を世界に展開することによって、EU、米国を含むほぼすべての国での温室効果ガスの削減に寄与できると考えている」という部分である。日本は製造業での省エネ化において世界で最も進んでいる 。その技術を世界にもっと広めるほうが排出権というマーケット機能を利用するよりも世界の環境問題に大きく寄与できるというのが安井の意見である。逆に言えば、製造業で生きることをすでに放棄し、また省エネ技術においても劣っているEUにおいては環境問題で主導権を握るためには排出権マーケットという手段しか残されていないということでもある。そしてそのことを彼らは十分に承知しているということだ。安井が「EUは、商売の種として排出権取引を求めているのであり、先進的だから導入しようとしているのではない」といっているのは、そうした背景があるからである。

第三のポイントは、ところが日本では「中央環境審議会などでの意見分布をチェックしてみると、どうも、理系の委員は、概ね国内排出権取引に反対であるが、文系の委員は、概ね賛成である」というコメント部分である。つづけて「文系の委員の主張は、『EUなどの取り組みは先進的であり、日本の対応では世界に遅れる』、といったものが多い」ともいう。だが「EUは、商売の種として排出権取引を求めているのであり、先進的だから導入しようとしているのではない」。

「EUなどの取り組みは先進的」という盲目的な欧米崇拝は、残念ながら一部の文系人間の業病である。彼らにとって英米がよいというものはすべてよいものであり、それに追従しないことはすなわち「世界に遅れる」ことである。

第四のポイントは、そうした文系人間の愚かしさを目にして、理系の代表格である安井が「日本という国を支えているという自負をもっている理系人間と、その認識のない文系人間の対立なのではないか、と思い始めている」とコメントしている点である。さらりと述べているが、これは文系人間に対する完全な侮辱である。こんなことを新聞に書いてよいのかというほどの、思いやりのないコメントだ。

そして第五のポイントは、気候変動の防止にはテクノロジーの活用しか抜本的な解決策はなく、そして「排出権取引は、むしろ、技術を導入すると余りにもコストが高くなる事業者にとって、その緩和手段を提供するものである」という安井の認識である。こうした技術至上主義とマーケット軽視は「理系人間」の欠点のひとつであり、これには「日本という国を支えているという自負をもっている理系人間」というコメントに現れる過剰な自負心とともに、ある種の視野の狭さも感じさせる。

一言でいえば、まあ文系も理系もどちらもどちらである。いいところもあれば悪いところもある。このエッセイのタイトルは「気候変動:日本は味方を増やせるか」であるが、海外に味方を持つことは大切だが、まずは日本のなかを味方で固めることが先決ではないだろうか。文系も理系という2つの異なる個性をいかにして協働させ、新しい価値を生み出していくのか、そのための具体的な方法はどのようなものなのか。私たちの喫緊の課題は、おそらくそういうことではないかと思う。

Categories: ことのは道中記 雑感