成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

日本人英語教師が臆することなく堂々と「日本人英語」で発信できるようになれば、日本の英語教育に革命が起こる

2011年10月6日

御承知のように従来の中学や高校の英語の授業ではおもに「欧米の文明文化を英語で理解できるようになる」ことがひとつの大きな目標となっている。もちろん公式見解では「欧米の文明文化」ではなく「世界の文明文化」とされているのだが、実際には西欧の文明文化それも英米のものが中心であることは間違いない。

その一方で「日本の文明文化を英語で発信できるようになること」は、たとえ公式見解がどうであっても実際の英語教育現場ではほとんど目標とされてこなかった。あるいは、たとえ目標として掲げられたとしても実際にはうまく機能してこなかった。

なぜなのか。ひとつには西欧文明の受容ツールとしての英語という文明開化以来の歴史的伝統がいまも続いているという側面がある。だが受信型英語教育から発信型英語教育への切り替えができない理由は、ただそれだけではない。

発信型英語教育が日本で根づかない最大の理由は、日本人英語教師が英語での発信を行わないからである。教師が英語で書いたり話したりしないのだから、生徒が書いたり話したりするはずがない。理の当然である。

ではなぜ日本人英語教師は英語での発信をしないのだろうか。英語で発信する能力がないからだろうか。じつは日本人英語教師のほとんどは英語でものを書いたり話したりする能力を十分に持っている。本当である。能力は十分にあるのだ。だがその能力を自信をもって使うメンタリティに欠けている。そしてその点こそが最大の問題点なのである。

なぜ彼らがみずからの英語発信力を自信を持てないかというと、それは「間違い」をおそれるからである。ネイティブ英語の規範から少しでもずれた英語を使うと英語教師としてのアイデンティティが揺らぐと感じてしまうのだ。だが私たち日本人がいくら頑張ったとしても完璧なネイティブ英語をマスターすることはできない。したがって私たちが英語で発信する際にはネイティブ英語という観点からみれば必ず間違いがある。特に英語教師はそうした間違いに気づきやすい。その結果として英語での発信をどうしても躊躇してしまう。臆するのである。

以上のことからわかるのは、日本に発信型の英語教育を根づかせるために必要なことは、ネイティブを連れてくることでも、日本人英語教師の英語力を上げることでもなく、まず日本人英語教師のメンタリティを変えて、彼らが堂々と「日本人英語」で発信できるようにすることである。それができれば、生徒たちもまた臆することなく日本人英語で発信ができるようになるはずだ。

そのためには、まず日本人英語としての基準をつくらなければならない。日本人英語だからといって英語としてデタラメであっていいはずがないが、しかしネイティブ英語の基準をそのまま受け入れる必要もない。私たちがマスターすべき英語は世界の人々と交流をするための国際英語であって、英米のネイティブが使うネイティブ英語ではない。したがって世界の人々によく理解してもらえるという観点から基準を組み立てていけばよい。そしてそれを守るかたちで英語を使っていくのだ。日本人英語の基準が確立され、それが日本全体に広まっていけば、英語教師たちも自信を持って英語での発信ができるようになるに違いない。

もう一度繰り返す。日本の英語教育を変えるのは、ネイティブ教師を増やすことでも、日本人英語教師を再教育(あるいは追放)することでもない。それらの方策はまったくの愚策であり、それを推進することは百害あって一利なしである。

日本の英語教育を変えるのは、日本人英語の基準を確立し、そのもとに日本人英語教師が自信をもって堂々と英語での発信をしていくことである。これが実現されれば、日本の英語教育は革命的に変わるはずである。

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