成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

2010年5月13日

翻訳講座の受講生と帰り道が一緒になって話しながら帰ったことがあった。当然、話題は翻訳や言葉のことになる。そのうちに、先生はこれからどんなものを書きたいと思っているんですかとたずねてきたので、いつか詩をつくりたいと思っていますと答えると、彼女はびっくりしたように私の顔をみると、視線をそらしたまま黙ってしまった。どうやら私と詩のとりあわせが彼女の意表をついたらしい。

たしかに私は中原中也のような面構えはしていない。どちらかといえば引退直前の清原に似ている。だが私は本当に詩をつくりたいのである。

私のいう詩とは、心のなかに棲みついて生きつづける言葉たちのことである。心のなかに棲みついて生きつづけるものは人によっては言葉ではなく音楽かもしれない。絵画かもしれない。とすれば、それらが私のいう「詩」である。

では、どうすれば言葉は詩になるのだろうか。それがよくわからない。言葉が詩になることだけはわかっている。私の心のなかにもそうした言葉たちがいくつも棲みついているからだ。そしてそれにすがりつくようにして生きていた時期もあった。だからこそ、いつか自分でもそんな言葉をつくりだしたいのである。ところが、そのためにどうすればよいのかがわからない。

詩をつくるには何が必要なのか。生まれついての才能なのか。それにふさわしい人生なのか。それとも言語的な技術なのか。いくら考えてもよくわからない。ただ、考えてもわからないということは、自分にもいつかつくれる可能性がないわけではない、などとも考える。

まあこんなことをいくら書いても仕方がないので、私の心に棲みついている詩のひとつをご紹介しておく。つまりこんなものをつくりたいのである。

ハーレムの夜の歌
ラングストン・ヒューズ、木島始 訳

おいで、
夜をいっしょにぶらつこう
歌いながら。

きみが好きだ。

ハーレムの屋根の
てっぺんごしに
月が輝いている。
夜空はブルーだ。
星たちは 金色の露の
大きな 滴だ。

通りでは
バンドが 演奏している。

きみが好きだ。

おいで、
夜をいっしょにぶらつこう
歌いながら。

Categories: ことのは道中記 雑感