成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

英語教育論

2010年4月26日

今日(2010年4月26日)の日経新聞朝刊5面の「インタビュー 領空侵犯」というコラムで、関志雄という人物が、日本の英語教育について持論を述べている。その意見を要約すると、以下のとおりだ。

日本の英語教育は、経済学的なコストベネフィット分析の観点からいえば、まったくの落第点である。したがって、根本的に改革しなければならない。具体的には、英語を選択科目にして、大多数の日本人には基礎の基礎だけを教え、いっぽうで一部のエリート層には高度な英語運用力を徹底的に教え込む。なぜなら、一般大衆にはそもそも英語など必要はなく、逆にエリート層は高度な英語運用力がなければ今後の熾烈なグローバル競争に勝てないからである。英語教員に関しては、現在の日本の英語教師は英会話ができない。英語教育が変わらない主要因のひとつは、そうした日本人英語教員が既得権益を失なうことを恐れて改革に抵抗するからである。したがって彼らを解雇して英語ネイティブ教員を大量に導入しなければならない。教育内容については、あいかわらずの文法教育中心であり、英会話が軽視されている。これでは外国語の映画やCNNのニュースをいつまでも理解できないままである。

関志雄(かんしゆう)というこの人物は、現在は野村資本市場研究所シニアフェローという肩書きのようだが、人物紹介欄をみると、香港中文大学経済学科卒業の後、東大経済学博士となり、職歴としては香港上海銀行、野村総合研究所、経済産業研究所などに在籍していたとある。つまりは金融を専門とし、いま日本を仕事場としている中国人学者兼ビジネスマンである。

さてこの関氏の主張、どこかできいたことはないだろうか。そう、「改革」「グローバル化」「既得権益」「抵抗」「海外からの導入」などなど、あの小泉改革とそっくりなのだ。よくぞここまで似るものだなあと感心するが、おそらくその本質が同じものだからだろう。

この主張に対する意見は、人によってさまざまだろう。ただ、ここでどうしても指摘しておかなければならないことがある。この関氏の主張の前提である日本の英語教育がいまも文法重視で行われているというのは、間違いである。

他のところでも紹介したように、いまの日本の公的英語教育はコミュニカティブアプローチの支配下にあり、文法教育は基本的におこなわれていない。文法という授業項目は学習指導要領に存在しない。このことから、関氏は学習指導要領をまったく読んでいないものと思われる。おそらく、まわりの日本人の誰かから(かなりの年配者に違いない)「日本の英語教育は文法教育ばかりで困ったものだ」などと聞かされたものだと推測される。

また、「英会話ができず」そのために「既得権益を失なうことを恐れて改革に抵抗している」と同氏が断ずる日本人英語教師に、はたして同氏が実際に会っているどうかも疑問である。関氏は日本人ではないから、日本の中学高校の英語教育を受けていないはずである。それでどうして日本人英語教師は英会話ができないと言い切れるのだろうか。たとえ自分の子供たちの担当であった日本人英語教師が英会話ができなかったとしても、それだけで日本全国の英語教師が英会話ができないと結論づけることは非論理的である。そのぐらいのことは東大の博士であれば自明のことであろう。

私が考えるに、日本の英語教育論議の最大の問題点は、日本の英語教育についてほとんど何も知らない素人の無責任な意見が、このように堂々と有力新聞の紙面に載ってしまうことにある。またそれに対して、きちんとした反論もしないですましてしまう日本の英語教育専門家の「たこつぼ」体質も、大きな問題である。

さらにいえば、このことは英語教育の問題だけにかぎらないように思う。いまの日本には、私たちがかかえる諸問題を冷静かつ協力的に話し合う場所が、ほとんど存在しない。生産的な議論や対話ではなく、単なる「わめきあい」「ののしりあい」になってしまっっているケースが大半である。

あたらしい何かを作り出すために、お互いがお互いの立場を超えて、ともに議論や対話を尽くしていくことこそ、いま私たちに求められているのではないだろうか。

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