翻訳の「つぼ」

2011年9月14日

翻訳は人間の仕事である
それは心と心をつなぐ営みだからである
機械には言葉と言葉はつなげても
心と心はつなげない
心と心をつなげるのは
ただ人間だけだ
言葉ではなく心を中心に据えた翻訳観
それが本書のキーノートである

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目次

はじめに

つぼ1 意味チャンクごとに訳
(1) 学校英文法
(2) 英文和訳
(3) 動的翻訳
演習問題

つぼ2 「かたち」にこだわらない
(1) 「モノ」から「コト」へ
(2) 無駄をはぶく
演習問題

つぼ3 全体を訳す
(1) 木を見て森を見ず
(2) 文章構造を図解する
(3) 構造を読む訓練を
演習問題

つぼ4 文体を訳す
(1) 文体感覚
(2) 文体を訳出する
(3) 文体感覚を磨くには
演習問題

つぼ5 創作的に訳す
(1) 原文忠実主義の弊害
(2) 新しい翻訳の理念
(3) 『不思議の国のアリス』
(4) 言葉遊びの翻訳
(5) 省略するという選択
(6) アートとしての翻訳
演習問題

つぼ6 表記を整える
(1) 表記基準
(2) 誤記
(3) 表記の揺れ
(4) 句読点
(5) 表記記号
(6) 漢字と仮名
演習問題

つぼ7 翻訳のためのIT技能
(1) IT技能は誰でも習得できる
(2) Wordの使い方
(3) Googleの使い方
(4) データベースの使い方
総合演習

翻訳の将来
あとがき

参考文献


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はじめに

翻訳には「つぼ」があります。マッサージや鍼灸と同じです。つぼをきっちり押さえると皆さんの翻訳力はぐっと向上します。逆につぼをはずしてしまうと、どんなに頑張ってもうまく翻訳できません。つぼを知らない人にマッサージしてもらっても気持ちがよくないのと同じです。あるいは、つぼも知らないのに他人に鍼灸治療を施すようなものです。

つぼは優先度の高いものから順に並べてあります。先のつぼをきっちりと押さえたうえで次のつぼに向かってください。それぞれのつぼには解説と演習問題がついています。解説をよく読んだうえで演習問題をやってみてください。最後には総合演習がついています。

翻訳は奥の深い仕事です。つぼを押さえたからといって、それだけで卓越した翻訳力が獲得できるわけではありません。しかしこの7つのつぼは、翻訳学習のたしかな道標となるはずです。正しいルートを一歩ずつ登っていけば、いつかは高い山の頂上につくように、つぼを1つずつきっちりと押さえていけば、きっとよい翻訳をつくれるようになります。あせらず一緒に一歩ずつ歩んでいきましょう。

2011年6月
成瀬由紀雄


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つぼ1 意味チャンクごとに訳す

私たちの言語理解は、意味チャンク(意味のかたまりをなす語句)を思考単位として、時間の流れにあわせて、動的な理解を行っています。従って、思考単位である意味チャンクの順番を変えてしまえば、言語理解そのものが変わってしまいます。

ところが、この大切な意味チャンクの順番を、英文和訳では勝手に変えてしまいます。英文和訳の訳出単位は、思考単位の意味チャンクではなく、学校文法単位のセンテンスだからです。このことが、英文和訳を言語としてレベルの低いものにしている、第一の理由です。

(1) 学校英文法

実例でみてみましょう。以下は、国際通貨基金が出しているThe World Economic Outlookというレポートからとってきたセンテンスです(少し専門的で申し訳ありません)。これを自分で訳してみてください。できれば訳文は1つでなく数種類のものをつくっていただきたいと思います。

At the root of the market failure that led to the current crisis was optimism bred by a long period of high growth and low real interest rates and volatility, along with policy failures.

訳文の出来栄えはいかがでしたでしょうか。では、ここから一緒にこのセンテンスについて、検討していくことにしましょう。まず、上のセンテンスについての「学校英文法的」な解説をおこないます。

このセンテンスは、構文としてはSVCにあたるものです 。それをCVSのかたちに倒置しています。At the root of the market failure that led to the current crisisがComplement(補語)、wasがPredicative Verb(述語動詞)、optimism以下がSubject(主語)です。At the root of the market failureの後ろにつくthat led to the current crisisは、the market failureを先行詞とする関係代名詞節です。optimismの後ろにつくbred by a long period of high growth and low real interest rates and volatilityは、optimismを先行詞とする過去分詞句です。最後のalong以下は、このセンテンス全体を修飾する前置詞句です。

ここまでが従来の学校英文法に沿った解説です。よくわかりましたか? うーん、なんだかなあ、とクビをかしげているかも中にはおられるかもしれませんね。

すでに述べたように、従来の英文法は私たちの言語理解プロセスを説明しようとするものではありません。英語を1つの体系として捉えようとするものです。また学校英文法は百年以上前にイギリスでつくられた古ぼけた言語理論を基本にしているものですから、数多くの欠点や矛盾点を含んでいます。上の解説に皆さんがクビをかしげられるのももっともなことなのです。

現在では言語研究が大きく進み、従来の学校英文法と異なる文法が数多く生み出されています。機能文法、生成文法、認知文法といった言葉を聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれません。また脳科学の急速な進展にともなって言語と脳の関係も明らかになってきました。

(2) 英文和訳

では実際の訳文をみてみましょう。以下に国際通貨金がつくった参考仮訳を挙げます。ただし、これはあくまで「参考仮訳」ですのでお間違えなく。

今回の危機を招いた市場の混乱の根底には、長期にわたる高成長、低金利、低ボラティリティ、政策の誤りから生じた楽観主義があった。

この訳文の訳出方法の基本は、倒置構文を勘案したうえでの英文和訳です。原文と訳文を並べてみましょう。

At the root of the market failure that led to the current crisis was optimism bred by a long period of high growth and low real interest rates and volatility, along with policy failures.

今回の危機を招いた市場の混乱の根底には、長期にわたる高成長、低金利、低ボラティリティ、政策の誤りから生じた楽観主義があった。

At以下が「~には」、wasが動詞の「あった」、optimismが主語の「楽観主義が」、そしてbed by以下が主語のoptimismを修飾する修飾語句とみなしています。ただ残念ながら、これは英文和訳的にみても構文の取り違えです。最後のalong with policy failuresの前にはカンマがありますから、これは形容詞的修飾語句ではなくセンテンス全体にかかる修飾語句です。具体的にはこのpolicy failuresはoptimismとペアになるものです。

a long period of high growth and low real interest rates and volatilityの部分については、この訳文はうまく処理していると思います。a long period of A and B and Cという異様なかたちにもみえますが、よくみるとhighとlowとの対比のかたちをとっており、実際にはa long period of high A and low (B1 and B2)というかたちをしています 。

上記の訳文での構文的な取り違えを修正すると、訳文は以下のようになります。

今回の危機を招いた市場の混乱の根底には、政策の誤りに加えて、長期にわたる高成長、低金利、低ボラティリティから生じた楽観主義があった。

これで訳文として問題なし、と思われる方もおられるかもしれません。しかし、そうではありません。動的な理解という観点からみると、この訳文には問題があるのです。ここからそれをみていきましょう。

(3) 動的翻訳

まず原文の動的な理解からはじめることにしましょう。

原文のセンテンスを意味チャンクごとに区分してみると以下のようになります。別の切り分け方も可能でしょうが、ここでは私の理解にあわせて切り分けてみました。

1. At the root of the market failure
2. that led to the current crisis
3. was optimism
4. bred by a long period of high growth and low real interest rates and volatility,
5. along with policy failures.

動的な理解の中味をビジュアル化するために、この原文の意味チャンクを前から1つずつ書いていくことにします。最初に1の意味チャンクを書きます。

At the root of the market failure

ここまでを読んで、皆さんはこの次に何がくるのかを「先取り理解」できましたか? 「先取り理解」について簡単に説明しておきます。

先取り理解とは、言語のある部分を理解しながら、その先の部分についても「先取りして」(予測を立てて)理解する能力のことです。「先取り理解」の能力は母語では自然と身につくものであり、また無意識に行われているのが特徴です。言語理解には不可欠のもので、もしこの能力が欠けていると、脳の言語処理能力はすぐにオーバーフローします。

母語では自然に身につく先取り理解ですが、残念ながら外国語ではそうはいきません。例えば日本人が英語を理解しようとするときには、この先取りがほとんど働きません。そのため、速いスピードで英語を聴いたり読んだりすると、脳の処理能力がパンクして頭が真っ白になってしまうのです。

上に挙げた例においても、At the root of the market failureを読みながら、次にやってくる意味チャンクを無意識のうちに先取りできている日本人は、あまり多くないはずです。皆さんがもしきちんと先取り理解をできなかったとしても、がっかりすることはありません。みんなそうなのですから。

とはいっても、英語を本当にマスターするには先取り理解能力の獲得が必要不可欠です。では、どうやってその能力を獲得していけばよいのでしょうか。大人が赤ちゃんのように無意識で言語をマスターできないことはご存知のとおりですが、しかしその代わりに、大人は別の方法で言語を習得することができます。まず意識的に理解し、そして何度も繰り返して無意識化していくのです。「頭でわかって体で覚える」です。これが私たちが先取り理解の能力を身につけるための最短のルートです。

以下に挙げているのは、上のセンテンスに対して私が心の中で行っている先取り理解のあり方を言語化したものです。もちろん一種のフィクションであり、このままのかたちで行っているわけではありません。しかし少なくとも、これに近いかたちで私の心の中が動いていることは確かです。

1. At the root of the market failure
(市場の失敗の根幹にあるのは…ってことか。でもAtではじまるからこれはおそらく倒置構文だ。CVSのかたちか。ここで意味のかたまりは終わりなのかな? いやthe market failureに関するコメントがまだ続く可能性はある)

2. that led to the current crisis
(やはりそうだ。その市場の失敗が今回の危機を生み出したわけだ。まだなにかコメントが続くのかな? the current crisisに対するものがついてもおかしくないが…)

3. was optimism
(wasがきたから、これでコメントは打ち止めだ。そして主語はoptimismだ。そのoptimismに対して何かコメントが続く可能性はずいぶん高い。ここで終るのはいかにも尻切れトンボだ)

4. bred by a long period of high growth and low real interest rates and volatility,
(まずはbred byか。それでそのoptimismを太らせたのはa long period of high growth and low real interest rates and volatility…うん? なんだこりゃ。A and B and Cのかたち? いや内容からいうとhigh growthとlow real interest rates and volatilityだろう。a long period of high A and low Bというわけか。ここで終わりかな? これでおしまいでよさそうだが)

5. along with policy failures.
(まだついているぞ。政策の失敗もいろいろあった? なるほど市場の失敗だけじゃなくて、今回の危機の根幹には政治の失敗もあったわけだ。それにしても、こんなものを最後につけるかな。別のセンテンスにするべきだろう)

こうした思考の言語化を、まずゆっくりとしたスピードで繰り返して行います。それをだんだんスピードアップしながら繰り返して、無意識の世界へと落とし込んでいくのです。正しい手順で、何度も何度も繰り返すこと。これがポイントです。

こうした読みから日本語の訳文へとつなげてみると、原文の思考単位である意味チャンクの順番どおりに訳すことができます。これが「思考単位ごとの翻訳」です。例えば、以下のようなものが考えられるでしょう。参考仮訳の修正版と並べてみます。皆さんの作った訳文ともくらべてみてください。

今回の危機を招いた抜本的理由は市場の機能不全だが、その温床となったものに楽観主義がある。この楽観主義の背景には、高度成長、低金利、低ボラティリティなどが長期にわたり持続したことが挙げられる。また楽観主義に加え、政策の誤りが市場の機能不全につながった側面もある。

今回の危機を招いた市場の混乱の根底には、政策の誤りに加えて、長期にわたる高成長、低金利、低ボラティリティから生じた楽観主義があった。

英文和訳と意味チャンクごとの翻訳との比較

意味チャンクごとの翻訳と英文和訳とを比べてみると、次のことがわかります。第1に、思考単位ごとの翻訳ではセンテンスが細かく切り分けられています。ここでは1つのセンテンスが4つに切り分けられており、その結果として思考の流れが明確になり、全体がわかりやすくなっています。日本語には「文末決定性」という性質があります。日本語の文では文末の動詞にくるまではその前の要素のすべての意味が明確に定まらないということです。一方、英語という言語には文末決定性という性質がありません。意味チャンクごとに訳していくということは、このような日英の言語としての特性を考慮しつつ、日本語の特質にあわせて訳文を明確にしていくという作業です。

第2に、意味チャンクごとの翻訳では、繰り返し表現が多くなります。ここでは「楽観主義」が3回、「機能不全」が2回、繰り返されています。その結果、英文和訳に比べて、思考単位ごとの翻訳は全体として長くなります。ここでは英文和訳のほぼ2倍の長さになっています。

文章は簡潔であるほどよいという基準に照らしあわせると、思考単位ごとの翻訳よりも英文和訳のほうが優れているという判断も出てきそうですが、それは違います。注意すべきは、長くなるのは全体であって、単独の文は逆に短くなっています。

・今回の危機を招いた抜本的理由は市場の機能不全だ。(24字)
・その温床となったものに楽観主義がある。(19字)
・この楽観主義の背景には、高度成長、低金利、低ボラティリティなどが長期にわたり持続したことが挙げられる。(51字)
・また楽観主義に加え、政策の誤りが市場の機能不全につながった側面もある。(35字)
一方、英文和訳は一文としては、かなり長いものです。
・今回の危機を招いた市場の混乱の根底には、政策の誤りに加えて、長期にわたる高成長、低金利、低ボラティリティから生じた楽観主義があった。(67字)

簡潔なほうがよいという基準に照らし合わせても、意味チャンクごとの翻訳のほうが英文和訳よりも優れています。

しかしそれでもなお、現実には意味チャンクごとの翻訳よりも英文和訳のほうを好む人が数多くいることは事実です。皆さんの中にも、そうしたメンタリティをお持ちのかたがいらっしゃるのではないでしょうか。

英文和訳(直訳)という不自然な翻訳が自然でわかりやすい訳文よりも知的であるという考え方は、日本人にいまも根づいています。現代日本社会で生きている翻訳者としても、そうした現実にある程度は合わせていかなければなりません。わかりにくさや不自然さをあまり感じさせないのであれば、その部分については英文和訳を使えばよいのではないでしょうか。100点か0点かではなく70点か80点を目指すということです。

演習問題

次の英語を日本語にしてください。

1.The team members, who looked happy after their victory, were cheered by the fans.

2.Lab reports that are not handed in by Friday will not be accepted.

3.The proposed law, which was oppressed by the majority of the people, did not pass.

4.The secrets of the universe, having fascinated people for centuries, are slowly being revealed.

5.He joined the group, his face beaming with interest.

6.The car was upside down, with its wheels still turning.

