昨日の夜、NHKのETV特集「日本原子力発電史1」をみた。ひどすぎる。

2011年9月19日

見終わったあと、あまりのショックにしばらく動けなかった。

出てくる人物の誰もがいかがわしく、なによりも無責任だ。そのいかがわしさや無責任さはとても信じられないほどのものだが、しかし彼らは自分たちではそのことに気付いていない。だから平気でテープに録音しインタビューに応じ、平然と話をしている。そのことが、さらに私の恐怖感を増す。これは事実なのだ。一緒にみていた奥さんもあまりのことに絶句していた。

なかでもターンキー契約の縛りによってGEのポンプ性能に合わせるため、わざわざ海抜35メートルだったところを10メートルにまで掘り下げてから福島原発をつくったという顛末は、大きなショックだった。そんなことをしなければ、あの事故はなかったのだ。

今回の事故は完全に人災だ。日本人が自分で自分のふるさとを壊したのだ。

第二回が来週にあるようだし、今回のものの再放送もあるだろう。この番組は日本国民が全員みるべき番組だと思う。学校でも上映会をやればよい。

もうひとつ印象的だったのは、第二次大戦の敗戦後に原子力研究を米国に禁止され、その後の原子力利用に向かう際、結局自力で開発するのではなく、てっとりばやく海外(米英)の力を全面的に借りようとしたところだ。それがフルターンキー契約へとつながり、そして海抜35メートルを10メートルにまで掘り下げるという致命的な愚挙につながった。

日本の英語教育や翻訳でも同じ状況がいまも続いている。米英の理論やモデルをありがたくそのまま受け取って、それを日本に広めるという手法だ。

日本人が自分自身の手で日本人としての最適の英語学習・翻訳の理論・モデルをみずからの手で確立していこうという動きは、今もほとんどない。あいかわらず海外の理論を鵜呑みにする輸入学問が跋扈している。わたしが日本人英語の確立や新しい翻訳のあり方を主張する最大のポイントは、じつはこうした日本人の隷属的な精神構造を抜本的に変えたいという、その点にあるのだが、このことがまわりになかなか伝わらず、わたし自身、このところ少し無力感にとらわれていたかもしれない。

これではいけない。これでは原子力関係者と変わりはない。まわりがどうであろうと、自分の信念をしっかり主張し続けていかなければならない。今回のことはそれを私に思い知らせてくれた。何もいわないのは、結局のところ同意しているのと同じことだ。

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