成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

構造あれこれ

2010年4月23日

東京の地下鉄路線図をながめるのが好きである。構造がとてもチャーミングだからだ。たとえば、丸の内線は新宿から銀座を通って池袋へといきつく。そのあいだに、10以上の他の路線と交錯する。新宿と池袋はJRや副都心線でつながっているので、これを丸の内線とつなぐと、ひとつのループができる。よくみると、山手線という大きなループの内側にある、もうひとつのループである。東京には大江戸線という、山手線と少しずれた大きなループもあるので、東京の鉄道路線には、山手線、大江戸線、丸の内線という3つのループが存在することになる。「しゃぼん玉ホリデー」の三輪石鹸のコマーシャルを思い出す(若いひとは知らないだろうなあ)。

また、すべての路線がくねくねと曲がりくねっていて、さまざまな地点で、さまざまなかたちで、おたがいに交錯している。なかには乗り換えのために10分も歩かなければならないケースもある。それを「乗換え」と呼んでよいものであろうか。またあるときには、2つの路線が延々と平行に走りつづけている。それなら一本でいいじゃないかなどと、ツッコミのひとつもいれたくなる。

こうした複雑かつ無秩序、であるがゆえに、きわめてチャーミングな路線構造は、計画的につくりだされたものではなく、東京という都市がもつ独自の個性――中心に皇居があり、窪地や高台が多い――によるものである。京都のようなフラットな土地であれば碁盤の目のような都市計画も可能であるが、東京ではそうはいかない。それぞれの都市の持ち味というしかない。

さて、言葉の話である。鉄道路線と同じく、言葉にもさまざまな構造がある。いちばん簡単な構造のひとつは、「数珠つなぎ」である。カタカナでいえば「リニア・ストラクチャー」である。(図略)

日常会話や通常エッセイと呼ばれている文章は、このかたちをしている。なにかの言葉(文)が表現され、それにつづいて、それに関連する言葉(文)が表現される。その言葉と言葉のあいだは関連性という名の「糸」でむすばれている。この糸がなければ、会話(文章)は成立しない。

「数珠つなぎ」構造のバリエーションのひとつに「数珠」構造がある。これは数珠つなぎの端と端がつなげられ、本当の数珠になった状況である。カタカナでいえば「ループ・ストラクチャー」である。(図略)

もし日常会話でこの構造に陥ると、話は延々とつづくことになる。理論的にいえば、それは永久に終わらない。もう少し複雑になると、ループの数が複数になることもある。東京の鉄道路線でいえば、まず山手線をぐるぐると回って、それから丸の内線に乗り換えて、それから大江戸線に乗り換えて、というかたちである。

つぎによくあるのが、「樹形」構造である。幹があって、そこからつぎつぎと枝分かれしていくかたちである。カタカナでもそのまま「ツリー・ストラクチャー」という。(図略)

ただし、実際にはこれが反対に描かれて「逆ツリー構造」などとよばれるのが一般的である。(図略)

学者の論文やビジネスマンのビジネスレポートは、このかたちをしているのが一般的である。そのひとつの具体例が「アカデミックライティング」とよばれるライティング形式である。

ここで気をつけなければいけないのは、この「逆ツリー」構造が思考の明晰化に役立つことは確かであるが、しかし決して万能ではないということである。それどころか、あとで述べるように、これをむやみに用いてしまうと、文章が「死んで」しまう可能性もある。

アカデミックライティングを学習した人のなかには、アカデミックライティング形式がまるで文章の黄金律であるかのような言い方をするひともいる。そして日本語の非常にすぐれた文章でさえ「構造がはっきりしなくて曖昧だ」といって非難する。だがこの場合の「構造がはっきりしない」とは逆ツリー構造をしていないということにすぎないことが多い。

こうした人たちは、逆ツリー構造以外にも文章構造と呼ぶべきものが数多くあることを理解てきていない。多くの欧米系学者やビジネスマン、さらには多くの日本の学者やビジネスマンが、こうした思い込みに陥って、思考の柔軟性を失ってしまっている。

さらにいえば、現在社会の行き詰まりの原因のひとつには、こうした思考のステレオタイプ化にあるのではないかと私はみている。そうならないように、十分に気をつけていただきたいと思う。

