原発について私たちが必ず知っておかねばならないこと

2011年10月4日

新聞読み比べサイト「あらたにす」に今日、ジャーナリストで元朝日新聞編集委員の松本仁一が「事故から14年後、チェルノブイリ汚染地帯を歩いた」というエッセイを書いている(http://allatanys.jp/B001/UGC020006220111003COK00917.html)。以下、その一部を抜粋する。

「ベリベラグ村に入った。原発事故から14回の厳しい冬を越して、無人の村は荒れ果てていた。どの家も、草が屋根のひさしの高さまで生い茂っている。屋根瓦は落ち、ガラスは割れている。野犬すらいない。道路わきにリンゴ畑があり、収穫する者のいないリンゴが実っていた。リンゴをもぎ、服のすそでよく拭いて食べた。「リンゴはまだましですが、キノコを食べて被ばくした者が多くいます」と菅谷医師がいった。

帰り途、原発から70キロ地点のナローブリヤという町に立ち寄った。避難指定地域ではないが、1万5000人だった人口が7000人まで減ったという。川岸に「1986」と大きく刻まれた原発事故記念碑が建っていた。碑には「ここから東の地域で下記の35の村が消滅した」とあり、村の名前がずらりと書かれている。その中に、さきほどリンゴを食べたベリベラグの名前もあった。

ベラルーシでは、原発事故への対応が遅れた。風下にあったにもかかわらず、ソ連政府(当時)の避難指示が遅れ、食品の規制もないまま時間が過ぎた。人々はキノコを食べ、野菜を食べた。そのため多くの住民が内部被ばくしてしまった。同じ風下でもポーランド政府の動きは素早く、学童に常備のヨウ素を飲ませるなどの緊急措置を取ったため、被ばくを最小限に抑えることができたという。その差は大きかった。

甲状腺はヨウ素を取り込みやすい。成人の場合は、すでに食品など天然のヨウ素を摂取して飽和状態のため、放射性のヨウ素を取り込む余地は少ないが、小児の場合は甲状腺が「空き屋」状態で、放射性ヨウ素が一気に入り込んでしまうのだ。

ベラルーシ国立がんセンターでは、原発事故までの10年間に小児甲状腺がん(0~15歳)の治療ケースは7件しかなかった。それが、事件後の10年では424件にはね上がっている。ふつう、小児甲状腺がんの発生頻度は人口100万人あたり年間で1件ていどだ。ベラルーシでは、原発事故から5年たった1991年から急激に増え、96年には人口100万人あたりで38件に達した。

菅谷医師はベラルーシのゴメリ市で治療活動を続けていた。ゴメリはチェルノブイリから100キロも離れている。それでも2000年には、100万人あたり36件の小児甲状腺がんが見つかった。1歳とか2歳とかで被ばくした幼児が、13、14歳で発症するケースが多いのだという。

菅谷医師は6年の滞在中に542例の甲状腺がん手術に参加した。うち小児・少年は132例に及ぶ。「日本で小児甲状腺がんの手術をしたのは、年に1、2例でした。ベラルーシの6年で、日本の100年分ぐらいを経験してしまいました」といった。」

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原発論議をする際の基礎情報として、こうした事実は、福島原発事故の影響を今後少なくとも数十年、数百年にわたり受け続けていく私たちすべてがかならず知っておかなければならないことである。

知ったうえで、それでも原発は維持すべきだというのならば、それはそれでひとつの意見である。おそらくそうした人々は、科学や経済の発展にはある種の小さな犠牲は仕方がないという考え方なのだろう。そういう考え方を私個人は正しいとは思わないが、しかし一部にそれがあってもおかしくないと思う。実際、医師のなかでも今回の原発事故の影響を過剰に心配する必要はないと主張する人々が数多くいる。このことは、放射能汚染の問題がたんなる医学の問題ではなく、それぞれの人生観や社会観につながっていることを物語っている。

だがいずれにしても、こうした事実を何も知らないまま、あるいは知ろうとしないまま、原発の国内での維持や海外への輸出を主張するのならば、それは許されないことである。それを無責任というのである。あるいは罪悪と呼んでもよい。

まずは事実をしっかりと学び、それを共有すること。すべての論議はそこからスタートすべきだ。

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