7.A small drop of ink, falling (as Byron said) like dew upon a thought, can make millions think.

8.Ken Heebner increased his commodities exposure in 2005, and shorted mortgage lender Countrywide in 2005, all of which has made him big gains.

9.The Bordeaux wine prices shot up due to the limited quantity and high demand, making for a lively futures market.

10.Video games are no longer just for kids: they make up a fast-growing, $19 billion industry with perhaps as much pop-cultural significance as Hollywood.

11.
A. After Czar Alexander II’s emancipation of the Russian serfs in 1861, many now-free peasants chose to live on a commune for purposes of cooperation in agricultural production as well as for social stability.

B. In 1861, Czar Alexander II emancipated the Russian serfs. Many of them chose to live on agricultural communes. There they thought they could cooperate with one another in agricultural production. They could also create a stable social structure.

C. After the Russian serfs were emancipated by Czar Alexander II in 1861, many chose to live on agricultural communes, hoping they could cooperate in working the land and establish a stable social structure.

12. Many of the grammatical rules that some among us like to invoke are not linguistic fact, but classroom folklore, invented by eighteenth-century grammarians out of whole cloth, repeated by editors unwilling to determine whether those rules comport with reality, taught by teachers who teach what textbooks tell them, and ignored by the best writers everywhere.

13.Socrates, who relentlessly questioned the very foundations of social and political behavior, forced his fellow citizens to examine the duty they owed to the laws of their gods and to the laws of their state and encouraged young people to question the authority of their elders while he maintained that he was only trying in his poor inadequate way to puzzle out the truth as best he could.

14.Today, most managers probably regard the “Quality Management revolution,” like the organizational learning fad of the early 1990s, as history, far from the frontiers of today’s challenges. But is that because we have achieved or abdicated the transformation Deming advocated? It is hard for me to contemplate a list like this one and not feel that these maladies still afflict most organizations today, and that it will take generations, not years, to change such deeply embedded beliefs and behaviors. Indeed, perhaps the most obvious question for many of us is: “Will this system of management ever change on a large scale?” Answering deep questions like this about the future requires looking carefully at the present.


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つぼ2 「かたち」にこだわらない

先のつぼ1「意味チャンクごとに訳す」における原文と訳文を、もう一度示します。

At the root of the market failure that led to the current crisis was optimism bred by a long period of high growth and low real interest rates and volatility, along with policy failures.

今回の危機を招いた抜本的理由は市場の機能不全だが、その温床となったものに楽観主義がある。この楽観主義の背景には、高度成長、低金利、低ボラティリティなどが長期にわたり持続したことが挙げられる。また楽観主義に加え、政策の誤りが市場の機能不全につながった側面もある。

実はここに意味チャンクごとに訳すという「つぼ」の他に、もう1つの「つぼ」が隠されています。

それは訳出において言葉の「かたち」にこだわっていないことです。例えば、a long period of high growth and low real interest rates and volatilityは名詞句ですが、訳文では「高度成長、低金利、低ボラティリティなどが長期にわたり持続した」になっています。また、along with policy failuresという前置詞句については、「また楽観主義に加え、高度成長、低金利、低ボラティリティなどが長期にわたり持続したことが挙げられる」という文になってしまっています。

英文和訳では、名詞は名詞、動詞は動詞、受動態は受動態というように、言葉のかたちを一致させるのが一般的です。しかし言葉と言葉ではなく内容と内容を対応させるという観点からみれば、品詞や語法の対応に意味はありません。英語と日本語では世界の捉え方や言語の特質そのものが違いますので、品詞や語法を対応させるという方法は無理なのです。ですから翻訳において品詞や語法の対応にこだわる必要はありません。品詞は無視して柔軟に訳文を組み立てていけばよいのです。大事なことは言葉のかたちを訳すことではありません。そのテキストの内容、そしてそれをつくった人の心そのものを訳すことです。

(1) 「モノ」から「コト」へ

実際の例をみてみましょう。例文として、これも少し専門的で申し訳ありませんが、米国オバマ大統領政権におけるThe Economic Report of the Presidentを用いることにします。The Economic Report of the Presidentは簡単にいえば米国政府の年次経済報告書のことです。1番目のセンテンスは以下のとおりです。まず原文をよく読んだうえで訳してみてください。

These actions as well as the very existence of a better-funded global lender may have helped to keep the contraction short and to prevent sustained currency crises in many emerging nations.

いかがだったでしょうか。うまく訳せましたか?

このセンテンスは、2009年の世界金融危機時におけるIMFの役割に関して述べたパラグラフの一部分です。このときIMFは、危機対応として資金量を3倍に増強し、新興国への与信枠拡大などの対応策を行いました。そうした危機対応策を具体的に説明した後に、上記のセンテンスが述べられます。ここのThese actionsとはIMFの対応策のことであり、a better-funded global lenderとは実質的にはIMFのことです。

The Economic Report of the Presidentには翻訳版が出されています。その訳文をみてみましょう。

これらの措置は、基金が充実した世界の貸し手の存在そのものとともに、多くの新興経済国において収縮をとどめ、持続的な通貨危機を予防するのに役立ってきたのかもしれない。
(『米国経済白書2010』、萩原伸次監訳、毎日新聞社、p.110)

みてのとおりの英文和訳です。つぼ1の最後に私は「わかりにくさや不自然さをあまり感じないのであれば、その部分には英文和訳を使えばよい」と書きましたが、これについてはさすがに無理でしょう。

私の翻訳例は、以下のとおりです。

資金量の潤沢なグローバルな貸し手が確かに存在することに加えて、上記のような様々な具体策が講じられたことは、多くの新興国において、信用収縮を短期的なものにとどめ、ひいては通貨危機の長期化を食い止めることにつながったといえよう。

まず、These actions as well as the very existence of a better-funded global lendを「これらの措置は、基金が充実した世界の貸し手の存在そのものとともに」の代わりに、「資金量の潤沢なグローバルな貸し手が確かに存在することに加えて、上記のような様々な具体策が講じられたことは」としました。具体的にはThese actionsという名詞表現を「上記のような様々な具体策が講じられたこと」、またthe very existence of a better-funded global lendという名詞表現を「資金量の潤沢なグローバルな貸し手が確かに存在すること」にしています。いずれも、「モノ」的表現から「コト」的表現へと変換して訳しているわけです。

英語は名詞を世界認識の中心とする「モノ」的言語であり、日本語は動詞を世界認識の中心とする「コト」的言語です。そのため、英語では名詞表現を多く使うと自然に感じられ、一方、日本語では動詞表現と多く使うと自然に感じるのです。品詞や語法にこだわる必要がないという背景には、そうした日英の言語としての特性の違いが潜んでいます 。

全体の表現としては、なるべく和語を多く使うようにしました。そのほうが日本語として自然で誰にもわかりやすいものになるからです。その一方で、節目節目の概念には漢語表現を使っています。漢語表現は日本文化の要であり、特に実務分野の翻訳では漢語を使わないで済ますことはほぼ不可能です。いかにうまく漢語を使いこなすかは実務翻訳者にとって最大の課題の1つです。

2つのセンテンスの複合体

第2の例は次のものです。これもしっかりと読んで、それから訳してみてください。

The failure of this shock to turn into a series of deep sustained financial collapses across the emerging world was a welcome development that left the world economy better positioned for a quick turnaround.

今回の金融危機では1997年のアジア金融危機のときと違って、各国金融市場が次々と連鎖的に崩壊していくという事態には陥りませんでした。このセンテンスはその理由について述べたパラグラフの最後のものです。
センテンスの構文は学校文法でいうところのSVC構文です。The failure of this shock to turn into a series of deep sustained financial collapses across the emerging worldが主語、wasが述語動詞、a welcome development that left the world economy better positioned for a quick turnaroundが補語です。
このようにA is Bのかたちで用いられるbe動詞のことを「コピュラ」(Copula)といいます。ラテン語で「連結」を意味する語です。日本語では「繋辞(けいじ)」と訳されています。

長い主語と補語とをコピュラ(be動詞)でつないで長い一文にするやり方は、英米の学者や法律家がつくる英文センテンスの特徴の1つです。英米の知識人の一部にはセンテンスは長ければ長いほど「知的」であるというイメージがあります。そこでなるべくセンテンスを長くしようとするのです。その結果として生まれたのが、長い主語、be動詞、長い補語という構文です。

もちろん、これは悪文です。英米の多くの文章の専門家たちもこうしたセンテンスをつくっていけないと強く主張しているのですが、実際にはなかなか減りません。文章は複雑でわかりにくいほど知的であるという歪んだ考え方は日本人だけでなく英米人のなかにも根強く存在するのです。

このセンテンスは以下の2つのセンテンスの複合体です。

•This shock didn’t turn into a series of deep sustained financial collapses across the emerging world.
(このショックは、新興諸国のあいだで深刻かつ持続的な金融崩壊が次々と生じるという事態には向わなかった。)
•It is welcome that the development left the world economy better positioned for a quick turnaround.
(事態がこのように進んだことは、世界経済の迅速な回復に向けての基盤強化につながるものであり、喜ばしいことである。)

この2つの内容を別々に述べるのではなく、名詞化を使って一体化することによってセンテンスを長くしたのが、オリジナルの英文センテンスです。その結果、センテンスの長さは34ワードになりました。一般的に30ワードを超えれば「知的な」センテンスとみられるようですから、十分に長くなったわけです。

訳文については、まず『米国経済白書』の訳文からみていくことにしよう。

このショックが新興市場を通じた一連の深刻かつ持続的な金融崩壊へ転化しなかったのは、喜ばしい事態であり、世界経済は素早い反転に向けて比較的良い態勢にあった。
(『米国経済白書2010』、萩原伸次監訳、毎日新聞社、p.96)

ここで訳者は直訳から一歩踏み出してThe failure of this shock to turn into…という名詞化表現に対して「このショックが(略)転化しなかったのは」という動詞表現を使っています。おそらくThe failure of this shockを名詞句のまま訳すのでは、よい訳語が見つからなかったのでしょう。「このショックの失敗」では日本語としてさすがに無理です。英文和訳では直訳でどうしてもうまくいかないときには、その部分については名詞表現を動詞表現に換えることが許されているようです。ルールとしてそうなっているのではなく、暗黙の了解としてそうなっています。

一方、a welcome developmentの部分については、「喜ばしい事態」と名詞表現のままで押し通しています。日本語として許容範囲だという判断なのでしょう。その代わりにdevelopmentの訳語は「事態」とせざるを得なかったようです。普通の辞書にdevelopmentの訳語として「事態」という語は出ていませんから、辞書に出ている「発展」や「進展」を使いたいところなのでしょうが、「喜ばしい発展」では日本語として成り立たないということでしょうか。

私の翻訳例は、以下のとおりです。原文と『米国経済白書2010』の訳もあわせて示しておきます。

The failure of this shock to turn into a series of deep sustained financial collapses across the emerging world was a welcome development that left the world economy better positioned for a quick turnaround.

こうして、このショックによって新興諸国のあいだで深刻かつ持続的な金融崩壊が次々と勃発する事態は避けられた。さらに喜ばしいことに、状況がこのように進展したことで世界経済の迅速な回復に向けての条件がいっそう整ったといえる。(成瀬)

このショックが新興市場を通じた一連の深刻かつ持続的な金融崩壊へ転化しなかったのは、喜ばしい事態であり、世界経済は素早い反転に向けて比較的良い態勢にあった。(『米国経済白書2010』)

私の訳では、a series of deep sustained financial collapses across the emerging worldという名詞句が「新興市場を通じた一連の深刻かつ持続的な金融崩壊」ではなく「新興諸国のあいだで深刻かつ持続的な金融崩壊が次々と勃発する」になっています。またa welcome developmentについては「さらに喜ばしいことに、……がいっそう整ったといえる」といった表現になっています。いずれも「コト」的表現から「モノ」的表現への転換の例です。

(2) 無駄をはぶく

ダイエットにご興味のある方は多いことでしょう。私もときどきダイエットをしますが、体がすっきりすると頭もすっきりします。ダイエットは健康だけではなく勉学や仕事にもよいようです。ただし、やりすぎにはご注意を。
さてここからは体でなく、文章のダイエットについて考えてみます。体と同様に文章にも余計なものがついているのはよくありません。書くうえでなによりも大切なのは無駄を省くことです。表現の巧拙はその後のことです。文章の無駄というのは予想以上にあるもので、見直せば見直すほど、かなりの部分を削ることができます。これは翻訳の場合でも同じことです。

実例をみてみましょう。以下はFortuneという経済誌の記事の一部分と、それに対して私の講座の受講生がつくった訳文です。まずしっかり読んでみてください。内容はアフリカのカカオ農場の現状についてです。

The big cocoa exporters – Cargill, Archer Daniels Midland, Barry Callebaut and Saf-Cacao – do not own plantations and do not directly employ child workers. Instead, they buy beans from Ivorian middlemen called pisteurs and treton. These middlemen own warehouses and fleets of flatbed trucks that travel deep into the jungle to buy cocoa from the small independent farmers who grow most of the crop. But labor and human rights activists charge that Big Chocolate has an obligation to improve working conditions on the farms where so many children toil. They argue that the exporters and manufacturers bear ultimate responsibility for conditions on the farms because they exert considerable control over world cocoa markets, essentially setting what is called the farm gate price.

