成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

統計学の功罪

2012年1月3日

科学という営みの本質は自然や人間の活動の数量化および定式化である。

自然の活動の「科学化」に関してはニュートン力学の誕生がまさにマイルストーンとなった。これ以降、人間は自然のあり方を数量化かつ定式化することに自信をつけ、つぎつぎと自然のあり方を数量化・定式化していった。

一方、人間の活動の「科学化」に関しては物理学の方法論を社会の分析に応用した学問である経済学の発展が大きな節目となった。物理学の成果にははるかに及ばないものの、経済学の発展によって社会を活動をいちおう数量化・定式化することに人類は成功したのである。

だがこれらの科学は「時間」という観点からみれば「過去と現在」に関する数量化・定式化であり、「未来」については20世紀に入るまで数量化・定式化をすることができなかった。それを可能にしたのが統計学である。

確率論についてはパスカルの時代からすでに発展が続いていたが、それはあくまで「時間」というファクターを組み込まないかたちでの発展であった。そこに時間(未来)というファクターが組み込まれ、統計学というかたちで体系化されたのは20世紀も後半に入ってからのことである。このときはじめて人類は未来を数量化・定式化することに成功した。その意味で統計学の成立は、フレーゲからラッセル・ホワイトヘッドに至る現代論理学の成立とともに20世紀が達成した人類史上に残る大偉業であった。

ただし統計学にはふたつの重要な前提がある。第一は、未来は過去・現在と連続している、断絶していないという前提である。第二は、我々は過去の出来事を正確かつ十分に知っているという前提である。統計理論つまり未来の数量化・定式化はこの2つの前提をもとにしているのであり、逆にいえば、この2つの前提が崩されれば統計理論は根底から崩れる。

今回の原発事故のことを数百万年に一度の出来事だという統計学者がいまでもいる。「数百万年に一度」の出来事がこの数十年だけでスリーマイル、チェルノブイリ、福島と3度も起こるとは一般常識からすればとても信じられないことだが、それを統計学者が信じられるのは、突き詰めていってしまえば上記の2つの前提を彼らが無条件に信じ込んでいるからである。

第一の、未来は過去・現在と連続している、つまり断絶していないという前提の誤謬については「ブラックスワン」でナシム・パレプが丁寧に解説し、糾弾している。第二の、我々は過去の出来事を正確かつ十分に知っているという前提については、原発の歴史がたかが50年程度であるのにそのデータを数百万年単位にまで拡張すること、津波のデータなどたかが数百年分しかないのにそれで津波の大きさを決めるという愚かしさからきわめて明らかである。

未来を数量化・定式化する統計学という学問を否定する必要はまったくない。それに人類にとって大きな偉業のひとつである。ただ現在の統計学はまだまだきわめて幼稚な段階にあるということを科学者たちはもっと強く自覚しなければならない。そうした自覚のない科学者は人類にとって有害である。

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