成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

選択肢は多ければ多いほどよい

2010年6月21日

翻訳の勉強をはじめた方にその感想をきくと、なによりも自分の日本語力が足りないことを痛感したというコメントが返ってくることが多い。普段の生活で自分の日本語力を意識することはまずないだろうが、実際に翻訳するとなると思いどおりの表現などなかなか出てこないものである。

ではどうすれば日本語力は上がるのだろうか。まず推敲がとても重要なことはいうまでもないが、もうひとつ翻訳においてお奨めしているのが、訳文の選択肢をできるかぎり増やすということである。具体的には、ひとつの表現に対して少なくとも3つ以上の訳文をつくっておき、そのなかから一番よいものを選ぶようにするのである。この選択肢の数が増えれば増えるほど、翻訳のクオリティは高くなる。

たとえばPeople usually resist new regulations.という英文に「新規制に反対はつきものだ。」という訳文をつけたとする。しかしこの英文には、それ以外にさまざまな訳文が考えられることだろう。実際、私がこの訳文をつくったときも、最終的にこの訳文に決めるまでに数十の選択肢を考えていた。頭のなかだけで考えたものもあれば、実際に書いてみたものもある。たとえば「人々は通常、新しい規則に抵抗する。」という直訳は、実際には書かないものの、頭のなかにはすぐに浮かんでくる。一方で「新しい規制には抵抗がつきものである。」という訳文は、実際に書いてみてから他の選択肢と比較してみる。このようにして最終的な訳文を決めていくのだが、これまでの経験からいっても選択肢の数が多ければ多いほど最終的な訳文のクオリティは高くなる。逆に選択肢の数が少ないときには、思いどおりのクオリティはなかなか出ないものだ。

以上は英日翻訳のケースだが、日英翻訳でも同じことである。やはり原文日本語に対してできるかぎり数多くの英文選択肢をつくっておいてから、最終的な訳文を決めればよいのである。そうすれば翻訳のクオリティは必ず向上する。

非常に荒っぽくいってしまえば、翻訳力が向上するとは訳文の選択肢の数が増えることとほぼ等しいのである。訳文選択肢の数(x)と翻訳力(y)は関数関係にあるのだ。

考えてみれば、選択肢が多ければ多いほど最終的な結果がよくなるというのは、なにも翻訳だけにかぎらないようである。男女の仲なども同じことで、私などはどちらかといえば思い込んだら命がけのタイプだが、何十人もつきあってみていろいろと試してから最終的な判断をくだすというタイプの方も世の中には数多いようである。そのほうが冷静かつ賢明なやり方なのかもしれない。よくわからないが。

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