巨大なカカオ輸出業者(カーギル、アーチャー・ダニエルズ・ミッドランド、バリー・カレボー、ソフ・カカオ)はプランテーションを保有しておらず、未成年労働者を直接雇っているわけではない。しかしその代わりに、こういった企業はpisteursやtretonと呼ばれるコートジボワール人の仲介人を通して豆を購入している。この仲介人は、倉庫と数多くの低床トラックを保有しているため、ジャングルの奥深くまで旅行し、作物の大部分を育てている小規模な自作農家たちからカカオを購入する。しかし、労働および人権活動家が非難するところによると、多くの子供たちが過酷な労働を強いられている農場の労働条件を改善する義務は、巨大チョコレート会社にこそあるということだ。輸出業者とメーカーは世界のカカオ市場に大きな影響力を及ぼしており、いわゆる「農場ゲートプライス(農場での卸売り価格)」を実質的に決めているため、農場での労働条件に関しての最終的な責任は輸出業者とメーカーにあると、労働および人権活動家は主張しているのだ。

それほど悪い訳ではなさそうです。しかしそれでも無駄として省けるところがそれなりにあります。では実際に少し手を加えてみましょう。

カーギル、アーチャー・ダニエルズ・ミッドランド、バリー・カレボー、ソフ・カカオといった巨大カカオ輸出企業は、プランテーションを保有せず、子供を直接には雇っていない。カカオのほとんどは、倉庫と平底型トラックを持つコートジボワール人の仲介人(pisteursやtretonと呼ばれる)がジャングルの奥地まで出向き、小さな農家から買い付けている。輸出企業はそれを買い入れるだけだ。それでも農場での子供の過酷な労働条件を改善する義務は、こうした企業にあると労働人権関連の活動家は主張する。世界のカカオ市場に大きな影響力を持ち、農場での買い付け価格を実質的に決めているのは巨大カカオ輸出企業であり、従って農場での労働条件の責任も突き詰めれば彼らにあるというのだ。

かなりすっきりしました。字数は約440字から約320字に減りました。読みやすくもなりました。ダイエットが効いたようです。

ではここからは、文章の具体的なダイエット方法について、みてみましょう。

表現をシンプルにする

1つめの文章ダイエット方法は表現をシンプルなものに変えることです。上の文章では、具体的に次のような表現の書き換えを行っています。「保有しておらず」→「保有せず」、「直接雇っているわけではない」→「直接には雇っていない」、「子供たちが過酷な労働を強いられている農場の労働条件」→「農場での子供たちの過酷な労働条件」、「いわゆる「農場ゲートプライス(農場での卸売り価格)」→「農場での買い付け価格」、「影響力を及ぼしており」→「影響力を持ち」。

日本語は和漢洋の表現が入り混じったハイブリッド言語ですので、1つの事柄を言い表すにも様々な表現ができます。こうした言語としての特徴を十分に活かして、誰にもわかりやすいシンプルで無駄のない表現に書き換えるのです。

文を書き換える

2つめの方法は、表現だけではなく文全体をシンプルに書き換えてしまうことです。例えば上の文章では、以下のような書き換えを行っています。

「しかしその代わりに、こういった企業はpisteursやtretonと呼ばれるコートジボワール人の仲介人を通して豆を購入している。この仲介人は、倉庫と数多くの低床トラックを保有しているため、ジャングルの奥深くまで旅行し、作物の大部分を育てている小規模な自作農家たちからカカオを購入する。」(約140字)
→「カカオのほとんどは倉庫と平底型トラックを持つコートジボワール人の仲介人(pisteursやtretonと呼ばれる)がジャングルの奥地まで出向き、小さな農家から買い付けている。輸出企業はそれを買い入れるだけだ。」(約100字)

気をつけなければならないのは、文の書き換えによって内容が変わってしまうことがないようにすることです。よい文章になっても誤訳になってしまうのでは元も子もありません。誤訳にならないよう、気をつけながら書き換えていきましょう。

省略のできる要素

日本語では代名詞や数量表現は省略することができます。

例えば、自己紹介のときに日本語ならば「成瀬です。翻訳者です。」でよいのですが、英語ならば“I am Naruse. I am a translator.”と人称代名詞の“I”が必ず必要になります。その英語を直訳して「私は成瀬です。私は翻訳者です。」などとすると日本語として不自然になります。“it”や“they”などの他の代名詞にも同じことがいえます。

従って、訳文では「私」「それ」「その」などを省略できるケースがきわめて多いのです。私の講座の受講生の皆さんの訳文をみていると省略のできる「それ」「その」などが数多く出てきます。「『その』『それ』を省いてみてください」は授業での私の口癖の1つになっています。

また英語と違って、日本語では名詞の単数複数の識別が絶対に必要というわけではありません。そのため、“I have some questions.”を「質問がいくつかあります。」とは訳さず、「質問があります。」と訳すほうが日本語としてはよいわけです(もちろん「いくつか」をつけたほうがよいケースもあります)。同様のことは、他の数量表現や単数形・複数形にもあてはまります。機械的にsomeだから「いくつかの~」、aがついているから「1つの~」、複数形だから「~たち」とする必要はありません。

複合漢語の利用

例えば、「二酸化炭素の排出に関する規制」という表現は「二酸化炭素排出規制」のように「の」や「に関する」を省いて複合漢語として表現することができます。複合漢語はいくらでも長くできます。「二酸化炭素排出規制案作成検討委員会常任部会委員」などです。このようにあまりに長くしたり、使いすぎるのは逆効果ですが、節度をもって利用すれば、特に学術系翻訳において、複合漢語は大きな効果を発揮します。

演習問題

次の英語を日本語にしてください。

1.The commander has no expectation that the prisoners will be freed.

2.There is no need for acceptance of this condition.

3.Patient movement to less restrictive methods of care may be followed by increased probability of recovery.

4.Software developers are seeing an earnings recovery in fiscal 1995, with 12 of 14 listed firms expecting higher pretax profits and one software house hoping to more out of the red.

5.Hypertext was invented to facilitate the process of navigating through a presentation of a collection of interrelated topics.

6.The role of markets is easily observed and understood when dealing with a simple commodity such as potatoes.

7.The purpose of an environmental scan is to obtain a general understanding of the external business environment we are currently in and expect to be in over the near-term. This may include any number of factors, but they are factors that may significantly impact the bank’s business, either positively or negatively depending on how we manage our way through them.

8.In my view, the global diffusion of English has taken an interesting turn: the native speakers of this language seem to have lost the exclusive prerogative to control its standardization; in fact, if current statistics are any indication, they have become a minority. This sociolinguistic fact must be accepted and its implicaition recognized. What we need now are new paradigms and perspectives for linguistic and pedagogical research and for understanding the linguistic creativity in multilingual situation across cultures. (Kachru 1985: 30)

9.Wal-Mart’s foray into Japan is under pressure on two fronts, one Japanese and the other American. First, even before it took full control, Wal-Mart persuaded Seiyu’s management in 2004 to dismiss 25 percent of headquarters staff, including 1,500 employees and managers. That kind of mass firing happens rarely in Japan, which places a premium on social harmony. And when the firing is done at the behest of foreigners, it takes on added negative connotations.

10.Maturity and Duration Management
Maturity and duration management decisions are made in the context of an intermediate maturity orientation. The maturity structure of the portfolio is adjusted in anticipation of cyclical interest rate changes. Such adjustments are not made in an effort to capture short-term, day-to-day movements in the market, but instead are implemented in anticipation of longer term, secular shifts in the levels of interest rates (i.e. shifts transcending and/or not inherent in the business cycle). Adjustments made to shorten portfolio maturity and duration are made to limit capital losses during periods when interest rates are expected to rise. Conversely, adjustments made to lengthen maturation for the portfolio’s maturity and duration strategy lie in analysis of the U.S. and global economics, focusing on levels of real interest rates, monetary and fiscal policy actions, and cyclical indicators.

11.I spent several days and nights in mid-September with an ailing pig and I feel driven to account for this stretch of time, more particularly since the pig died at last, and I lived, and things might easily have gone the other way round and none left to do the accounting. Even now, so close to the event, I cannot recall the hours sharply and am not ready to say whether death came on the third night or the fourth night. This uncertainty afflicts me with a sense of personal deterioration; if I were in decent health I would know how many nights I had sat up with a pig.
  The scheme of buying a spring pig in blossom time, feeding it through summer and fall, and butchering it when the solid cold weather arrives, is a familiar scheme to me and follows an antique pattern. It is a tragedy enacted on most farms with perfect fidelity to the original script. The murder, being premeditated, is in the first degree but is quick and skillful, and the smoked bacon and ham provide a ceremonial ending whose fitness is seldom questioned.

12.A gene is a segment of DNA (deoxyribonucleic acid) within a choromosome that encodes information fro the synthesis of a particular protein. In eukaryotes (or genism with a true cell nucleus), most of the organism’s genetic information is contained within the nucleus. In addition, the mitochondria (the cell’s “power plants”), and chloroplasts in plants, also have their own small, separate sets of genes. In prokaryotes, which lack a cell nucleus, the DNA generally takes the form of a ring-shaped molecule within the cell’s cytoplasm. Many bacteria also possesses plasmids (smaller, nonchromosomal DNA molecules), which normally do not contain essential genetic information but may carry genes, such as those for toxin production, carbohydrate processing, or resistance against antibiotics. Species with these genetic addition often have competitive advantages over other bacteria. Taken together, all of the genetic information contained in an organism’s genes constitutes its genotype (the genetic constitution of an organism). The actual appearance of the organism–its phenotype–results from interactions between the genotype and internal and external environmental influences. Thus, organisms with identical genotypes do not necessarily have the same phenotype.

13.The retrenchment from foreign markets is now outpacing the overall deleveraging process, with a sharp decline of cross-border funding intensifying the crisis in several emerging market countries. Indeed, the withdrawal of foreign investors and banks together with the collapse in export markets create funding pressures in emerging market economies that require urgent attention. The refinancing needs of emerging markets are large, estimated at some $1.6 trillion in 2009, with the bulk coming from corporates, including financial institutions. Though notoriously difficult to forecast, current estimates are that net private capital flows to emerging markets will be negative in 2009, and that inflows are not likely to return to their pre-crisis levels in the future. Already, emerging market economies that have relied on such flows are weakening, increasing the importance of compensatory official support.

14.Before the statutory information and disclosures of the review by the Board of Directors, the Nokia Board of Directors outlines a brief summary of the key developments and actions taken during 2010 and early 2011.
ーAt the Nokia Annual General Meeting in May 2010, the Chairman of the Board, Jorma Ollila acknowledged that 2009 had not been a satisfactory year and that Nokia shareholders were justified in being unhappy with the share price development. The Board was, as the Chairman noted, painfully aware of the situation and very determined to change it around.
ーDuring the summer 2010, the Board searched for and identified a new CEO with a strong background in software and a proven record in change management, who replaced the previous CEO in September 2010.
ーDuring the fourth quarter of 2010 and ending in early 2011, an indepth review of the challenges of the company, both operational and strategic, was undertaken by the CEO with the full support and close involvement of the Board.
ーBased on the review, a new strategy was established, and approved and disclosed in February 2011. The strategy is built around three “pillars”: regaining leadership in the smartphone market, reinforcing our leadership position in mobile phones and investing in future disruptive technologies.
ーDuring 2010 and continuing in 2011, the Board has held more meetings both formal and informal and interacted more intensively with management during and between board meetings than ever before.



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つぼ3 全体を訳す

(1) 木を見て森を見ず

ここまで、センテンスをいかに訳すかをみてきました。しかしセンテンスがうまく訳せたからといって、それだけでよい翻訳になるわけではありません。テキストは1つの有機体であり、センテンスはその一部にすぎません。部分にとらわれることなく、テキスト全体を訳すことが必要です。

ところが、翻訳者の多くがテキスト全体の訳出についてはそれほど注意深くはないように思えます。そのため、センテンスごとの意味はわかっても、テキスト全体としては何をいっているのかわからないという訳文がよくみられます。「木を見て森を見ず」です。

(2) 文章構造を図解する

こうした問題を解決するための1つの手段が、文章構造を図解することです。言語は線条性と動的理解という特性を持っているため、全体を全体として捉えることが難しいという欠点があります。この欠点を補うのが、図解です。図が持つ一覧性の高さという強みを活かすのです。

実際のテキストで、この文章構造の図解について具体的にみてみましょう。取りあげるテキストは2004年の米国のThe Economic Report of the Presidentの一部分です。経済理論の基本について述べているところです。これまでと同じく、しっかりと原文を読み、訳してみてください。できれば自分なりに文章構造の図もつくってみてください。

An important reason for Americans’ high standard of living is that they live in a free-market economy in which competition establishes prices and the government enforces property rights and contracts. Typically, free markets allocate resources to their highest-valued uses, avoid waste, prevent shortages, and foster innovation. By providing a legal foundation for transactions, the government makes the market system reliable: it gives people certainty about what they can trade and keep, and it allows people to establish terms of trade that will be honored by both sellers and buyers. The absence of any one of these elements—competition, enforceable property rights, or an ability to form mutually advantageous contracts—can result in inefficiency and lower living standards.

このテキストの構造を図解してみましょう。まず意味チャンク(意味のかたまり)ごとに区切って番号をつけます。ここでは以下の9個に分けてみました。参考訳文もつけてあります。

① An important reason for Americans’ high standard of living is
(米国民は豊かな生活を享受しているが、それを支える大きな要因のひとつに)

② that they live in a free-market economy
(自由市場経済体制の存在が挙げられる)

③ in which competition establishes prices
(ここにいう自由主義経済体制とは、価格が競争によって決定され、)

④ and the government enforces property rights and contracts.
(財産や契約が政府によって保証される、そうした体制のことである。)

⑤ Typically, free markets allocate resources to their highest-valued uses, avoid waste, prevent shortages, and foster innovation.
(典型的な自由市場を考えてみよう。そこでは各資源が最大の価値を生み出す用途へ分配される。無駄や不足が生じることはなく、その一方で改革への意欲が生み出される。)

⑥ By providing a legal foundation for transactions, the government makes the market system reliable:
(また経済取引に対して政府が法的な基盤を保証するため、市場は人々の信頼に足るところとなる。)

⑦ it gives people certainty about what they can trade and keep,
(つまり人々は安心してものを売り買いし、あるいは手元に置いておくことができるのである。)

⑧ and it allows people to establish terms of trade
(さらには売り手と買い手のあいだでは取引に際して各種の契約を結ぶことができる。)

⑨ that will be honored by both sellers and buyers.
(なぜなら政府の保証があることで、双方ともに将来にわたって契約を順守することが確実に予測できるからである。)

ここから9個の意味チャンクの関係を考えてみます。

②~④は、①のAn important reason for Americans’ high standard of livingの説明です。記号にすると①=②~④というかたちです。②~④の中では②を③と④が詳しく説明しています。②→③+④です。これを記号としてまとめると次のようなかたちです。

①=(②→③+④)

⑤は③についての詳しい説明です。記号にすると③→⑤です。⑥から⑨は④の説明です。④→⑥~⑨です。
⑥~⑨の関係は⑥を⑦~⑨が補足しているというものです。⑥→⑦~⑨です。さらに⑨は⑧を補足する関係です。つまり⑧→⑨です。

ここまでで①から⑨までの部分部分としての関係が明らかになりました。全体として組み合わせると次のようなかたちになります。





これを記号ではなく、英文で表現すると次のようになります。





日本語で解説すると、以下のとおりです。





内容が包括的で大きなトピックから具体的で小さなトピックへと段階的に落とし込まれていることがわかります。したがって次のように書くこともできます。




矢印などを使った図解よりもこのほうがわかりやすいという人もいるかもしれません。どのような方法でもかまいませんが、いずれにしても大事なことは原文を読むときにこうした原文構造をしっかりつかまえることです。構造を理解しないままに訳してしまうと、一文一文の意味はわかっても全体の意味がわからない翻訳になってしまいます。翻訳書の訳文をみてみると、原文の構造をつかまえないままに一文ごとに英文和訳をしたことがわかります。

アメリカ人が高い生活水準を享受する大きな理由のひとつは、競争が価格を規定し、政府が所有権や契約を担保する自由市場経済の中に彼らが住んでいるからである。例によって、自由市場は、最も有益な用途に資源を配分し、無駄を省き、不足を防止し、イノベーションを促進させるものである。取引に法的根拠を与えることによって、政府は、市場システムを信頼できるものにしている。これにより、人々は、取引し保持することに信頼を置き、売り手と買い手の双方によって履行される取引条件を確定できる。
(『エコノミスト増刊号』)

