成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

Rhyme

2010年5月30日

「I Love Rock’n Roll」で英語の音についてとりあげたので、ここで英語の詩のRhymeについて説明しておく。Rhyme(ライム、韻、押韻)とは、非常に荒っぽくいってしまえば、ペアとなる2行の最後の音節の音を同じものにすることである。

たとえば、I Love Rock’n Rollの最初の4行をみてみよう。

I saw him dancin’ there by the record machine
I knew he must a been about seventeen
The beat was goin’ strong
Playin’ my favorite song

1行目の終わりの音節がmachineの-chine、2行目の終わりがseventeenのteen。どちらも同じ音で終わっている。このように1行目と2行目の最後の音が同じなので、この2行は「韻を踏んでいる」という。ちなみにスペリングは-ineと-eenと違うが実際の音は同じものである。この点も日本人には間違いやすい。スペリングが違うと、ついつい違う音だと思ってしまいがちだ。

同様に3行目と4行目もstrongとsongで韻を踏んでいる。

このように英語の歌は基本的に韻を踏むものである。マザーグースからビートルズに至るまで、ほぼすべての英語の歌の歌詞は韻を踏んでいる。ようするに英語の詩では韻を踏むことが不可欠であり、韻を踏まなければ英語の詩とはいいがたい(もちろん例外はあるが)。

漢詩もまた同じように韻を踏む。たとえば孟浩然の有名な「春暁」という五言絶句をみてみよう。

春眠不覚暁 chun mian bu jue xiao
処処聞啼鳥 chu chu wen ti niao
夜来風雨声 ye lai feng yu sheng
花落知多少 hua luo zhi duo shao

1行目の最後のxiao、2行目の最後がniao、4行目の最後がshaoの3つが韻を踏んでいる。こうした韻を踏まなければ漢詩とは呼べない。

ところがこれが日本語に訳されると「春眠暁を覚えず、処処啼鳥を聞く、夜来風雨の声、花落つること知る多少」となって韻を踏まなくなってしまう。

日本語で韻を踏もうとする動きは明治以降の文学でさまざまな試みがなされてきた。現在ではヒップホップやラップの詩でよくみられる。しかし日本語の場合には英語や中国語とは音声構造そのものが違うのだから、それらの言語と同じかたちで韻を踏むことは本質的に不可能である。無理して韻を踏もうとすると、表現そのものが不自然になってしまう。英語には英語の世界があり、日本語には日本語の世界がある。それぞれの持ち味を活かせばよい。

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