成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

英語の定義

2010年9月27日

英語教育論議での根本的な問題は、論者たちが「英語」とは何かをしっかりと定義しないままに論をすすめていることにある。だから議論がかみあわない。当たり前だ。それぞれに別のことを論じているのだから。

英語には2つの分類方法がある。ひとつは「母語・第二言語・国際言語」というもの、もうひとつは「生活言語・知的言語」というものだ。この2つを組み合わせた表が、以下のものである。各欄の○、△、×は、日本人にとっての必要度を示している。

A. 母語(生活言語 ×、知的言語 × )
B. 第二言語(生活言語△/×、知的言語△/×)
C. 国際語(生活言語△、知的言語○)

まずAの「母語としての英語」だが、これは生活言語、知的言語のいずれにおいても日本人とは関係がない。関係があるとすれば英語社会へ移民した場合などだが、これは一般的日本人としての問題ではないだろう。

Bの「第二言語としての英語」は、留学やビジネスで英語社会に長期滞在するならば、大いに関係がある。いっぽうで日本国内や英語社会以外にいる場合には、まったく関係がない。現実的には英米社会に長期滞在する日本人の数はごく少数であるから、実際のところは、かぎりなく×に近い△である。そこでここでは△/×というかたちにした。

いま日本人にとって必要度が大きく増しているのが、Cの「国際語としての英語」である。そのなかで、まず「生活言語としての国際英語」だが、従来の海外旅行でのニーズのほかに、日本社会の国際化にあわせて、国内でのニーズも急速に高まっている。そこで、その必要度を△と判定した。

そして日本人にとって最もニーズが高まっているのが「知的言語として国際英語」である。まずビジネス分野では、これまでは一部の国際業務にしか必要でなかった英語が、あらゆる業務における必須条件となってきた。学問研究の分野でも、英語でのリーディング、ライティング、スピーチ能力がなければ、まともな仕事はほぼ不可能になりつつある(英語なしでノーベル賞をとった益川氏のような例外もあるが)。そこで日本人にとっての必要度を○とした。

こうした分類と評価を行ったうえで日本人にとって必要度の高い英語教育とは何かを考えてみると、それが「知的言語としての国際英語」の習得を主要目標として行われるべきであるというのが私の意見である。

ところが実際の日本の英語教育では、こうした分析がまったく行われることなく、ただ英米で開発された理論や手法を模倣するかたちで目標やカリキュラムが取り決められている。これでまともな教育ができるとはとても思えない。

間違えないでほしいのだが、上に述べた私の分析が正しいと主張しているのではない。これとは別の分析の仕方もあるに違いない。現在の英語教育での深刻な問題は、英語教育の目標となるべき事象の定義さえ行わず、それにふわさしい分析もしないで、ただ漠然とした内容の議論が繰り返されていることである。

大事なことは、到達すべき目標をまずきっちりと定義し、そのうえで、それに到達するための効率的な手法を、みんなで協力しあいながら、開発していくことである。そうした正しいアプローチもしないでいくら議論をしても、そこからは何も生み出されはしない。逆にそうした議論の共通ベースがきっちりと設定されれば、今後の日本の英語教育は大きく進歩するはずである。

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