これでは翻訳とはいえません。参考に私が意味チャンクごとに動的に訳したものを以下に挙げておきます。

米国民は豊かな生活を享受しているが、それを支える大きな要因のひとつに自由市場経済体制の存在が挙げられる。自由主義経済体制とは、価格が競争により決定され、財産や契約が政府によって保証される体制のことである。典型的な自由市場を考えてみよう。そこでは資源は最大の価値を生み出す用途に分配されるため、無駄や不足が生じることはなく、さらに改革への意欲が生み出される。また経済的取引に対する法的基盤が政府によって保証されることから、市場は人々の信頼に足るところとなる。人々はそこで安心してものを売り買いし、あるいは手元に置いておくことができる。さらには売り手と買い手のあいだでは取引に際して各種の契約を結ぶことができる。政府の保証があることで、双方ともに将来にわたって契約を順守することが確実に予測できるからである。

(3) 構造を読む訓練を

包括的で大きなトピックから具体的で小さなトピックへと段階的に落とし込むというかたちは、英語のテキスト構造の典型です。実際の学術テキストやビジネステキストの大半は、このかたちをしています。

ところが実際の翻訳ではその構造が理解できていないケースがよくみられます。問題は、知的文章の構造を意識的に読みとるトレーニングが、日本人に欠けていることです。現代の日本語の知的文章には、定型がありません。そのため、ほとんどの日本人は文章といえば文学かエッセイのようなものを思い浮かべます。そうしたものを中心に文章を考えるものですから、知的形式の英語を読むときにも、その読み方にあわせて読んでしまいます。文章の全体構造を意識せず、文章の流れのままに読んでしまうのです。このことはたんなる翻訳の問題ではなく、日本人と日本社会にとってたいへんに大きな問題です。


演習問題

次の英語を日本語にしてください。


The formation of today’s atmosphere
The formation of the atmosphere and oceans were closely connected. Earth’s early atmosphere was about 80 percent water vapor. At saturation point, this condensed and fell as heavy rain during massive thunderstorms. As Earth’s surface was very hot at this time, large amounts of acid rain simply vaporized immediately, only to condense and fell again in an ongoing cycle. This process gradually cooled the planet until water began to collect in depressions on the surface. About 3.5 billion years ago, the evolution of life began. A well accepted theory for the origin of life is that energy from lightning and the sun caused inorganic chemicals to form into simple biomolecules. From these, more complex molecules and macromolecules, such as cyanobacteria (blue-green algae) evolved. These prokaryotes used photosynthesis to convert energy from the sun, producing oxygen as a byproduct. Thus, the oxygen content of the atmosphere slowly increased. About 570 million years ago it made up 12 to 15 percent of the atmosphere, opening the way for the evolution of oxygen-respiring organism.

2.
Zirconium
Zirconium is a tough, hard metal, and everything to do with it is tough, hard, and abrasive. Tubes made of high-purity zirconium are used to contain the fuel pellets in nuclear reactors, because the metal is both transparent to the neutrons that make the reactor run and able to withstand the hellish environment inside the core of an operating nuclear reactor.
Other mainly applications for the element include chemical reaction vessels for highly corrosive substances, incendiary bombs, and tracer rounds. In the form of zirconium oxide, it’s used for grinding wheels and specialized types of sandpaper lapping wheels for grinding down welds on oil rigs, giant earth-moving equipment, and dirt bikes.
Ah, but wait–like many gruff and manly things, zirconium dioxide in cubic crystal form is what’s known as cubic zirconia, or CZ, by far the most common simulated diamond. In malls and cheap jewelry stores the world over, display cases are overflowing with acres of zirconium dioxide. (Even for this application, it’s still hard; cubic zirconia is near the top of the hardest scale.)
Really, people should stop thinking of cubic zirconia as fake diamond and start thinking of diamond as overpriced cubic zirconia. There is no real difference in how pretty they are–that’s just imagination fueled by having paid way too much for a plain, colorless rock. With an element as down-to-earth as zirconium, one should apply hard-nosed reason even to the selection of engagement rings. (You first.)
While cubic zirconia is a rational choice of jewel, you might want to try something more traditional with the famously jealous Niobe.

3.
Water security, food security and energy security are chronic impediments to economic growth and social stability. Figure 8 shows their interrelatedness: food production requires water and energy; water extraction and distribution requires energy; and energy production requires water. Food prices are also highly sensitive to the cost of energy inputs through fertilizers, irrigation, transport and processing.
Economic growth and population growth are common drivers for all three risks, especially as improving living conditions in emerging economies results in more resource-intensive consumption patterns.
Environmental pressures also drive resource insecurity – from climate shifts to extreme weather events that alter rainfall and affect crop production.
Governance failures in terms of managing shared resources — such as trans-boundary water and energy sources and food trade agreements — create tensions that can lead to conflict, as seen recently in Yemen. Economic disparity also often exacerbates this nexus of risks as governments and consumers seek shortterm, unsustainable solutions to economic hardship such as growing high-value, water-intensive export crops in water-deprived regions.
It is at the local level that most opportunities can be found for improving resource efficiency and managing trade-offs between energy, water and food production. However, at the global and regional levels there are few initiatives to raise awareness, share leading practices and motivate consumers in an integrated approach.

4
What is Accounting?
Why is accounting so popular? What consistently ranks as one of the top career opportunities in business? What frequently rates among the most popular majors on campus? Accounting. Why did these people choose accounting? They wanted to acquire the skills needed to understand what was happening financially inside a company. Accounting is the financial information system that provides these insights. In short, to understand an organization of any type, you have to know the numbers.
Accounting consists of three basic activities–it identifies, records, and communicates the economic events of an organization to interested users. Let’s take a closer look at these three activities.

Three Activities
To identify economic events, a company selects the economic events relevant to its business. Example of economic events are the sale of food and snack by Unilever (GBR and NLD), providing of telephone service by Chunghwa Telecom (TWN), and the manufacture of motor vehicles by Tata Motors (IND).
Once a company like Unilever identifies economic events, it records those events in order to provide a history of its financial activities. Recording consists of keeping systematic, chronological diary of events, measured in dollars and cents. In recording, Unlever also classifies and summarizes economic events.
Finally, Unilever communicates the collected information to interested users by means of accounting reports. The most common of these reports are called financial statements. To make the reported financial information meaningful, Unilever reports the recorded data in a standardized way. It accumulates information resulting from similar transactions. For example, Unilever accumulates all sales transactions over a certain period of time and reports the data as one amount in the company’s financial statements. Such data are said to be reported in the aggregate. By presenting the recorded data in the aggregate, the accounting process simplifies a multitude of transactions and makes a series of activities understandable and meaningful.

5.
In 2003 the Japanese Nuclear Commission said that a fatality due to radiation exposure from an accident at one of its facilities should happen less than once per million years. That was the standard by which they were managing the reactors. Even if we don’t have casualties yet from this accident, we know the nightmare scenario almost happened eight years into the million years.
This is what I call the criminal stupidity of statistical science. These models can tell you something about normal events, but they cannot deal with unexpected, high-impact events. Some guy probably measured the risk according to a formula and said, “Well, it meets the one-in-a-million standard.” But we are incapable scientifically of measuring the risk of rare events. We tend to underestimate both the probabilities and the damage.
Because the world has become so connected, a crisis today quickly becomes global. If the nuclear situation in Japan continues, you’re going to see a major disturbance of supply chains. Our connected world appears to be more efficient. We have economies of scale, and goods seem to cost less. But when there is a disturbance, the setback is much harder to handle. Not only are we building riskier systems, but also the risks involved in failure are a lot larger.
Governments need to present the risks we face more accurately. Risks can be framed in a certain way. When someone tells you something could happen once every 1 million years, you’re going to take that chance, thinking the risk is periodic and you are safe in the short term. But really it’s like playing a game in a casino. The risk of the event doesn’t change from Monday to Tuesday.

6
Shyness
If you suffer from shyness, you are not alone, for shyness is a universal phenomenon. According to recent research, “close to 50 percent of the general population report that they currently experience some degree of shyness in their lives. In addition, close to 80 percent of people report having felt shy at some point in their lives” (Payne, par. 3). As shyness is so prevalent in the world, it is not surprising that social scientists are learning more about its cause. They have found that shyness in an individual can result from both biological and environmental factors.
Recent research reveals that some individuals are genetically predisposed to shyness. In other words, some people are born shy. Researchers say that between 15 and 20 percent of newborn babies show signs of shyness: they are quieter and more vigilant. Researchers have identified physiological differences between sociable and shy babies that show up as early as two months. In one study, two-month-old who were later identified as shy children reacted with signs of stress to stimuli such as moving mobiles and tape recordings of human voices: increased heart rates, jerky movements of arms and legs, and excessive crying. Further evidence of the genetic basis of arms and legs, and excessive crying. Further evidence of the genetic basis of shyness is the fact that parents and grandparents of shy children more often say that they were shy as children than parents and grandparents of no-shy children (Henderson and Zimbardo 6).
However, environment can, at least in some cases, triumph over biology. A shy child may lose much of his or her shyness. On the other hand, many people who were not shy as children become shy as adults, a fact that points to environmental or experimental causes.
The first environmental cause of shyness many be a child’s home and family life. Children who grew up with a difficult relationship with parents or a dominating older sibling are more likely to be inhibited in social interactions. Another factor is the fact that today’s children are growing up in smaller and smaller families, with fewer and fewer relatives living nearby. Growing up in single-parent homes ore in homes in which both parents work full time, children may not have the socializing experience of frequent visits by neighbors and friends. Because of their lack of social skills, they may began to feel socially inhibited, or shy, when they start school(7).
A second environmental cause of shyness in an individual may be one’s culture. In a large study conducted in several nations, 40 percent of participants in the United States rated themselves as shy, compared to 57 percent in Japan, 55 percent in Taiwan. Of the countries participating in the study, the lowest percentage of shyness was found in Israel, where the rate was 31 percent.
Researchers Henderson and Zimbardo say, “One expectation of the cultural difference between Japanese and Israelis lies in the way each culture deals with attributing credit for success and blame for failure. In Japan, an individual’s performance success is credited externally to parents, grandparents, teachers, coaches, and others, while failure is entirely blamed on the person.” Therefore, Japanese learn not to take risks in public and rely instead on group-shared decisions. “In Israel, the situation is entirely reversed,” according to Henderson and Zimbardo. “Failure is externally attributed to parents, teachers, coaches, friends, anti-Semitism, and other sources, while all performance success is credited to the individual’s enterprise.” The consequence is that Israelis are fee to take risks since there is nothing to lose by trying and everything to gain (10).
In addition to the family and culture, technology may play a role as well. In the United States, the number of young people who report being shy has risen from 40 percent to 50 percent in recent years (10). The rising numbers of shy young people may be “due in part to the growing dependence on non-human forms of communication, coming about as a result of our huge advances in technology” (Payne, par. 4). Watching television, playing video games, and surfing the Web have displaced recreational activities that involve social interaction for many young people. Adults, too, are becoming more isolated as a result of technology. Face-to-face interactions with bank tellers, gas station attendants, and store clerks are no longer necessary because people can use machines to do their banking., fill their gas tanks, and order merchandise. College students take online telecourses. Telecommuters work at home, giving up daily contact with coworkers. Everyone texts, e-mails, and converses anonymously in online chat rooms. As a result, people have less opportunity to socialize in person, become increasingly awkward at it, and eventually start avoiding it altogether. In short, they become shy.
While being shy has some negative consequences, it has positive aspects, too. For one thing, it has been mentioned that shy people are good listners (“Shyness”). Furthermore, a university professor writing about his own shyness says, “Because of their tendency toward self-criticism, shy people are often high achievers, and not just in solitary activities like research and writing. Perhaps even more than the drive toward independent achievement, shy people long to make connections to others, often through altruistic behavior” (Benton)
To sum up, shyness has both genetic and environmental causes. Some people come into the world shy, while others become shy as a result of their experience in life. It appears that most people have experienced shyness at some time in their lives, and recent research indicates that the number of shy people is increasing. Therefore, if you are shy, you have lots of company.

7
Where to Focus
It is true that economic and social objectives have long been as distinct and often competing. But this is a false dichotomy; it represents an increasingly obsolete perspective in a world of open, knowledge-based competition. Companies do not function in isolation from the society around them. In fact, their ability to compete depends on heavily on the circumstances of the locations where they operate. Improving education, for example, is generally seen as a social issue, but the educational level of the local workforce substantially affects a company’s potential competitiveness. The more a social improvement relates to a company’s business, the more it leads to economic benefits as well. In establishing its Networking Academy, for example, Cisco focused not on the educational system over all, but on the training needed to produce network administrators–the particular kind of education that made the most difference to Cisco’s competitive context. (For a more detailed look at that program, see “The Cisco Networking Academy” at the end of this article.)
In the long run, then, social and economic goals are not inherently conflicting but integrally connected. Competitiveness today depends on the productivity with which companies can use labor, capital, and natural resources to produce high-quality goods and services.
Productivity depends on workers who are educated safe, healthy, decently housed, and motivated by a sense of opportunity. Preserving the environment benefits not only society but companies too, because reducing pollution and waste can lead to a more productive use of resources and help produce goods that consumers value. Boosting social and economic conditions in developing countries can create more productive locations for a company’s operations as well as new markets for its products. Indeed, we are learning that the most effective method of addressing many of the world’s pressing problems is often to mobilize the corporate sector in way that benefit both society and companies.
That does not mean that every corporate expenditure will bring a social benefit or that every social benefit will improve competitiveness. Most corporate expenditures produce benefits only for the business, and charitable contributions unrelated to the business generate only social benefits. It is only where corporate expenditures produce simultaneous social and economic gains that corporate philanthropy and shareholder interests converge, as illustrated in the exhibit “A Convergence of Interests.” The highlighted area shows where corporate philanthropy has an important influence on a company’s competitive context. It is here that philanthropy is truly strategic.
Competitive context has always been important to strategy. The availability of skilled and motivated employees; the efficiency of the local infrastructure, including roads and telecommunications; the size and sophistication of the local market; the extent of governmental regulations–such contextual variables have always influenced companies’ ability to compete. But competitive context has become even more critical as the base of competition has moved from cheap inputs to superior productivity. For one thing, modern knowledge- and technology-based competition hinges more and more on worker capabilities. For another, companies today depends more on local partnerships: They rely on outsourcing and collaboration with local suppliers and institutions rather than on vertical integration; they work more closely with customers; and they draw more on local universities and research institutes to conduct research and development. Finally, navigating increasingly complex local regulations and reducing approval times for new projects and products are becoming increasingly important to competition. As a result of these trends, companies’ success has become more tightly intertwined with local institutions and other contextual conditions. And the globalization of production and marketing means that context is often important for a company not just in its home market but in multiple countries.
A company’s competitive context consists of four interrelated elements of the local business environment that shape potential productivity: factor conditions, or the available inputs of production; demand conditions; the context for strategy and rivalry; and related supporting industries. This framework is summarized in the exhibit “The Four Elements of Competitive Context” and described in detail in Michael E. Porter’s The Competitive Advantage of Nations. Weakness in any part of this context can erode the competitiveness of a nation or region as a business location.
Some aspects of the business environment, such as road systems, corporate tax rates, and corporation laws, have effects that cut across all industries. These conditions can be crucial to competitiveness in developing countries, and improving them through corporate philanthropy can bring enormous social gains to the world’s poorest nations. But often just a decisive, if not more, are aspects of context that are specific to a particular cluster–a geographic concentration of interconnected companies, suppliers, related industries, and specialized institutions in a particular field, such as high-performance cars in Germany or software in India.
Clusters arise through the combined influence of all four elements of context. They are often prominent features of a region’s economic landscape, and building them is essential to its development, allowing constituent firms to be more productive, making innovation easier, and fostering the formation of new businesses.
Philanthropic investments by members of a cluster, either individually or collectively, can have a powerful effect on the cluster’s competitiveness and the performance of all of its constituent companies. Philanthropy can often be the most cost-effective way–and sometimes the only way–to improve competitive context. It enables companies to leverage not only their own resources but also the existing efforts and infrastructure of nonprofits and other institutions. Contributing to a university, for example, may be a far less expensive way to strengthen a local base of advanced skills in a company’s field than developing training in-house. And philanthropy is amendable to collective corporate action, enabling costs to be spread over multiple companies. Finally, because of philanthropy’s wide social benefits, companies are often abele to forge partnerships with nonprofit organizations and governments that would be wary of collaborating on efforts that solely benefited a particular company.


