成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

語幹(1)

2011年5月12日

英文和訳では英語のワードと日本語の語を一対一対応させることを原則とする一方で、語幹、接頭辞、接尾辞を一対一対応させるという発想はない。これはおかしい。ラテン語系の英語語彙の意味の源泉は、語幹、接頭辞、接尾辞にあるからである。

たとえば、duceという語幹は、ラテン語のdZcereが語源で「導く、連れていく」という意味を持つ。この語幹に異なる接頭辞がつくことで異なる英単語が生まれる。以下のとおりだ。訳語はランダムハウス英和辞典での主なものである。

・traduce(…を中傷する、名誉を傷つける、事実などをゆがめる)
・adduce(証拠として提出[提示]する、引用[引証]する)
・educe(潜在的な能力・性能などを引き出す、発現させる)
・deduce(結論などを推定、推論、演繹する)
・reduce(範囲を小さくする、縮小する、減じる、切り詰める、下げる、低くする、弱める、(ある状態に)する、変える、移す、変形する、まとめ上げる、分類する)
・seduce(人をそそのかす、誘惑する、誘う、口説く、捨てさせる、忘れさせる)
・induce(説いて誘ってさせる、する気にさせる、するよう仕向ける、引き起こす、誘発する)
・produce(生み出す、生じさせる、引き起こす、生み[作り]出す、創作する、製造する、生産する、作る、実らせる、産む、産(出)する、提出する、示す、見せる、上演する、制作する、プロデュースする、演出する
・introduce(紹介する、売り出す、発表する、初めて挿入する、差し込む、導き入れる、案内する)

また、ductもduceと同じくラテン語のdZcereという語が語源である。そこから以下の英単語が生まれてくる。

・duct(導管、ダクト)
・obduct(地殻の岩板を別の岩板の上に押し上げる)
・abduct(子供・婦女をかどわかす、誘拐する)
・subduct(取り去る、除去する、減じる)
・reduct(…を(…に)する)
・deduct(総計・総額から差し引く、控除する、天引きする)
・induct(就任させる、任命する)
・conduct(振る舞い、行為、管理、運営)
・product(生産物、製品、製造物、産出物)

ところで上記の英単語の訳語をみると、共通する要素がほとんど見当たらない。「導く、連れていく」というduce、ductの意味や、pro, re, con, sub, de, inといった接頭辞の意味もほとんど反映されていない。これでは語の持つ正しい認知イメージが伝わらない。

なぜ辞書の訳語が、このようになってしまったのか。それは、明治に日本が西欧文明を急速に移植しようとしたとき、これらの語の持つ表面的意味を写しとることだけを目標として、語に内在する認知的イメージを写しとろうと考えなかったからである。というよりも、そんなことは当時の学問レベルでは考えようもなかったのである。

だが、これでは私のいう本当の翻訳などできるはずもない。しかし、明治の人々はそもそも本当の翻訳など求めていなかった。荒っぽくてもなんでもよいから、できるだけ早く西欧文明を移植しなければならないと考えていた。それが日本という国を存続させるための必須条件だったのである。直訳とはそうした国家的要請が生み出した必然であり、辞書の訳語とはそのための最重要ツールだった。

問題は、そうした100年以上も前に行った応急処置としての訳出方法がいまも存続していることにある。直訳が歴史に果たした役割はすでに終わっている。我々は一刻も早く直訳を捨て去らねばならない。そのためには辞書においても語の持つ本質的なイメージを反映した訳語づくりが必要になるだろう。同一イメージの語彙には同一イメージの訳語を当てていくというのも解決策のひとつではないだろうか。

duce, ductという語源には「どこかの方向に進む」という動的な共通イメージがある。produceやadduceであれば方向が前方である。reduceなら後方、induceであれば内向き、seduceやdeduceなら外向き、introduceなら相互方向のイメージだ。こうした英語のイメージを日本語のイメージとして訳文の中でできるかぎり反映させていけば、訳文のクオリティがもう一段上がるはずである。

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