つぎにご紹介する構造は、「グリッド」構造である。(図略)このような四角形のグリッド構造以外にも、三角形のグリッド構造、六角形のグリッド構造などが考えられる。

グリッド構造の代表例は、京都のような碁盤上の都市である。ただ文章に関してはこうしたグリッド構造を基本とする形式はほとんどみあたらない。グリッドという形式がきわめて空間的であり、時間的要素を基底とする言語表現と本質的にマッチしない部分があるのではないかと思われる。

つぎにご紹介したいのは、「ハブ・アンド・スポーク」構造である。これは、うえに挙げたツリー構造とグリッド構造の混合体である。代表例としてよく示されるのが、空港ネットワークである。「新関西空港をハブとするのかどうか」など、いま政治の場で侃々諤々議論されているやつである。(図略)

文章でいえば、このハブ・アンド・スポーク構造は、アカデミックライティングで最もよく用いられている形式である。前にアカデミックライティングとは逆ツリー構造の代表格だと述べたが、実際の論文やレポートの場合には、内容が高度で複雑になればなるほど、逆ツリー形式のような単純素朴なかたちには収まりきれない。そうした場合には、アカデミックライティング形式を遵守しているといいつつも、実質的にはこのようなハブ・アンド・スポーク形式になっていることが多い。

最後にご紹介する構造が、「ネットワーク」構造である。これは、あらゆる要素が相互に密接につながっている構造のことである。人間の脳の神経ネットワークはこれに近いものである。(図略)

フランスの思想家であるジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリは、こうした構造をもつ思考のことを「リゾーム(根茎)」思考と名づけ、西欧の伝統的思考方法であるツリー型思考の対極として捉えた。そして、西欧的思考の基盤であるツリー構造の思考は「死んだ」思考にすぎず、このリゾーム構造こそが「生きている」思考のかたちだと主張した。

さて、言語という観点からみて、このネットワーク構造がもっとも適切にあてはまるのは意味の世界である。ある語の「意味」とは、その言語の語彙ネットワーク全体のなかでその語が占めている位置のことである。たとえば「おとこ」という語のまわりには「ひと」「おんな」「ちち」「むすこ」「男性」「オス」「仕事」などなど無数の単語がネットワークとして結びついている。そうしたネットワーク全体に占めるポジションこそが「おとこ」という語の「意味」なのである。したがって、私たちにとって「語彙力を向上させる」とは、自分がもっている脳内の語彙ネットワークの網の目をさらに細かくしていく作業にほかならない。

これと同じことが、センテンスにもあてはまる。センテンスの意味とは、パラグラフ全体、テキスト全体、さらには、その書き手の他のテキスト全体もふくめた巨大なテキストネットワークのなかにおいて、そのセンテンスが占めている位置のことである。センテンスそのものが独自に意味をもつのではない。全体のなかの一部分としてセンテンスが占めている位置から、意味が生み出されるのである。

したがって、ここに2つのセンテンスがあるとして、その2つのセンテンスが、たとえ言語表現においてはまったく同一のものであるとしても、テキスト内での位置が異なるのであれば、その意味は必然的に異なるものである。もしこれを同一の意味だとみなすとすれば、ドゥルーズ=ガタリ的な言い方をすれば、それは「死んだ」意味を捉えているのであって、「生きている」意味を捉えているのではない。

そしてこれをさらに敷衍すれば、同じことがパラグラフ、そしてテキストそのものにもあてはまる。つまり全体に統一的な意味があるのであって、部分はその全体のなかでの位置によって意味が決定されるのである。まず全体があり、そして部分がある。部分の集積が全体なのではない。

さて東京地下鉄路線図の話に戻ろう。私は東京の地下鉄路線図をながめるのが大好きである。じっとながめていると、いろいろなことがみえてくる。たとえば、新宿から銀座にいくには、何通りの行き方があるのだろうか。渋谷から御茶ノ水にいくには、どういう行き方が最も効率的なのだろうか。竹橋から桜田門にいくには、はたして何分かかるのだろうか。

東京地下鉄路線は東京メトロのサイトからPDFファイルがダウンロードできる。おそらく世界で最もチャーミングな鉄道ネットワークである東京の地下鉄路線を、皆さんにも、ぜひ楽しんでいただきたい。

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