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つぼ4 文体を訳す

皆さん、学校で英語の文体について教えてもらったことがありますか?この質問を私は授業の中でよくするのですが、教えたもらったという方にはあまりお会いしていません。受講生の中には英文科出身の方も多いのですが、それでも「たしか授業にあったような……」などといったナマ返事です。とすると、それ以外の勉強をしてきた人間が英語の文体について考える機会はほぼ皆無といってもよいのではないでしょうか。

(1) 文体感覚

しかし文体の違いを味わうことのできる力、すなわち「文体感覚」は翻訳者にとって不可欠な能力です。この感覚を持っていなければ、訳文はすべて同一スタイルになってしまいます。文体の違いに表れる心の動きの違いを反映できなければ、正しい翻訳とはいえません。
例を1つ挙げましょう。まず原文を挙げ、その後に翻訳書からの訳文を示します。

We should warn you that being a financial expert has its occupational hazards. One is being cornered at cocktail parties by people who are eager to explain their system for making creamy profits by investing in common stocks. Fortunately, these bores go into temporary hibernation whenever the market goes down.

財務の専門家には職業的な悩みがあるということを警告しておこう。その一つは、カクテルパーティに行くと、株式投資でうまく利益を上げられるシステムについて熱心に説明する人々に悩まされることである。幸い、こうした退屈な人々は市場が低調なときにはとりあえず姿を消してくれる。

これはPrinciples of Corporate Financeというファイナンスの教科書からの抜粋です。皆さん、この訳文を読んでどう思いますか? この訳文は一体何を伝えたいのでしょう。「財務の専門家には職業的な悩みがあるということを警告しておこう」、なんとも重々しいですね。しかしその内容は、パーティで素人投資家の株式必勝法を聞かされてうんざりするが、そうした連中は、下げ相場になるといっせいにいなくなるという、ただそれだけのことです。

ただそれだけのことを、原著者であるブリーリーは、ユーモアと皮肉たっぷりに語っています。まず理解しておかなけばならないのは、この文章が猟師と熊の出会いのパロディだということです。financial expertが猟師で、boresが熊です。Bear, bore, bornですね。この両者が、狩場ならぬカクテルパーティで遭遇するのです。熊は猟師を見つけるやいなや、足ばやに近づき、株式必勝法という「クリーミー」な蜜の取り方を得意げに語り始めます。しかし猟師は、近づいてくる熊の勢いに押されて、どんどんと片隅のほうへと追いやられるというわけです。ピンチ! しかし下げ相場(ベア)という名の冬がくると、熊たちはいっせいに冬眠に入り、そこで猟師はほっと一息つけるという次第。

とすると、最初のWe should warn you that being a financial expert has its occupational hazards.も狩場でみられる「崖多し、危険」の立て看板にもみえてきます。

真面目なふりをしながら面白いことをいうこうした文体こそ、この文章の真骨頂です。この点について、あるファイナンス学者はファイナンス学会の著名誌Journal of Financeで次のように述べています。

The other unique and pleasing aspect of the book is the writing style. Sentences are short, language is simple and the author continually reminded us of thief combined sense of humor. For example, chapter 4, entitled Present Value of Bonds and Stocks, starts with the following: “We should warn you that being a financial expert has its occupational hazards. One is that you are liable to be cornered at cocktail parties by people who are eager to explain their system for investing in stocks and bonds. Fortunately, these bores go into temporary hibernation whenever the market goes down: during these times you can enjoy your parties” (negative beta?). This, and many other quips, will be well appreciated by their colleagues in the profession.
Richard C. Stapleton (Journal of Finance)

きびきびとした言い回し。シニカルなユーモアのセンス。こうした絶妙の文体こそが、この文章を第一級のものとしているのです。では、訳文はどうでしょうか。もういちど見てみましょう。

財務の専門家には職業的な悩みがあるということを警告しておこう。その一つは、カクテルパーティに行くと、株式投資でうまく利益を上げられるシステムについて熱心に説明する人々に悩まされることである。幸い、こうした退屈な人々は市場が低調なときにはとりあえず姿を消してくれる。

確かに事実としての内容はほぼあっているようです。しかしただそれだけです。きびきびともしていなければ、ユーモアのセンスも感じられません。ということは、これは「誤訳」です。著者のブリーリーが読者に一番伝えたいと思っているもの、読者代表ともいえるステイプルトンが敏感に察知できたものが、この訳文からすっぽりと抜け落ちているのですから。

では、どうすればいいのでしょうか。例えば、私は次のように訳してみました。

断っておくが金融専門家には肉体的な危険がつきものである。例えば、どのカクテルパーティの場にも株投資でぼろ儲けできる方法を発見したと称する人物がつねに生息しているものである。彼らは金融専門家を見つけると一目散に突進し、みずから見つけた「究極の株投資」について延々と語りはじめる。思わぬ襲撃を受けた金融専門家は次第に部屋の隅へと追い詰められ、ついには絶体絶命のピンチを迎えることになる。だがこうした山中で出会う熊のように危険で、同時にとても退屈な人物たちは、マーケットが下げ相場を迎えるといっせいに冬眠へと入ってくれるのが救いといえば救いだ。

ちょっとやりすぎかと思いますし、うまく処理できていないところも多いのですが、真面目に面白いことをいう原文の文体のイメージを少しは出せているのではないかと思います。

(2) 文体を訳出する

次の例は、Style—Toward Clarity and Graceという本からの抜粋です。この本は著者のJoseph M. Williamsが英語文体に関する教科書として書いたものです。1988年が初版ですが、今もその価値は減じていません。今後もWilliam Strunk Jr.のThe Elements of Styleと同様に英語文章論の定番として定着していくものと私はみています。

次の文章は序章の最初の部分です。まずしっかりと読み、訳してみてください。

This is a book about writing clearly. I wish it could be short and simple like some others more widely known, but I want to do more than just urge writers to “Omit Needless Words” or “Be clear.” Telling me to “Be clear” is like telling me to “Hit the ball squarely.” I know that. What I don’t know is how to do it. To explain how to write clearly, I have to go beyond platitudes.

テーマである文体をうまく訳し出すことができましたか。上の英文を、私は以下の2つの訳文にしてみました。読んでみてください。

1.
本書の第一の目標は「明晰な文章を書くこと」である。これに関しては定評ある名著が既にいくつか存在する。筆者としては本書もそうした名著と同様に簡潔で引き締まった内容にしたいと考えている。ではあるが、「いらない語は削れ」「わかりやすく書け」といった単なる忠告のみを行うつもりはない。「わかりやすく書け」というのはスポーツでいえば「球を正確に打て」と同じことである。それは当然である。問題はそのために具体的に何を行えばよいのかにある。本書がお届けしたいのは明晰な文章を書くための具体的方法である。そのためには凡庸な忠告を超えた何かが必要となってくるはずである。

2.
これはわかりやすく書くことについての本である。よく知られている他の本のように短くて簡単なものにできればと私としては願っている。けれども「いらない語を削れ」「わかりやすくしろ」などというだけではなく、ここではそれ以上のことをお伝えすることにしたい。「わかりやすくしろ」というのは「ボールを正確にとらえろ」というのと同じことだ。それはわかっている。わからないのは、どうすればそうできるのかだ。わかりやすく書くやり方を説明するには、おさだまりのアドバイス以上のものが必要なのだ。

1と2の訳文では、どちらのほうが原文の文体にあっているでしょうか。

私は文体感覚では2のほうです。英語原文では、語彙の多くが英語の母語であるゲルマン系の語彙であり、外来語であるラテン/ギリシャ語系の語彙はほとんど使われていません。構文についてもきわめてシンプルで、複雑なかたちをしていません。こうした原文の「やわらかな」文体の特徴を、日本語の文体で表すとすると、1のような硬い文体(文末に「である」体が多い、外来語である漢語が多い)ではなく、2のようなやわらかい文体(「である」が少ない、母語である和語が多い)のほうがふさわしいと思います。それが、私の文体感覚です。皆さんの文体感覚では、いかがですか。

(3) 文体感覚を磨くには

英語の文体感覚は、ただ英文テキストを読んでいるだけでは、なかなか身につきません。私たちが英語を読む場合、内容を理解するだけで頭が一杯になってしまい、文体にまでは気が回らないことがほとんどです。上の英文が「やわらかい」文体だと気づくのは、内容把握だけに気をとられて読んでいるのでは、難しいかもしれません。

従って、英語の文体感覚を磨くには、英文を読む際に内容把握だけではなく、文体把握も意識しながら読むようにしなければなりません。たいへんなことですが、よい翻訳者になるためには、避けて通れない道です。

ところで英語の文体感覚を養うための最良の方法は、なんといってもさまざまな文体の英語を自分でつくってみることです。さまざまな英語文体を自分で書き分けることができるようになれば、他人の書いた英語の文体は簡単に判断がつくようになります。

もちろん私たち日本人が英語のさまざまな文体を書き分けられるようになるのは、至難の業です。しかしできないと思ってしまえば、それでおしまいです。最初はうまくいかなくても、繰り返していくうちに、少しずつですが英語文体の違いがわかってきます。この訓練は翻訳力だけではなく、英語力そのものを大きく伸ばします。ぜひともトライしてみてください。


演習問題

次の英語を日本語にしてください。


There are many kinds of English. What kind of English are you supposed to write? Are you supposed to write like Lincoln’s Gettysburg Address, or like your favorite comic strip, or like Shakespeare, or like this book? Or can you write any way you feel like, as long as it’s English?
There’s no simple answer. It all depends on the circumstances. If you were the president of the United States and had to make a solemn speech, then the Gettysburg Address might be a good model to follow; but if you were just writing a letter to a friend, it certainly would not. The things to keep in mind when you write are the occasion and the audience; the right kind of English is always the one that fits the situation.
How can you tell which is the right kind? Actually, it’s easier than you think. When you talk to someone, you naturally use the language that suits the occasion and the listener. No one has any trouble with that. You talk to your younger brother one way, and to your old aunt another way, and to a total stranger still another way. Without thinking about it, you look at the person before you and say either “Hi!” or “How do you do?”
Let’s take another example. If you want to buy an ice-cream cone, you don’t say “I wish to purchase one single portable helping of this flavorsome frozen dessert.” They would be like trying to pay for it with a fifty-dollar bill instead of a five. And if you want to buy a new car, you don’t walk into a store and say “I guess I’ll have a car”–or pay for it in nickels. On both occasions, you use the words and the type of money that fits the situation.
The point is that both nickels and fifty-dollar bills are regular American money. You can use a fifty-dollar bill to pay for an ice-cream cone, and a (very large) bag of nickels to pay for a car. But you won’t–it would mean nothing but trouble for everybody, including you. In the same way, if you use the wrong type of English in speaking or writing, you’ll get into trouble.

2
A Very Short History of Bad Writing
Now, anyone familiar with the history of English prose might wonder whether anything we do here will substantially improve its future. Since the earliest times, many writers have agreed us with much good writing. But others have afflicted us with much that is bad. Some of the reasons for the bad writing are rooted in history, others in personal experience.
In the last seven hundred years, English writers have responded to three influences on our language. Two are historical, one is cultural. These influences have helped make English a language flexible and precise enough to use with subjects ranging from the most concrete and mundane to the most abstract and elevated. But ironically, the very influences that have created this flexibility and precision have also allowed—indeed encouraged—many writers to produce prose that is quite bad. One of the two historical influences was the Norman Conquest in 1066, an event that led us to acquire a vocabulary qualitatively different from the Anglo-Saxon wordhord we’ve inherited from Bede, Alfred, and Aelfric. The second influence occurred in the sixteenth century, when Ronaissance scholars struggling to translate Creek and Latin texts found themselves working at a lexical disadvantage.
After the Norman Conquest, those responsible for institutional, scholarly, and religious affairs wrote in Latin and later Norman French. In the late fourteenth and early fifteenth centuries, increasing numbers of writers began using English again for matters of state, commercial, and social life. But since the native vocabulary for these matters had long since disappeared (or had never come into being), English writers were able to write about them in the only vocabulary available, in words borrowed from Latin, but particularly from French. By the sixteenth century, French and Latin had disappeared from most institutional affairs, but writers were still using their words to refer to institutional concepts. As a result, the foundations were laid for a two-tiered vocabulary: one consisting of words common to daily life, the other of words having more special application.
Conspiring with that influence on our vocabulary was a second one, the Renaissance. In the sixteenth century, as England was increasingly influenced by classical writers, scholars began translating into English large numbers of Greek and Latin texts. But as one early writer put it “there ys many wordes in Latyn that we have no proper Englysh accordynge thereto,” and so translators simply “Englished” foreign words, thereby providing us with another set of borrowings, many from Greek but most from Latin, and almost all of them more formal than either our native English vocabulary or the Anglicized words from French.
As a consequence of these two influences, our vocabulary is the most varied of any modern European language. Of the thousand words we use most frequently, over 80 percent descend from Anglo-Saxon. But most of them are the single syllable labor-intensive words: the articles the, this, that, a, etc.; most of the prepositions and pronouns: in, on, of, by, at, with, you, we, it, I, etc.; the most common verbs and most of the common nouns: be, have, do, make, will, go, see, hand, head, mother, father, sun, man, woman, etc. (Many words borrowed from French have lost any sense of formality: people, (be)cause, use, just, really, very, sort, different, number, place.)
When we refer to specific matters of our intellectual and artistic life, however, we use almost three times as many French and Latin content words as native English. Compare how I might have been obliged to write the paragraph before last, had on Hastings Field in 1066 a Norman arrow not mortally wounded Harold, the Anglo-Saxon King:

Togetherworking with the outcome of the Norman Greatwin was the Newbirth. In the sixteenth yearhundred, as England was more shaped by the longread writers, the learned began turning into English many of the books of Athens and Rome, but as one early writer put it, “There ys many wordes in Latyn that we have no right Englysh withgoing thereto.” So those who tongueturned works written in Latin and French into English only “Englished” outland words, thereby giving us yet more borrowed words, many from Greek but most from Latin, and almost all of them rather higher than the hereborn words or the words Englished from French.

