成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

原子力「村」と「たこつぼ」

2011年10月3日

今回の福島原発事故で白日のもとにさらされたのは日本の原子力業界の人々の異常なほどの閉鎖性であった。仲間内の思考に固執して周囲の意見を受け入れず、それを拒否するためには倫理や社会正義にもとる行動さえ平気でおこなう姿には、彼らが日本のトップエリート層であるだけに、憤りを通り越して奥深い恐怖を感じさせられた。

こうした閉鎖体質をマスコミは原子力「村」と呼んでいるが、原子力業界を「村」と比喩することは、適切でない。たしかに村には閉鎖的な部分もあるが、同時に外部に開かれた部分もある。一方、原子力業界には外部に開かれた部分がほぼ皆無である。このような場合に適切な比喩は、「村」ではなく「たこつぼ」であると私は考える。外部との接触を避けるためにツボのなかに身を隠し、たとえまわりに何が起ころうとも絶対にツボから出ようとしないタコたち――それが原子力業界の人々ではないだろうか。

「たこつぼ」の比喩を使った有名な評論に丸山真男の『日本の思想』(岩波新書)がある。同書において丸山は、近代日本文明を「たこつぼ」型文明と命名し、そして日本の学問は、それぞれの分野がそれぞれに一匹のタコであり、自分のタコツボに入ってしまって、何があっても(たとえ漁師に吊り上げられても)決して出てこないのだと喝破している。

この丸山の論を私なりに解説したものが以下の「たこつぼ学問」という文章である。もともとは翻訳講座受講生のために書いたものだが、それを少しばかり改題した。今回の福島原発の事故の様子をみていると、おそらく一部なのではあろうが、日本の近代学問が「たこつぼ学問」であることが本当によくわかる。そしてその恐ろしさも。私たち日本人はいまこそ「たこつぼ」から出る時期がきているのではないだろうか。

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たこつぼ学問

丸山真男という有名な学者が『日本の思想』(岩波新書)という本のなかで近代日本文明と近代西欧文明とのちがいについて「タコツボ型とササラ型」という比喩をつかって紹介している。あまりにも有名なのでご存知の方も多いことだろう。

「タコツボ」とはその名のとおり蛸壺のことである。いっぽう「ササラ(簓)」とは細かく割った竹などを束ねた道具のことで、ここでは根が一つであるのに先端が細かく分かれているかたちそのものを指している。竹箒のようなものを思い浮かべてほしい。

丸山は、日本の学問はそれぞれの分野が一匹のタコであり、それぞれ自分のタコツボに入ってしまって、何があっても(漁師に吊り上げられても)決して出てこないと述べる。一方、西欧の学問はそれぞれ外見が違うようにみえても、もとをたどれば必ずひとつの共通のルーツにいきあたると述べている。図にすると以下のようなものになる(図は成瀬が作成)。





説明をつけくわえたい。まず右側の西欧の知的世界の基底にはキリスト教という精神文化が横たわっている。キリスト教は一神教で、神と人間の契約がその世界観の大前提である。近代になるとそのキリスト教的世界観のうえに科学主義的な世界観が付加され、その時点で近代合理主義的な西欧学問の原型が成立する。

しかしこの時点ではまだ学問の分化は起こっておらず、当時の学者たちの多くは多くの研究を同時に手がけていた。その後18世紀ごろになると学問の分化が進み、それぞれの専門分野が生まれてくる。19世紀(1800年代)に入ると、ほぼ現在のようなかたちの学問分野(物理学、化学、医学、工学、経済学、法学、商学、言語学、歴史学、他)が確立された。

つぎは左側の日本の知的世界についてである。その基底は二重構造になっている。まず最下部に土着の大和文化があり、そのうえに漢文明が乗っかっている。漢文明は日本が大陸から取り入れたものだが、いまでは土着の大和文化とともに日本文明の基底をなしている。

大和文化と漢文明という二重基盤で安定化していた日本の知的世界が、根本からひっくり返されたのが19世紀の「文明開化」である。このとき西欧の知的資産が日本の社会へといっせいに流れ込んできた。そしてその知的資産の受け皿となったのが翻訳漢語である。

こうして日本文明は大和文化と漢文明という基層のうえに西欧文明がのっかるという、世界に類をみない三重構造を持つ文明になった。

この三重構造を詳しくみてみると、大和文化と漢文明とのあいだには存在しない現象が、大和文明/漢文明と西欧文明とのあいだに存在することがわかる。それが丸山のいう「タコツボ化」である。

日本が西欧文明を本格的に受け入れはじめたのは19世紀(1800年代)だが、その時点で西欧世界での学問の分化は、ほぼ終了していた。物理学、化学、医学、工学、経済学、法学、商学、言語学、歴史学といった学問分野が、すでに確立されていた。そうした学問分野には、それぞれに専門家がおり、それぞれの学問体系があった。そして日本は、それらの学問分野をそれぞれまったく別々のものとして受け容れた。これがタコツボ化の第一歩であった。

その後、タコツボ化はさらに進み、それぞれの分野がそれぞれの規範を独自に持つようになった。西欧文明では、ものごとの規範となるものを「カノン(canon)」という。もともとは「ローマカトリック教会の教皇によって認可されたもの」という意味だが、さまざまな学問分野でも「正典」の意味で広く用いられている。タコツボ化の進んだ近代の日本の学問ではタコツボごとの小さなカノン、つまり「プチカノン」をつくっていったといってよいだろう。

こうしてそれぞれの分野独自のプチカノンづくりがどんどんと推し進められた結果、日本の学問のタコツボ化はどんどんと強まっていった。そしてついに日本の知的専門家たちは自分のタコツボから一歩も外に出られなくなったのである。

専門家とはどこでもそんなものだという意見もあるだろうが、それは違う。ここまでみてきたように西欧のササラ型の学問体系には戻るべき場所がある。一見、それぞれにまったく違うことをおこなっているようでも、それらの知的活動はキリスト教と西欧科学主義という共通の基盤のうえに成り立っているのである。そうした共通基盤が、日本の「タコツボ型」学問には、決定的に欠けているのである。

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