成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

腹式呼吸

2010年5月31日

英語は腹式呼吸で日本語は胸式呼吸だから、英語をマスターするにはまず呼吸法から変えなければならないと主張する英語教師の方々が数多くいらっしゃる。たしかに腹式呼吸は英語学習にとって非常に役立つものだが、しかし腹式呼吸でなければ英語はマスターできないといわんばかりの一部の主張には首を傾げざるを得ない。そういう人たちは英語をマスターしたのではなく英語にマスターされたのではないかと思っている。

だがいずれにしても、腹式呼吸の方法を知り、それをマスターすることは、英語学習にとって非常に役立つことは間違いない。そこでここでは腹式呼吸についての基本的な解説を行っていくことにする。

まず腹式呼吸という名称だが、これは誤解を生みやすい。そもそもお腹で呼吸することはできない。呼吸をするのは肺である。お腹に呼吸器官はない。たしか高校生の頃だったと思うが、はじめて腹式呼吸についての説明を受けたときに、お腹で呼吸なんかできるはずないじゃん、この人、なにいってんだろう、などと思った覚えがある。

腹式呼吸とはお腹で呼吸することではなく、お腹と胸の境にある横隔膜を下に下げることで、胸の体積を広げて呼吸する方法のことである。いっぽう胸式呼吸とは、横隔膜の位置はそのままで、胸を囲んでいる肋骨などをつかって胸の体積を広げて呼吸することである。

横隔膜というのは、胸とお腹とを分けている筋肉の膜のことである。上方に凸のかたちをしている。ゴムボールを半分に切って、それを机のうえに伏せておいたものをイメージしてほしい。

横隔膜が上方に凸のかたちをしているのは、肺が重力のために下へと落ちてこないようにするためである。だから凸をしていて、特に力を入れないでも、肺をつねに上へと持ち上げている。横隔膜の凸は、人類が四つ足から直立に移行したときに重力に対抗するために発達したものではないかと思う。四つ足のままであれば、こんな凸の膜はいらないはずだ。

腹式呼吸とは、おもにお腹のまわりの筋肉をつかって、この横隔膜の凸の部分をへこませてやることである。そうすると、肺が下までおりてきて、その体積が広がる。すると、そこに外部の気圧との差ができ、外部から肺へと空気が流れ込む。肺自身は筋肉ではないので、自分で空気を吸い込むことはできない。ただその体積を増やすことで、外部との気圧差をつくり、それによって外部の空気を中に取り入れる。つまり人間は息を「吐く」ことはできても「吸う」ことは、物理的にいえば、できないのである。

腹式呼吸が胸式呼吸よりも有利な点は、つぎの2点である。

第一に、胸式呼吸にくらべて腹式呼吸のほうが肺の体積をはるかに大きく広げることができる。文献によると、腹式呼吸は胸式呼吸の4倍も肺の体積を広げられるという。つまり腹式呼吸は胸式呼吸にくらべて4倍も多く息を「吸える」というわけだ。

第二に、腹式呼吸では横隔膜という大きな筋肉を使うので、胸式呼吸よりも強く息を「吐く」ことができる。また筋肉運動であるから「ぱっ、ぱっ」といって断続的な音を出すことにも優れている。

さて、腹式呼吸と英語学習との関係である。英語は日本語にくらべると、はるかに強い息を必要とする言語である。断続的に音を出すことも多い。したがって胸式呼吸では不十分であり、そのため英語のネイティブ話者は英語を話すなかで自然と腹式呼吸をマスターしている人が多い。

いっぽう日本語はそうした強い息や断続音を必要としない言語なので、日本人のなかでは腹式呼吸を自然とマスターしている人は多くない。そこで日本人が英語を話す際には腹式呼吸のトレーニングが必要となるというわけだ。

腹式呼吸のトレーニングの第一は、自分の横隔膜を明確にイメージすることである。そしてその凸の部分をお腹の筋肉を使って押し下げてやる。すると、お腹のほうが、ぶわっとふくらむ。もちろん、ここに空気が入っているのではなく、内臓が下へと押し下げられたのである。そしてその分、肺の体積は増えているのである。

やってみるとわかるが、最初はなかなかうまくいかない。だが何回も何回も訓練していると、少しずつできるようになってくるものだ。お腹まわりの筋肉を鍛えることは健康にもよいそうだ。ぜひ試してみてほしい。

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