Of course, if Harold had won the Battle of Hastings I wouldn’t have written that at all, but he didn’t, and as a result we now have a lexical resource that has endowed us with a stylistic flexibility largely unavailable to other modern languages. To express the precise shade of meaning and connotation, we can choose from among words borrowed from French—bravery, mettle, valor, endurance, courage; from Latin—tenacity, fortitude, and from words inherited from native English—fearlessness, guts.



☆☆☆



つぼ5 創作的に訳す

(1) 原文忠実主義の弊害

これをいってしまうとミもフタもないのですが、翻訳は、突き詰めていえばウソです。どんなにうまく訳そうとも、訳されたものは、原文と本質的に違うものです。翻訳という仕事を長くやればやるほど、このことを痛感します。本当にミもフタもない話ですが。

そうした翻訳の限界を知りつつも、それでも翻訳者は原文に最も近いものをなんとか作り出そうとします。しかしそうした無理を重ねることで、訳文が歪んだものになっていくケースも、数多くみられます。視野の狭い原文忠実主義の弊害です。

原文忠実主義のすべてが悪いわけではありません。近代日本社会は翻訳を基盤とする社会であり、翻訳語をいかにして日本語の中に溶け込ませるかは私たちに課せられた使命です。また歴史的にも日本語はそうした歪みから逃げられない言語です。宿命としてそれを受け入れていく覚悟も必要です。

ただ現在の翻訳はあまりにも原文に忠実にあろうとしすぎています。原文を不可侵で神聖なるもののように見立てて、母語である日本語のほうを歪めてまでそれを写しとろうとするのです。外山滋比古はこうした状況を「後進国型翻訳」と呼び、「独立文化の社会は翻訳に対しておのずから異なった考え方をするはずである」と述べています 。

いつまでも後進国型の翻訳でよいはずがありません。日本が西欧文明を吸収しはじめてから数世紀が経ちました。そろそろ翻訳も成熟の時期を迎えるべきではないでしょうか。

(2) 新しい翻訳の理念

ではどうすればよいのでしょうか。外山は後進国型ではない「先進国型」の翻訳理念を確立すべきだといいます。そしてその原則として、(1)完全な翻訳は不可能であることをまず認識すること、(2)誤訳を不当に恐れないこと、(3)翻訳者は原著者と読者の中間点に位置すること、(4)翻訳者は優れた日本語が書けること、(5)翻訳者は文化的自尊心を失わないこと、の5点を挙げています 。これには私も大賛成です。

この5つの原則を守ると、訳文はおのずから創作に近いものになります。これまでの翻訳の通念からみれば最も避けるべき事態ですが、しかし旧弊を旧弊のままにしておけば日本の翻訳はいつまでも未熟なままです。どこかで壁を打ち壊さなければなりません。

実務翻訳からその壁を打ち破ることはおそらく難しいと思います。実務翻訳は後進国型翻訳を基盤とする近代日本社会の発明品だからです。後進国型の翻訳から抜け出す突破口があるとすれば、文芸翻訳からでしょう。日本語について深く考察し、そのレベルを向上させていくことが文芸という仕事の大きな役割なのですから。

しかし実際の文芸翻訳が創造的な翻訳かというと、そうではありません。逆に創造的な部分をできるかぎり排除しようとするかのような翻訳が、数多くみられます。そうした翻訳の例を、『不思議の国のアリス』の翻訳から見てみることにしましょう。

(3) 『不思議の国のアリス』

ご存知、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』は世界中で膨大な数の翻訳本が出版されています 。日本でもこれまでに100以上の翻訳が出版されてきました。

以下の場面は、アリスがチョッキを着たウサギのあとを追いかけているうちに縦穴に落っこちてしまったところです。まず原文です。よく読んで、訳してみてください。

Down, down, down. There was nothing else to do, so Alice soon began talking again. ‘Dinah’ll miss me very much tonight, I should think!’ (Dinah was the cat.) ‘I hope they’ll remember her saucer of milk at teatime. Dinah my dear! I wish you were down here with me! There are no mice in the air, I’m afraid, but you might catch a bat, and that’s very like a mouse, you know. But do cats eat bats, I wonder?’ And here Alice began to get rather sleepy, and went on saying to herself, in a dreamy sort of way, ‘Do cats eat bats? Do cats eat bats?’ and sometimes, ‘Do bats eat cats?’ for, you see, as she couldn’t answer either question, it didn’t much matter which way she put it.


出版されている3つの訳書の訳文をご紹介します。これもよく読み、それから自分の訳文と比べてみてください。

1.
下へ、下へ、また下へ。ほかにすることがないので、アリスはじきにまたしゃべり出した。「今夜はダイナが寂しがるわ、あたしがいないって!」(ダイナとは猫の名)「お茶の時間にはいつものソーサーでミルクをもらうと思うけれど。ダイナったら、ほんとに可愛いんだもの! いっしょにここに落っこちてくるとよかったのに! 鼠さんは飛んでないけれど、蝙蝠さんなら捕まえられるかもしれないし、蝙蝠さんは鼠さんに似てるじゃないの。でも猫は蝙蝠を食べるのだったかしら?」ここまでしゃべっているうちにアリスはかなり眠くなってきて、それから先は夢でもみているみたいにひとりごちた。「猫は蝙蝠を食べる? 猫は蝙蝠を食べる?」それがときどき「蝙蝠は猫を食べる?」になったが、どっちにしろ答えがわからないので、どっちの言い方をしてもさほど違いはないのだ。
『不思議の国のアリス』ルイス・キャロル
柳瀬尚紀訳、ちくま文庫、pp.14-15

2.
下へ、下へ、下へ。ほかに何もすることがなかったので、アリスはまたおしゃべりをはじめました。「今夜、あたしが帰らないと、ダイナがさびしがるでしょうね!」(ダイナというのは、ネコでした。)「お茶の時間にダイナのお皿にミルクを入れるのを、みんなが忘れないといいけど。ああ、ダイナ! おまえもいっしょだといいのにねえ! 空中にはネズミはいないでしょうけど、コウモリならつかまえられるかも知れないわ。ほら、コウモリって、ネズミにそっくりだもの。だけど、ネコはコウモリを食べるかしら?」アリスはちょっと眠くなってきて、半分うとうとしながら、「ネコ、コウモリ、食べるかしら? ネコ、コウモリは食べるかしら?」と、ひとりごとを言いつづけました。くりかえしているうちに、ときどき「ネコをコウモリは食べるかしら?」と言ってしまったりもしましたが、どっちみち答えは出せないのですから、どっちがどっちになっても、たいしたちがいはありませんでした。
『不思議の国のアリス』ルイス・キャロル
脇明子訳、岩波少年文庫、pp.17-18

3.
下へ。下へ。下へ。まだ落ちてゆきます。アリスはほかにすることがないので、またすぐにおしゃべりをはじめました。
 「ダイナは今夜、あたしがいなくて、ずいぶんさびしがるでしょうね。」(ダイナというのはね、ネコの名まえなのです。)「だれか覚えてて、お茶の時間にミルクをやってくれるといいんだけど。ねえ、ダイナや。おまえもあたしといっしょにくればよかったのよ。空中にはネズミはいないけど、コウモリをとればいい、コウモリはネズミによく似てるでしょ。でも、ネコはコウモリを食べるかしら――」
 アリスはしゃべっているうちに、だいぶ眠くなってきました。それで、はんぶん眠りながら、
 「ネコはコウモリを食べるかしら、――ネコはコウモリを食べるかしら――」
とひとりごとをつづけ、ときには、「ネコをコウモリは食べるかしら」といってしまったりしましたが、でもね、アリスにはどうせ答えがわからないのですから、どっちをいおうと同じようなものでした。
『不思議の国のアリス』ルイス・キャロル
芹生一訳、偕成社文庫、pp.14-15

出だしのDown, down, down.からみてみましょう。出版された3つの訳ともに「下へ、下へ、(また)下へ」となっています。

これでよいのでしょうか。Down, down, downという表現で、ルイス・キャロルが第一に表現したかったのは、この英語の音のつらなりが持つイメージの面白さです。[d]というきわめて強い有声硬口蓋破裂音、それに続いて[au]という開口から閉口へとつらなる二重母音、それを3つ連続してつなげることで、どんどんと落下していくイメージを、音によって表現しようとしたのです。つまりこの表現は半分はオノマトペ(擬音)といってもよいでしょう。
それなら翻訳でもオノマトペらしく表現してみてはどうでしょうか。たとえば、「ひゅーううううううううううう」(縦書きだと、もっと雰囲気が出ます)とか、「ぴゅーううううううううううう」などはいかがでしょうか。もちろん言語が違う以上、音やリズムや視覚的効果は翻訳できません。しかし翻訳にとって最も大事なことは表面に現れている言葉を移すのではなく、作者であるルイス・キャロルの「心」を移すことにあります。その意味において「ひゅーううううううううううう」「ぴゅーううううううううううう」の方が、「下へ、下へ、下へ」よりもまだ少しは翻訳としての資格を持っているというのが私の意見です。

もう1つの問題です。こっちの問題はさらに穴が深い、いや、根が深いものです。穴を落ちていきながら、アリスは飼い猫のことを思い出し、そしてネズミとコウモリが似ているという事実から、ネズミを食べる猫ならばコウモリも食べるのではないかと連想します(へんな子ですね)。そして、“Do cats eat bats? Do cats eat bats?”“Do bats eat cats?”などと、つぶやくのです。

これはみてのとおり、[kæt]と[bæt]という音韻の語呂合わせです。さらにSVOというシンメトリカルな英語の構文特性も利用しています。こうなってしまうと、言語としての翻訳はもはや不可能といってよいでしょう。

(4) 言葉遊びの翻訳

こんなとき、翻訳者はどうすればよいのでしょうか。上に見た翻訳例では、言葉遊びは無視して、言葉の意味内容だけを翻訳しています。この考え方がきわめて馬鹿げていることは、日本語から英語への翻訳を考えてみればすぐにわかります。例えば、「カエルが鳴くから、かーえろ」という日本語を、“I’ll go home because frogs are croaking.”と訳されたら、皆さんはどう思いますか? これと同じことを上の翻訳例は原文忠実主義の名のもとに行っているのです。外山のいう「翻訳未熟社会」の「後進国型翻訳」の典型的なあり方です。

ではどうすればよいのでしょうか。例えば、意味内容ではなく言葉遊びそのものを翻訳するということが考えられます。ある研究書 によると、ロシア語ではネコは「コーシキ」で蛾は「モーシキ」という似た発音だそうです。そのため、『アリス』の英語からロシア語への翻訳では「ネコはコウモリを食べる」のかわりに「ネコは蛾を食べる」という表現が用いられているそうです。意味内容よりも言葉遊びを優先させたわけです。日本語でもこのような語呂合わせを探すことはできるでしょうが、しかしそれでもSVOというインドヨーロッパ語族の構文特性までは写せません。英語と日本語のように言語特性が本質的に異なる言語のあいだでは、言葉遊びの翻訳にも大きな限界があるということです。

(5) 省略するという選択

最後の方法として、訳せない部分については思い切って省いてしまうというやり方が考えられます。テキスト全体の翻訳に支障のないかぎり、このやり方はおかしなことではありません。実際、この戦略をとっている翻訳は世界中に多くあります。

例えば、外山滋比古によると アーサー・ウェイリーの訳した『源氏物語』の英訳では、和歌の部分がすべて翻訳されていません。いくら苦心努力しても和歌を西欧の読者にわかってもらうことは不可能だとウェイリーは判断したようです。外山は続いて以下のように書いています。

これに対して日本の国文学者たちは猛烈に反発した。原作の冒瀆(ぼうとく)である、翻訳だなどと僭称(せんしょう)するなという声が圧倒的であった。その中にあっていち早く正宗(まさむね)白鳥(はくちょう)(1879-1962=小説家)がこの英訳を高く評価したのはさすがの見識であった。狭い文学観にとらわれている学者たちに翻訳を論ずる資格はない。(略)ウェイリー訳『源氏物語』は翻訳というより創作だったと考えるべきかもしれないが、成熟した文化社会ではむしろ当然のことで、とくに創作的と言う必要はないのかもしれない。

現在ではウェイリーの英訳は最も優れた日英翻訳作品の1つとされています。

こうしたことから、『アリス』の翻訳でもどうしても翻訳ができない部分については翻訳をしないという選択肢が十分に考えられます。というよりも、翻訳をしないという選択こそが最もよい翻訳手法であると私は思います。

それから先は夢でもみているみたいにひとりごちた。「猫は蝙蝠を食べる? 猫は蝙蝠を食べる?」それがときどき「蝙蝠は猫を食べる?」になったが、どっちにしろ答えがわからないので、どっちの言い方をしてもさほど違いはないのだ。

といった日本語を読者に読ませることこそが、原作に対する冒瀆ではないかと思うからです。

(6) アートとしての翻訳

一般的に翻訳とは部分の集合体だと思われていますが、これは間違いです。部分の集合体が全体なのではなく、まず全体があり、部分はその全体の一部にすぎないからです。

結局のところ、よい翻訳をするには原文を全体として捉えて全体として訳すしかありません。残念ながら、こういった意味での翻訳をするための「つぼ」はありません。自分の持っている知識や技能を総動員し、テキスト全体を全体として捉え、訳していく以外に方法はないのです。それは、画家が絵を描いたり、作曲家が音楽をつくることと同じ行為です。その意味において、翻訳とはクラフトであるとともにアートでもあります。

