成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

英語教育はなぜ進歩しないのか

2010年6月17日

<以下、伊藤和夫 『伊藤和夫の英語学習法』、駿台文庫、p.74より引用>
キーセンテンスとか、パラグラフ・リーディングとか言う言葉がなぜカタカナのままで横行しているかというと、これはアメリカの学生に対する速読の訓練法を直輸入してきたからなんだ。英語の本場であるアメリカで通用している方法が間違っているはずはない、それを日本の学生にやらせてまずいはずはない、というのが、速読主義者の信念を支える大前提で、それが彼らの自信になっているわけだよ。(略)日本の英語教育は昔から、英米で通用しているというだけの理由で色々な方法を上から押しつけられたり、西洋かぶれで分かりもせずにお先棒をかつぐ、声だけ大きい人に毒されたりしてきたんだけど、これもその一例だと思うね。
<引用おわり>

20数年ぶりに英語教育の世界に戻ってみて強く感じているのは、日本の英語教育のあまりの進歩のなさである。この20年間で世界は激変した。共産主義は崩壊し、遺伝子工学やコンピュータ科学は劇的に進歩し、経済は急速にグローバル化した。ところが日本の英語教育をみてみると、なにも変わっていない。それどころか、逆に退歩したといっても過言ではない。これはいったいどうしたことなのか。

最初に引用した伊藤和夫のコメントは速読についての質問に答えたものだが、その内容は速読というよりも日本の英語教育全体に対するものになっている。英米で通用しているというだけの理由で色々な間違った方法が用いられ、西洋かぶれで分かりもせずにお先棒をかつぐ声だけ大きい人間が強い影響力を発揮するということである。

伊藤の意見はそのとおりなのだが、しかし日本の英語教育に少々厳しすぎる面もある。というのも「英米で通用しているというだけの理由で色々な方法」を用いたり、「西洋かぶれで分かりもせずにお先棒をかつぐ声だけ大きい人間」が強い影響力を発揮するというのは、なにも英語教育界だけに限ることではない。近代日本では、どの領域も同様の状況に置かれていた。そのなかで英語教育界だけ厳しく糾弾するわけにもいくまい。

だがそういった事情を差し引いても、日本の英語教育の進歩のなさは、あまりにひどい。他の領域、たとえば産業分野では西洋の影響を強く受けながらも日本の伝統と融合させることで世界に冠たる実力を身につけていった。芸術にしても西欧の影響を色濃く受けながら日本独自の発展を遂げてきている。そうしたなか英語教育は、なぜこれほどまでに進歩しないのだろうか。

その原因のひとつは、科学や産業の世界とちがって外国語教育の分野では欧米からの輸入した知識や技術が有効とならなかったことにあると思う。

科学にしても産業にしてもこの百数十年にわたり欧米のレベルはきわめて高く、日本が見習うに十分値するものであった。そのことに異論を唱えるひとはまずいない。

だが外国語教育という分野は、はたしてどうだろうか。彼ら自身の外国語能力をみてみると、イギリス人で外国語がよくできるひとは限られている。一般のアメリカ人の外国語能力の低さは世界的に有名である。そうした国で開発された外国語教育手法が、日本のような異質な文明国でそのまま通用すると考えるほうがおかしいのではないか。

ところが、日本の英語教育界はそうした前提を完全に無視して、伊藤のいうように「英米で通用しているというだけの理由で」英語教育の理論や手法を直輸入し、それをそのままのかたちで導入してきたのである。さらに「西洋かぶれで分かりもせずにお先棒をかつぐ、声だけ大きい人」もいたものだから、事態はさらに悪化した。これが日本の英語教育がうまくいっていない第一の原因である。

日本の英語教育がうまくいっていない第二の原因は、「本気度」が足りないことである。

日本の産業技術が世界のトップクラスにまで登りつめたのは、日本という小資源国は、産業立国でしか世界で生きていくほかに方法がないことを産業人がよく理解し、全身全霊を傾けて努力したからである。死に物狂いだったのである。

ところが、英語教育の現場にはそうした必死さがみえない。一生懸命努力はしているのだが、どこかぬるま湯的である。

結局のところ日本社会での英語は、できないからといって致命的に困るというものでなく、できればそれに越したことはない程度の存在でしかなかったのだ。だから英語教育の関係者も、どこかのほほんとした態度でいられたのである。

だが、この10年で日本の英語教育をとりまく状況は、劇的に変わった。インターネットの普及によって世界中の情報や知識がオンライン化され、その大半は英語である。英語が使いこなせないかぎり学問も仕事もまともにできない時代になったのだ。そうした認識を踏まえながら、私たちは日本の英語教育の今後を考えていかなければならない。

では具体的にどうすればよいのか。個人的には、上に挙げた2つの原因を取り除けばよいのだと思う。欧米直輸入の英語教育理論手法を見直して日本人にあったものにし、そして死に物狂いになることである。この2つができたならば(かなり楽観的な見方ではあるが)日本の英語教育は今後大きく発展すると私は考えている。

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