成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

日本語は四拍子、英語は三拍子

2010年7月6日

三三七拍子というリズムがある。学校の運動会の応援でよく使われるものだ。まずリーダーが「これから三三七拍子で応援をおこないたいと思います」という。それからリーダーが打ち振る扇子(?)にあわせて、みんなで手をたたく。リズムは以下のとおりだ。

そーれ
ちゃっ、ちゃっ、ちゃっ
ちゃっ、ちゃっ、ちゃっ
ちゃっ、ちゃっ、ちゃっ、ちゃっ、ちゃっ、ちゃっ、ちゃっ

「ちゃっ」が3つ、3つ、7つとあるので三三七拍子というわけだ。だがこれは本当は四四八拍子なのである。なぜなら各行の最後には一拍分の休止があるからだ。つまり、こうだ。

ちゃっ、ちゃっ、ちゃっ、○
ちゃっ、ちゃっ、ちゃっ、○
ちゃっ、ちゃっ、ちゃっ、ちゃっ、ちゃっ、ちゃっ、ちゃっ、○

これと同様のことが、短歌や俳句にもあてはまる。ただし短歌や俳句では五のうしろに○○○と三拍の休止がある。したがって短歌のリズムは五七五七七ではなく八八八八八、俳句は五七五ではなく八八八である 。

あまのはら○○○
ふりさけみれば○
かすがなる○○○
みかさのやまに○
いでしつきかも○
(阿倍仲麻呂)

ふるいけや○○○
かわずとびこむ○
みずのおと○○○
(松尾芭蕉)

もうひとつの例をみてみよう。英語の長い単語を日本語のカタカナ略語にすると、その多くは四拍になる。

リストラ、ハイテク、インフラ、イントロ、シンクロ、インフレ

ただし例外も多い(レトロ、デフレ)。

さらに例をあげる。日本の子供向けの歌を調べたところ、約180曲のなかで三拍子のものはわずか15曲にすぎず、その他のものは二拍子、四拍子だったという 。盆踊り歌や民謡も、やはり四拍子のものがほとんどだ。

このように日本語は基本的に二拍子、四拍子の言語なのである。したがって日本語を母語とする私たちには二拍、四拍のリズムが骨の髄にまで染み込んでいる。

そしてつぎに注目しなければならないのは、日本語のように二拍子、四拍子をリズムの基本とする言語である一方で、三拍子を基本とする言語も世界には数多いという事実である。

たとえばお隣の韓国語は、日本語とはちがって三拍子を基本とする言語だそうである 。これについては、このような逸話が紹介されている。

<ここから引用>
韓国の子供の満一才の誕生日にその家庭に招かれた。(略)伯母ちゃんと呼ばれる人が子供の前にペタリと座り何か歌い出した。それは三拍子であった。そして両手を揃えてフラダンスのようにいともしなやかに右へ、左へと波打たせ、三拍子にあわせて歌いつづけるのであった。この拍子、この手振り、これは日本人からは全く期待のできぬ異質のものであることを直感して、私は息を飲む思いで見つめた。韓国人の心の故郷は三拍子であろうか。
(ウィルウェーバー・エン、「大手前女子大学論集」第七号、昭和48年)
<引用おわり>

英語を含むヨーロッパ言語については、どうだろうか。これは圧倒劇に三拍子言語であるようだ。たとえばイタリア語の歌には三拍子が圧倒的に多い 。イギリスでは国歌がそもそも三拍子である。またヨーロッパを代表する演舞曲であるワルツも三拍子である。二拍子、四拍子を血肉とする日本人の音楽家は、このワルツの演奏をもっとも苦手とするとのことだ 。

英語にしぼって例をあげると、たとえば日本語の地名や人名を英語として発音すると、そのほとんどが三拍子になる。

しんじゅく → ●Shin-●ju-●ku
せんだぎ → ●Sen-●da-●gi
やまもと → ●Yama-●mo-●to
さかきばら → ●Skaki-●ba-●ra

実際の英語会話でも三拍子が非常に多い

●I ●don’t ●know.
●Su●sie’s ●nice.
●Show ●me ●one.
●How’s ●your ●job?
●We’re ●too ●late.

この三拍子のリズムを守らなければ英語らしくならない。ところが日本人の英語はどうしても以下のようになりがちだ。根が二拍子、四拍子の人間だからである。

アイ・ドント○・ノウ(2・4・2)
スージー・イズ・ナイス○(4・2・4)
ショウ・ミー・ワン(2・2・2)

以上からわかることは、日本人が英語を含むヨーロッパ語(そして韓国語)を学習する際には三拍子のリズムを習得しなければならないということである。これはたいへんな作業だ。なにしろ音の専門家である音楽家でさえ、三拍子のワルツの演奏には悪戦苦闘しているのである。

しかし気を取り直して考えてみると、日本人の英語学習ではリズムだけが特にたいへんなわけではない。たいへんなのは、文法でも語彙でも、発音の他の要素(たとえば音節感覚)でも、みな同じことである。そもそも日本人の英語学習は、すべてが「たいへんな作業」なのである。日本語と英語が本質的に異なる言語であるからには仕方のないことであり、運命と思って粛々と受け入れるよりほかはない。

大事なことは、こうした事実をまずしっかりと理解して、そしてつねに注意を怠らないことである。それだけでも英語の学習効率性は大きく向上する。

これまでの英語学習ではこうした正しい理解と注意が十分になされないことが多かった。そのためにせっかくの努力が無駄になるケースも多々みられた。スポーツに例えれば、十分に練習はしているのだが、それがゲームでのパフォーマンスに結びついていない状態である。したがって今後は豊富な練習量をゲームパフォーマンスへと結びつけることが必要である。そうすればゲームに勝てる可能性は大きく高まるはずだ。

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