演習問題

次の英語を日本語にしてください。

1
Alice was beginning to get very tired of sitting by her sister on the bank, and of having nothing to do: once or twice she had peeped into the book her sister was reading, but it had no pictures or conversations in it, `and what is the use of a book,’ thought Alice `without pictures or conversation?’.
So she was considering in her own mind (as well as she could, for the hot day made her feel very sleepy and stupid), whether the pleasure of making a daisy-chain would be worth the trouble of getting up and picking the daisies, when suddenly a White Rabbit with pink eyes ran close by her.
There was nothing so VERY remarkable in that; nor did Alice think it so VERY much out of the way to hear the Rabbit say to itself, `Oh dear! Oh dear! I shall be late!’ (when she thought it over afterwards, it occurred to her that she ought to have wondered at this, but at the time it all seemed quite natural); but when the Rabbit actually TOOK A WATCH OUT OF ITS WAISTCOAT- POCKET, and looked at it, and then hurried on, Alice started to her feet, for it flashed across her mind that she had never before seen a rabbit with either a waistcoat-pocket, or a watch to take out of it, and burning with curiosity, she ran across the field after it, and fortunately was just in time to see it pop down a large rabbit-hole under the hedge.
In another moment down went Alice after it, never once considering how in the world she was to get out again.
The rabbit-hole went straight on like a tunnel for some way, and then dipped suddenly down, so suddenly that Alice had not a moment to think about stopping herself before she found herself falling down what seemed to be a very deep well. Either the well was very deep, or she fell very slowly, for she had plenty of time as she went down to look about her, and to wonder what was going to happen next. First, she tried to look down and make out what she was coming to, but it was too dark to see anything: then she looked at the sides of the wall, and noticed that they were filled with cupboards and bookshelves: here and there she saw maps and pictures hung upon pegs. She took down a jar from one of the shelves as she passed; it was labelled “ORANGE MARMALDE,” but to her great disappointment it was empty: she did not like to drop the jar for fear of killing somebody underneath, so managed to put it into one of the cupboards as she fell past it.
“Well!” thought Alice to herself, “after such a fall as this, I shall think nothing of tumbling down stairs! How brave they’ll all think me at home! Why, I wouldn’t say anything about it, even if I fell off the top of the house!” (Which was very likely true.)
Down, down, down. Would the fall never come to an end? “I wonder how many miles I’ve fallen by this time?” she said aloud. “I must be getting somewhere near the centre of the earth. Let me see: that would be four thousand miles down, I think –” (for, you see, Alice had learnt several things of this sort in her lessons in the schoolroom, and though this was not a very good opportunity for showing off her knowledge, as there was no one to listen to her, still it was good practice to say it over) “– yes, that’s about the right distance — but then I wonder what Latitude or Longitude I’ve got to?” (Alice had not the slightest idea what Latitude or Longitude either, but she thought they were nice grand words to say.)

2
I spent several days and nights in mid-September with an ailing pig and I feel driven to account for this stretch of time, more particularly since the pig died at last, and I lived, and things might easily have gone the other way round and none left to do the accounting. Even now, so close to the event, I cannot recall the hours sharply and am not ready to say whether death came on the third night or the fourth night. This uncertainty afflicts me with a sense of personal deterioration; if I were in decent health I would know how many nights I had sat up with a pig.
The scheme of buying a spring pig in blossom time, feeding it through summer and fall, and butchering it when the solid cold weather arrives, is a familiar scheme to me and follows an antique pattern. It is a tragedy enacted on most farms with perfect fidelity to the original script. The murder, being premeditated, is in the first degree but is quick and skillful, and the smoked bacon and ham provide a ceremonial ending whose fitness is seldom questioned.
Once in a while something slips – one of the actors goes up in his lines and the whole performance stumbles and halts. My pig simply failed to show up for a meal. The alarm spread rapidly. The classic outline of the tragedy was lost. I found myself cast suddenly in the role of pig’s friend and physician – a farcical character with an enema bag for a prop. I had a presentiment, the very first afternoon, that the play would never regain its balance and that my sympathies were now wholly with the pig. This was slapstick – the sort of dramatic treatment which instantly appealed to my old dachshund, Fred, who joined the vigil, held the bag, and, when all was over, presided at the interment. When we slid the body into the grave, we both wore shaken to the core. The loss we felt was not the loss of ham but the loss of pig. He had evidently become precious to me, not that he represented a distant nourishment in a hungry time, but that he had suffered in a suffering world. But I’m running ahead of my story and shall have to go back.
My pigpen is at the bottom of an old orchard below the house. The pigs I have raised have lived in a faded building which once was an icehouse. There is a pleasant yard to move about in, shaded by an apple tree which overhangs the low rail fence. A pig couldn’t ask for anything better – or none has, at any rate. The sawdust in the icehouse makes a comfortable bottom in which to root, and a warm bed. This sawdust, however, came under suspicion when the pig took sick. One of my neighbors said he thought the pig would have done better on new ground – the same principle that applies in planting potatoes. He said there might be something unhealthy about that sawdust, that he never thought well of sawdust.
It was about four o’clock in the afternoon when I first noticed that there was something wrong with the pig. He failed to appear at the trough for his supper, and when a pig (or a child) refuses supper a chill wave of fear runs through any household, or icehousehold. After examining my pig, who was stretched out in the sawdust inside the building, I went to the phone and cranked it four times. Mr. Henderson answered. “What’s good for a sick pig?” I asked. (There is never any identification needed on a country phone; the person on the other end knows who is talking by the sound of the voice and by the character of the question.)
“I don’t know, I never had a sick pig,” said Mr. Henderson, “but I can find out quick enough. You hang up and I’ll call Irving.”

3
What Writing Is

Telepathy, of course. It’s amazing when you stop to think about it–for years people have argued about whether or not such a thing exists, folks like J. B. Rhine have busted their brains trying to create a valid testing process to isolate it , and all the time it’s been right there, lying out in the open like Mr. Poe’s Purloined Letter. All the arts depend upon telepathy to some degree, but I believe that writing offers the purest distillation. Perhaps I’m prejudiced, but even if I am we may as well stick with writing, since it’s what we came here to think and talk about.
My name is Stephen King. I’m writing the first draft of this part at my desk (the one under the eave) on a snowy morning in December of 1997. There are things on my mind. Some are worries (bad eyes, Christmas shopping not even started, wife under the weather with a virus), some are good things (our younger son made a surprise visit home from college, I got to play Vince Taylor’s “Brand New Cadillac” with The Wall-flowers at a concert), but right now all that stuff is up top. I’m in another place, a basement place where there are lots of bright lights and clear images. This is the place I’ve built for myself over the years. It’s a far-seeing place. I know it’s a little strange, a little bit of a contradiction, that a far-seeing place should also be a basement place, but that’s how it is with me. If you construct your own far-seeing place, you might put it in a treetop or on the roof of the World Trade Center or on the edge of the Grand Canyon. That’s your little red wagon, as Robert McCammon says in one of his novels.
This book is scheduled to be published in the late summer or early fall of 2000. If that’s how things work out, then you are somewhere downstream on the timeline from me…but you’re quite likely in your far-seeing place, the one where you go to receive telepathic messages. Not that you have to be there; books are a uniquely portable magic. I usually listen to one in the car (always unabridged; I think abridged audio-books are the pits), and carry another wherever I go. You just never know when you’ll want an escape hatch: mile-long line of tollbooth plazas, the fifteen minutes you have to spend in the hall of some boring college building waiting for your advisor (who’s got some yank-off in there threatening to commit suicide because he/she is flunking Custom Kurmfurling 101) to come out so you can get his signiture on a drop-card, airport boarding lounges, laundromats on rainy afternoons, and the absolute worst, which is the doctor’s office when the guy is running late and you have to wait half an hour in order to have something sensitive mauled. At such times I find a book vital. If I have to spend time in purgatory before going to one place to the other, I guess I’ll be all right as long as there’s a lending library (if there is it’s probably stocked with nothing but novels by Danielle Steel and Chicken Soup books, ha-ha, joke’s on you, Steve).
So I read where I can, but I have a favorite place and probably you do, too–a place where the light is good and the vibe is usually strong. For me it’s the blue chair in my study. For you it might be the couch on the sunporch, the rocker in the kitchen, or maybe it’s propped up in your bed–reading in bed can be heaven, assuming you can get just the right amount of light on the page and aren’t prone to spilling your coffee or cognac on the sheets.
So let’s assume that you’re in your favorite receiving place just as I am in the place where I do my best transmitting. We’ll have to perform our mentalist routine not just over distance but over time as well, yet that presents no real problem; if we can still read Dickens, Shakespeare, and (with the help of a footnote or two) Herodotus, I think we can manage the gap between 1997 and 2000. And here we go–actual telepathy in action. You’ll notice I have nothing up my sleeves and that my lips never move. Neither, most likely, do yours.
Look–here’s a table covered with a red cloth. On it is a cage the size of a small fish aquarium. In the cage is a white rabbit with a pink nose and pink-rimmed eyes. In its front paws is a carrot-stub upon which it is contentedly munching. On its back, clearly marked in blue ink, is the numeral 8.
Do we see the same thing? We’d have to get together and compare notes to make absolutely sure, but I think we do. There will be necessary variations, of course: some receivers will see a cloth which is turkey red, some will see one that’s scarlet, while others may see still other shades (To color-blind receivers, the read tablecloth is the dark gray of cigar ashes.) Some may see scalloped edges, some may see straight oens. Decorative souls may add a little lace, and welcome–may tablecloth is your tablecloth, knock yourself out.
Likewise, the matter of the cage leaves quite a lot of room for individual interpretation. For one thing, it is described n terms of rough comparison, which is useful only if you and I see the world and measure the things in it with similar eyes. It’s easy to become careless when making rough comparisons, but the alternative is a prissy attention to detail that takes all the fun out of writing. What am I going to say, “on the table is a cage three feet, six inches in length, two feet in width, and fourteen inches high”? that’s not prose, that’s an instruction manual. The paragraph also doesn’t tell us what sort of material the cage is made of–wire mesh? steel rods? glass?–but does it really matter? We all understand the cage is a see-through medium; beyond that, we don’t care. The most interesting thing here isn’t even the carrot-munching rabbit in the cage, but the number on its back. Not a six, not a four, not nineteen-point-five. It’s an eight. This is what we’re looking at, and we all see it. I didn’t tell you. You didn’t ask me. I never opened my mouth and you never opened yours. We’re not even in the same year together, let alone the same room…except we are together. We’re close.
We’re having a meeting of the minds.
I sent you a table with red cloth on it, a cage, a rabbit, and the number eight in blue ink. You get them all, especially that blue eight. We’ve engaged in an act of telepathy. No mythy-mountain shit; real telepathy. I’m not going to belabor the point, but before we go any further you have to understand that I’m not trying to be cute; there is a point to be made.
You can approach the act of writing with nervousness,, excitement, hopefulness, or even despair–the sense that you can never completely put on the page what’s in you mind and heart. You can come to the act with your fists clenched and your eyes narrowed, ready to kick ass and take down names. You can come to it because you want a girl to marry you or because you want to change the world. Come to it any way but lightly. Let me say it again: you must not come lightly to the blank page.
I’m not asking you to come reverently or unquestioningly; I’m not asking you to be politically correct or cast aside your sense of humor (please God you have one). This isn’t a popularity contest, it’s not the moral Olympics, and it’s not church. But it’s writing, damn it, not washing the car or putting on eyeliner. If you can take it seriously, we can do business. If you can’t or won’t, it’s time for you to close the book and do something else.
Wash the car, maybe.


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つぼ6 表記を整える

皆さん、身だしなみに気を使っていますか? 私は、どうもダメです。若い頃から、身だしなみやおしゃれに興味がなく、いつも髪はぼさぼさ、服はよれよれです。よくないですね。最近はようやく反省して、身だしなみをきっちりするように努めていますが、その成果についてはあまり自信がありません。

中味が同じでも、身だしなみがきっちりしていると、好感の持てるのが人情というもの。文章においても、同じことです。表記を整えるとは、ようするに文章の身だしなみのようなもの。いくらよい内容でも、表記が整っていなければ、読み手にそのよさが伝えられません。

ところが、その表記が日本語にとっては、難題中の難題なのです。日本語の表記には漢字、ひら仮名、片仮名、ローマ字が混在しており、料理に例えるなら、中華、和食、フレンチが一皿に混ざり合っているようなもの。そのため、日本語の表記については、いまも統一されたものがありません。日本語は、どのような表記で書いてもかまわないのです。そのため、日本語の表記は千差万別。ちなみに、お手元にある本を見比べてみてください。それぞれの表記方法が、かなり違うはずです。

(1) 表記基準

公用文の表記基準
正書法ではありませんが、現代日本語にも表記基準となるものがいくつかあります。例えば、1986年に内閣告示として交付された「現代仮名遣い」は、「常用漢字表」「送り仮名の付け方」とともに、現代日本語表記の基準の1つとなっています 。「現代仮名遣い」が目指しているのは、おもに法令、公用文書、新聞、雑誌、放送などの仮名遣いのよりどころを示すことです。しかし一方で、他の専門分野や個々人の表記にまで規制を及ぼそうとするものではありません。

報道文の表記基準
文章を専門的に扱う組織では、組織内の表記ルールを制定しているところが数多くあります。こうしたルールは「ハウスルール」と呼ばれ、なかでも通信社、新聞社、出版社では、自社表記法をまとめたハンドブックをそれぞれにつくっています。そのなかで翻訳でよく利用されるのが、共同通信社の『記者ハンドブック』です。通信社は数多くの報道機関にニュースを配信するのが仕事であり、汎用性が高いからです。問題なのは、新聞社向け表記ルールなので基本がタテ組みであること。そのため、ヨコ組みを基本とする産業翻訳の原稿にはうまく使えない部分も多くあります。

マニュアル文の表記基準
マニュアルは、誰にでも読めることが絶対条件です。従って、マニュアル文章の表記では「読みやすさの追求」こそが、なによりの基準となります。具体的には、漢語のみが漢字で、ほかはすべて平仮名というのが基本。ただしあまりに平仮名が多いと、逆に読みにくくなりますので、敢えて漢字を使うといった工夫もなされています。
ここまで、公用文、報道文、マニュアル文の基準についてお話しましたが、1つの文を上の3つの表記基準にあわせて書き分けると、次のようになります。ずいぶんと印象が違うことがおわかりになると思います。

<公用文の表記>
我が国は専ら専守防衛に努め、再び軍備、殊に先制攻撃用軍備を有することは全く有り得ない。

<報道文の表記>
わが国はもっぱら専守防衛に努め、再び軍備、ことに先制攻撃用軍備を有することはまったくあり得ない。

<マニュアル文の表記>
わが国はもっぱら専守防衛につとめ、ふたたび軍備、ことに先制攻撃用軍備を有することはまったくありえない。

(2) 誤記

実際の表記で最も気をつけるべきことは、なんといっても誤記です。誤記のおそろしさは広く一般に知られています。校正者はよく「校正おそるべし」などといいます。『誤記ぶり、ぞろぞろ』という面白い本も出ているほどです。
誤記の最大の原因は、なんといっても原稿をつくる際の書き間違いです(いまは入力ミス、漢字変換ミスといったほうがよいかもしれません)。原稿作成時にしっかり注意すること、書き終えたあとに文章を丁寧に見直すことでかなり改善はできますが、それでもなかなかパーフェクトにはいきません。まさに誤記ぶり、ぞろぞろです。私もとても苦労しています。皆さんも木をつけましょう。

