成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

病院で考えたこと

2010年8月17日

8月上旬に慈恵医大病院で白内障の手術を受けた。手術そのものは難しいものではないが、いろいろな事情から3日間入院をした。おかげさまで眼は順調に回復している。世の中がきわめて明瞭に見えるようになり、なによりも文章を読むことが圧倒的に楽になった。

まず右眼の手術をして一日おいてから左目の手術をした。右眼の手術をしてから数時間後にはもう原稿を書きはじめていたのには自分でも驚いた。私にとってものを書くことはどうやら不治の病のようだ。

入院して強く感じたのは慈恵医大病院の充実ぶりと、医師や看護師の皆さんの医療専門家としての、人間としての素晴らしさであった。慈恵医大病院は100年以上の伝統を有する日本有数の総合病院であり、そこには創設者の高木兼寛が提唱した「病気を診ずして、病人を診よ」の理念がいまも脈々と受け継がれているようである。先生や看護師の方々と接しているとそのことがとてもよくわかった。さらにいえば慈恵医大病院の皆さんは私を患者としてだけでなく人間として丁寧に扱ってくれた。一部のサービス産業のようにお金を落としてくれる「お客様」だから丁寧に扱うというのではなく、ひとりの人間として丁寧に扱ってくれたのである。

それにしても医師や看護師の皆さんは忙しい。私を受け持っていただいた先生は朝8時から診察をして、昼には手術を数十件もこなし、夜遅くに私のところへ様子をみにきてくれた。そうした激務を当然のことのように坦々とこなされていた。看護師の方々も患者のさまざまな要求にできるかぎり対応してくれた。本人たちにとっては当然のことをしているのだろうが、本当に頭の下がる思いである。

病院のベッドのうえでつくづく感じたのは医療という分野の素晴らしさである。さまざまな健康問題をかかえる人々が病院にやってきて、医療専門家に問題を解決してもらい、そして帰っていく。当たり前のように行われているこの営みが、じつは数限りない医療技術と医療専門家の真摯な取り組みによって支えられていることが、あらためてよくわかった。さらに健康保険制度のかけがえのなさも実感した。

さて教育分野をみてみると、こうした優れた取り組みが数多くおこなわれているかといえば、かなり疑問である。たとえば私は言語教育の専門家のはしくれであるが、今回手術していただいた先生ほどの専門力と真摯な取り組み姿勢をはたして持っているのだろうか。反省しきりである。教育分野全体をみわたしてみても医療分野にくらべると専門家としてのレベルが総体的に劣るといわざるを得ないように思う。

ベッドのうえで考えたもうひとつのことは伝統というものの重みである。ご紹介したように慈恵医大病院は100年以上の伝統を有し、長きにわたり医療への真摯な取り組みを続けてきている。そうした歴史の積み重ねがあってこその現在のすがたなのである。本物をつくりだすには長い時間とたゆまぬ努力が必要だということである。英語教育や翻訳の現状を変えたいとついついあせり気味だった私にとって特によい教訓となった。

そしてチーム力の大切さについても考えさせられた。入院してみてあらためて痛感したのは医療とは決して医師と看護師だけのものではないということだ。薬剤師やレントゲン技師など専門医療職の方々から通院や入退院の手続き精算を行う事務職の方々まで実にさまざまな皆さんが医療を支えている。そうした人々がみな同じ方向を向いて一致団結しなけば優れた医療行為はできないだろう。教育現場でも教師とその他の教育関係者がもっと協力しあわなければならないと思う。

いずれにしろ眼がよくみえるようになったことで、ここから再出発である。少なくともあと30年は仕事をするつもりなので、あまりあせらず、しかしたゆまずに前へと進んでいきたい。

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