成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

原文至上主義から原文・訳文平等主義へ

2010年11月3日

先の道中記では英語教育のあるべき姿についての私の考えを述べました。これまでのような西欧文明の吸収のための英語学習ではなく、世界の人々と共に歩むための英語学習が必要であること、そのためには文法訳読方式でもコミュニカティブ・アプローチでもない、日本人による日本人のための英語学習法を新たに開発していくべきだということです。

こうした私の英語観は私の翻訳観にもつながっています。第二の文明開化期を迎えた現在、英語と同様に翻訳についても日本文明に対して持つべき意義を再検討するべき時がきていると私は考えます。それは一言でいえば、原文の内容を正確に写しとることを究極の目的とする「原文至上」主義から、原文にも訳文にも同等の重みを与える「原文・訳文平等」主義への転換です。

これまで翻訳に対する評価といえば、さまざまな言い方はなされていても、結局のところ原文が持つ意味をどれほど正確に写しとっているかが最終的な規準となっていました。一方、つくりだされた訳文が読者にとって読みにくいものであったとしても、それは翻訳の正確さを期するうえで仕方のないものとみなされてきました。こうして、満足に日本語にもなりきっていないような翻訳書がつぎつぎと出版され、読者のほうも翻訳書とはそのようなものとして受け入れてきました。その結果、翻訳書はいまも劣悪な日本語のオンパレードです。

劣悪な翻訳がいまも残る原因のひとつはもちろん翻訳者の力量にありますが、それだけに帰するのは翻訳者に酷というものです。翻訳者も読者にわかりやすい文章をつくりたいのですが、それ以前になによりも原文への「忠誠」をつねに強く意識させられており、そこから外れてまで文章を文章としてよくしようとは考えにくいのです。そうしたなかでいくら工夫をこらしても、結局のところ訳文は原文のレベルを超えることはできません。これが原文至上主義の至るべき結論です。そしてこの結論を変えるには、原文至上主義という呪縛を解き放つしかありません。それが原文・訳文平等主義です。

翻訳がいま果たすべき役割は、日本語および日本語を基盤とする日本文明をさらに進歩発展させるためのツールとしての役割ではないでしょうか。これからの日本人の知的活動は、日本語と英語のバイリンガルでおこなわれるようになるでしょう。日本語だけでは、もはや世界で通用しないからです。しかし、だからといって日本語を完全に捨て去って英語だけで知的活動をおこなうことは、日本人にとって取り返しのつかない大きなマイナスを生み出すはずです。それは日本人が営々と積み重ねてきた日本文明を捨て去ることに他ならないからです。

また一部の科学領域では日本語を使わずとも世界に通用する成果を挙げることもできるでしょうが、その他の多くの領域では日本人が日本語を使わずに独創的な成果を挙げることはきわめて難しいはずです。さらに日本語という独自の世界観を維持していくことは他文明の人々にない個性を日本人が持ちつづけるということですから、世界で仕事をするうえでの大きな武器になるはずです。

そうした観点から考えますと、これからの日本語と日本文明を支えるうえで、翻訳は今後も重要な役割を果たすものであると私は考えています。であればこそ、翻訳の原則は「原文至上」主義から「原文・訳文平等」主義へと変えていかなければなりません。そうすることではじめて、翻訳は日本文明にとって有意義な知的ツールとしての地位をこれからも維持できるのだと私は考えます。

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