「無知で愚か」なのは、はたして誰か

2012年2月27日

今日は言語研究者としてではなく、経済研究者のはしくれのはしくれとして、一本の新聞記事をご紹介する。毎日新聞の山田孝男が書いた「風知草:どこで間違えたか」という記事だ。(http://mainichi.jp/select/seiji/fuchisou/news/20120227ddm002070142000c.html)

同記事で山田は、エコノミストであった下村治の著書『日本は悪くない/悪いのはアメリカだ』(文春文庫)を紹介して、正しい経済政策とは何かについて述べている。それは以下のようなものだ。

「正しい道はどんな道か。世界大不況を覚悟し、縮小均衡から再出発する道だ。異常に膨張した生活のメッキをはがし、ゼイ肉を落とし、健康体へ向かう道だ。浮薄なマネーゲームに振り回されず、堅実な国民経済を取り戻す道だ……」。

山田が紹介しているように、下村はもともと1960年代の高度経済成長時代、池田勇人首相の経済政策ブレーンを務めていた。その後、1970年代の石油ショックを経て、下村は高度成長論主義者からゼロ成長論主義者へと持論を大きく転換する。高度成長に必要な条件がもはや日本には存在しないと喝破したからだった。

その後、バブル華やかなりし1987年に下村が執筆したのが、この書である。レーガン流の金融拡大による経済改題を強く批判したうえで、小さくとも健全な経済社会を日本社会につくりだすことを、下村は強く提唱した。だが、このあと、日本経済はつかのまの虚妄の繁栄を経たのち、奈落の底へと落ちる。下村の論の正しさは、こうして立証されたのである。

現在も日本には、経済成長がなければ日本はなりゆかないと声高に主張する「経済専門家」たちが、社会の中心を占めている。日経新聞の紙面をみよ。経団連のコメントをみよ。かぎりなき経済成長こそが、彼らのすべてである。下村のいうところの縮小均衡からの再出発など、彼らからみれば「無知で愚かしい自殺行為」にすぎない。

だが「無知で愚かしい」のは、はたして下村なのか、あるいは彼らなのか。

まずは、できるかぎり多くの人に本書を読んでいただければと思う。そうすれば、現在の多くの「経済専門家」たちが、実際にはいかなる存在であるのかが、明確にみえてくるはずだ。

Categories: 新着情報