成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

all, every, each

2010年5月5日

英語の最大の特徴はモノ(名詞)中心だということである。それだけにモノの分類にはこだわりにこだわる。既知/未知、抽象/具象、単数/複数といった認識区分をつねに厳密に行い、別々のかたちで表現する。こうしたモノへのこだわりは、コト(動詞)中心の言語である日本語にはとても考えられない。

モノを単体ではなく集団として認識するときにも、このこだわり精神が如何なく発揮される。すなわち英語ではモノ「集団」の認識においても、その認識区分を厳密に行い、それを別々のかたちで表現するのである。

ここに、あるモノの集団があるとする。たとえばだが、「apple集団」だとしよう。そのapple集団を、そのなかのひとつひとつのappleを強く意識せず、それを集団として認識するときには、allが用いられる。all applesである。(さらに全体への意識が強くなり、ひとつひとつへの意識が消えるとallのあとは単数になる。All you need is love.である)

つぎにそのapple集団を、そのなかにあるappleひとつひとつを強く意識しながら認識するときには、everyが用いられる。every appleである。このときにはひとつひとつのappleを強く認識しているので複数形にはならない。

そしてそのapple集団を集団としては強く意識せず、たんにひとつひとつのappleとして注目するときには、eachを用いる。each appleである。もちろんこのときもひとつひとつを強く認識しているので単数形である。

以上を図示すると、以下のようになる。(図略)

英文和訳(直訳)では、allとeveryには「すべて、あらゆる」、eachには「それぞれ、おのおの、各~」といった訳語をあてるのがふつうである。all applesとevery appleなら「すべてのリンゴ」、each appleなら「それぞれのリンゴ」となる。

これですべて一件落着めでたしめでたしということなら、翻訳ほどお気楽な商売はないのだが、世の中そんなにあまくない。本当の翻訳の勝負は、ここからはじまる。

いずれにしろ、この3つの語のイメージをきっちりとつかまえることが、まず先決である。訳文について考えるのは、そのあとのこと。コトと次第によっては上記のような日本語訳にはならない可能性もきわめて高い。そこが翻訳のやっかいなところである。

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