(3) 表記の揺れ

誤記に続いての大きな問題が、表記の揺れです。ある表現に対して複数の表記がなされているというケースです。以下、揺れが特に生じやすい3つの表記、数字表記、外来語表記、単位表記についてご説明します。

数字表記
数字表記は、表記の揺れの一大震源地です。例えば、皆さんは「1つ、2つ、3つ」「一つ、二つ、三つ」「1つ、2つ、3つ」のどの表記がよいと思われますか。あるいは、「ひとり、ふたり」「一人、二人」「1人、2人」、「第一、第二」「第1、第2」、「二分の一」「2分の1」などはどうでしょうか。算用数字については、全角か半角かという問題もあります。
基本的には、漢字か算用数字かにそろえるのがよいとされるのですが、なかなかそう簡単にいきません。実際にやってみると、どうしても納得できない部分が出てきます。一番簡単なのは、算用数字(それも半角)にそろえればよい(1つ、2つ、3つ、1日、2日、3日)と理屈ではわかっていても、どうしても割り切れないものが残ります。美意識というほどのものではないのですが。

外来語の表記
これも、じつに悩ましい。例えば、皆さんが使う表記は「アイデア」でしょうか、それとも「アイディア」でしょうか。「エッセー」でしょうか、「エッセイ」でしょうか。そのほかにも、「トレンディー」と「トレンディ」、「ウイスキー」と「ウィスキー」、「クエスチョン」か「クェスチョン」、「バイオリン」か「ヴァイオリン」、「Eメール」と「eメール」などなど……。本当に悩ましいですね。
では、どうすればよいのでょうか。例えば、内閣告示の1つに「外来語の表記」(1991年6月)というものがあるので、確認しておくことをお奨めします。そのほか、特定の外来語辞典などに従うという手もあります。

単位の表記
上の2つにくらべると、これはそれほど悩ましくありません。単位記号を使うか、それともカタカナ表記にするかのいずれかです。気をつけるとすれば、単位記号の際の半角と全角の区別ぐらいでしょうか(全角のほうがよいです)。
基本的に揺れさえなければどちらでもよいのですが、個人的には、カタカナ表記をおもに使っています。「5%」よりも「5パーセント」、「5m」よりも「5メートル」のほうが読みやすいからです。「5パーセントから10パーセントまで」のように表現が長ったらしくなるのではと心配する向きもあるでしょうが、実際にやってみると、それほど気にはなりません。

(4) 句読点

基本的に、句点が「、」、読点が「。」の組み合わせです。横書きの場合には、「,」と「.」の組み合わせでもかまいません。歴史的な経緯をいえば、「、」と「。」は漢文の読み下しのための区切り記号を近代日本語文に流用したもので、「,」と「.」は英文のカンマとピリオドを近代日本語文に流用したものです。

気をつけなければいけないのは、句読点とカッコ(「」、())との関連です。以下のようなさまざまな使い方が考えられます。

1.「」が文中にあるとき
a ××「××、××」××。
b ××「××、××。」××。
2.「」が文末にあるとき
a ××「××、××」。
b ××「××、××」
c ××「××、××。」
3.段落全体や段落最後の文全体が「 」でくくられているとき
a 「×××××。×××××」
b 「×××××。×××××。」
4.句読点と()の関連
a ×××。(×××)
b ×××。(×××。)
c ×××(×××)。

個人的には、aタイプを使っています(ただし4はcタイプ)。カッコと句点をわざわざだぶらせることに意味がないと思うからです。しかしながら、b、cタイプを使った書物も数多くあります。統一していれば、どれでもよいでしょう。

(5) 表記記号

中黒(中点、・)、疑問符(?)、感嘆符(!)、コロン(:)、セミコロン(;)、斜線(/)については、詳しくは上に挙げた『記者ハンドブック』のような表記ガイドブックを参照してください。ただ一言でいえば、可能なかぎり使わないことをお奨めします。使えば使うほど、文面がよごれて下品になります。目のまわりを真っ黒に塗った女の子のようで、それなりにおしゃれとはいえても、身だしなみとはいえません。必要最小限がよいでしょう。

カッコ(「 」、( )、『 』、[ ]、他)については、とにかく使いすぎないことです。「 」は、会話文や引用文を表すだけでなく、そのほかに数多くの機能をもっているため、つい使いすぎてしまいます。気がつくと文章がカギカッコだらけになっているというケースもよくあります。強調などについては、別の記号(傍点)が使える場合にはそうした記号を使うべきです。二重カギカッコは書名に使います。『国富論』『方丈記』などといったぐあいです。

つなぎ符(―、…)について一番気をつけなければならないのは、ダッシュとハイフンの区別です。またダッシュにはいくつか種類があって使い分けが必要ということも覚えておいてください。三点リーダー(…)については、3点あわせて1つの全角です。全角の点が3つ(・・・)ではありません。

(6) 漢字と仮名

最後に取り上げるのが、漢字と仮名の使い分けです。これこそが、日本語表記の最大の課題といって決して過言ではありません。漢字にするべきか、仮名にするべきか。日本語表記ではそれこそが大問題です。

漢字と仮名の使い分けの原則を決める際には、以下の2つのアプローチが考えられます。1つは「基準にあわせる」、もう1つが「機能にあわせる」です。

基準にあわせる
すでに述べた内閣告示や『記者ハンドブック』などを遵守するという方法です。具体的には、公用文書については内閣告示、その他の一般文書については共同通信社『記者ハンドブック』に、マニュアルについてはマニュアルの基準書にあわせます。そのほか、公的・準公的機関の表記にあわせるという方法もあります。具体的には、法務文書であれば六法全書、会計文書であれば公認会計士協会の文書といったところです。

機能にあわせる
内容語は漢字、機能語はひらがなという使い分けが、その一例です。機能語とは、次のようなものです。
・形式名詞(~ということ、~なもの、~するとき)
・助動詞(~できる、~しておく、~している、~になる、~してしまう)
・その他(従って、ゆえに、すなわち、いかに、~のために、~するように、おおむね、~など、つねに、いわゆる、~のせいで)
マニュアルの表記は、ほぼこの方針に従っており、また、報道文の表記もある程度この方針をとっています。

いかがだったでしょうか。私自身は基本的に機能にあわせるタイプですが、皆さんは皆さんで、それぞれの考えのもとに漢字と仮名を使い分けていけばよいと思います。また、時と場合によって使い分けることも必要でしょう。

漢字にするか仮名にするかでイメージがまったく変わってしまうところが、日本語の怖さであり、また面白さでもあります。せっかくそうした特性の言語を母語にしているのですから、私たちはその面白さを十分に活用し、そして味わいたいものです。

演習問題

次の文章の表記を整えてください。


翻訳とはある言語を、単に他言語に置き換える作業ではなく、それの意図することを正確に100%再現することであると考える。
従って翻訳にあたっては、まず原文を良く読み、噛み砕き、言わんとすることを十分に把握し、理解することが第一の必須事項である。このためには、原文の背景にある文化、慣習、現在の状況、環境などの理解、知識、洞察力などが不可欠となる。
原文の理解には,高い語学力が必要なのはいうまでもない。そして、その内容を的確な他言語に置き換え、読みやすく表現するための幅広い語彙、そして、理解しやすい平易な文章にする力が必要不可欠であることは言をまたない。

2
100%の理解を目指してはいるけれど、意訳をしたところで文化・歴史・背景の異なる国の人の言葉が表現したいものを完全に理解するというのは無理であると考えます。
翻訳というのは、異なる国の言葉を異なる国の言語に直して、その国の人間に理解させようとするので、平たく言えば、勿論、“これは林檎です。”や、“これはあなたのペンですか?”というものは意訳することなく、ほぼ100%翻訳できるといえると思います。が、人間の想像力が生み出す文章というのは、そう単純なものではありません。読者、或いは聴衆に最も訴えたいある事柄を印象付けるために、他の言葉を用いて、または遠回りして説明したり、歴史的見地から何か具体例を挙げ、更なる理解を期待したりと、ダイレクトに意見するよりも効果がある場合もあるものです。但し、これは例えば通常の文章に対しての意見です。

3
久しぶり!!元気?私のほうは学校始まっちゃったけど、そんなに忙しくないよ☆バイトしてた居酒屋がつぶれちゃってさ^^; いいとこないかな??ところで、ゴールデンウィークの土曜に同窓会しない?みんなとしばらく会ってないし、短大行った子なんて卒業しちゃって普段会えないし(/_;) 場所はまだ決めてないけど、昔バイトしてた居酒屋なら安くしてくれるかも(^_^) 決めたら連絡するね!!これメルアド知ってる人だけに送るから、メアド知ってたら他の人にも知らせといてくれないかなあ☆彡そう言えば、先生元気かな??

4
FASBは、種々の金融手段およびオフバランスシート金融が開発され、取引されているのに対応し、また、将来起きると思われる他の問題を解決する助けになる広範な基準を設定することを期待して、1986年に、これに関する問題を議題に加えた。しかし、金融手段をどのように認識し、測定するかは複雑であり、最終結論にいたるまでには相当の時間を要するため、暫定的処措置として、金融に関する情報の開示の改善が必要であると決定し、1990年にFASB基準書第105号「オフバランスシート・リスクのある金融手段および信用リスクの集中した金融手段に関する情報の開示」(FAS107により一部修正)を、また、1991年に基準書第107号「金融手段の適正価額に関する開示」(FAS112により一部修正)を公表した(FAS105第1,2,5項、FAS107第1,2項)。

5
新春の候、ますますご清栄のことと存じます。四月になって年度も改まり、新しい方々も入会されて、皆様と一緒に歌うことがいっそう楽しく感じられるこの頃です。また、このたびは私のような物がいきなり会計係という大役をいただき、私には役不足ではないかと不安に感じております。微力ながらも皆様のお役に立てればと思いますので、よろしくお願い致します。
さて、皆様既にご承知のように、当会では四月と十月に会費を徴収しております。何かと出費の多い次期ではございますが、皆様とご一緒にコーラスを楽しんでいくためにも、やはりそれなりの出費が必要となってまいります。恐縮ではございますが、次回の練習の際に徴収させていただきたいと存じますので、ご用意いただければ幸いです。

6
私達がどう感じ取るかという視点で文章スタイルを述べる前に、どうやってその様な印象を受けるのか説明する必要がある。一つの方法としては、音節や単語の数を数える事で説明出来る。より音節や単語の数が少ない文章は、より理解しやすい文章であると一般的に言われている。しかしながら、もし全ての音節数や単語数を数えていたら書くことより数えることの方に時間を費やしてしまうだろう。もっと重要な点は、これらの数によって文章が仰々しくぎこちないというのを説明することは出来ないのである。まして音節数や単語数を減らして明晰で率直な文に変えることなど出来ない。もし例えこれらの数により文章が読みづらいと判断されても読みづらいがどうかは実際に読んだらすぐに分かることなので、わざわざ数える必要はないのである。

7
そして、ある表現法に対しどう感じるかをただ述べることから一歩踏み出し、その表現法に関し論じるには、私たちはなぜ自分がそのような印象を持ったのかを、きちんと説明する必要があります。その際、他の多くの数値化された体系にならおうと、文中で使われている言葉や音節の数を数えて、それが少なければ少ないほど良い、とする人もいるかも知れません。しかし、自分の書いた文章中の全ての音節と言葉を数えることは、書くことよりも時間が掛かります。指摘するまでもなく、言葉や音節の数が多いことはその文章をぎこちなくしたり誇張的にしたりする原因にはならず、まして少なくすればより明瞭で優美な文章になる、というわけでもありません。また、たとえある一節が読み辛いものであったとしても、言葉や音節を数えるまでもなくただ読むことによって、私たちにはそれが読みにくい文章だということが分かります。

以下の英語を表記に注意しながら日本語にしてください。

8
When I first came across plain English, I was teaching writing in college. You can guess what I had been teaching: an overly formal style designed more to impress than simply to communicate clearly to the reader.
Since then, I’ve switched to plain English and taught it extensively—in college and to many thousands of people in government and business. This book is a result of those experiences, and it’s designed to help you discover plain English.
When you make that discovery, you will find that writing is much easier for you—and it will be better, too.

9
Probability Theory

Probability theory, the mathematical study of the estimated consequences of future events, is useful for predicting costs and planning complex processes when not all variables are available.

If the consequences of a future event have to be estimated, probability theory is used to help make an informed decision. For example, a company insuring for accidents must cover the risk to the insurer, without high costs. If the risk of an accident occurring over one year is estimated at five percent, the yearly premium will therefore be at least five percent of the average cost of an accident.
Probability theory was developed from questions about chance in gambling. The probability of an event is calculated by dividing the number of specific outcomes in that event by the number of all possible outcomes. For example, the probability of drawing a black card from a deck of cards is 0.50, or 50 percent (26 black cards out of 52 cards total).
If the outcomes are part of subevents, a decision must also be made as to whether they are dependent on each other. For instance, if you begin drawing cards from a single deck, the chance that you will draw a queen of hearts increases as the size of the deck decreases (1/52, 1/51, 1/50, and so on). To find the probability of several independent events occurring, you must multiply the individual probabilities. For example, the chance that you would roll two dice and both would come up “six” is P(X=&)=1/36 or 2.8 percent.
Probability theory is particularly useful for making responsible decision in economic or social situations.

Limits of probability theory
There are some probabilities that cannot be calculated accurately. For example, when a person is face with a choice between plain chocolate and chocolate with peanuts, the probability that the plain chocolate is chosen could be calculated at 0.5. However, other factors, such as an allergy to peanuts, may influence the decision.

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Japan
There was a time when English liked to think of Japan as the Great Britain of the Pacific. The parallel was developed at many levels; some were less plausible than others, but there was an indisputable hard nugget of reality in the facts of geography. Both are island kingdoms whose people’s destinies have been shaped deeply by the sea. Both, too, live close to neighbouring land masses whose influence on them could not but be profound. The Straits of Tsushima which separate Korea from Japan are about five times as wide as the Straight of Dover, it is true, and Japan was able to maintain an isolation from the Asian terra firma far more complete than any England could hope for from Europe. Nevertheless, the parallel can be pressed a good way and its validity is shown by the excitement which the Japanese have always shown about the establishment of a strong power in Korea; it rivals that of the British over the danger that the Low Countries might fall into unfriendly hands.
The Japanese proper probably arrived from Korea in about 300 BC, and when Japan emerges in her own historical records, in the eighth century AD, there was Japanese-held territory in the Korean peninsula. In those days, Japan was a country divided up among a number of clans, presided over by an emperor with an ill-defined supremacy and an ancestry traced back to the Sun Goddess. The Japanese did not occupy the whole of the territory of Japan, but lived in the main on the southern and central islands. Here were the mildest climate and the best agricultural prospects. In prehistoric times, the introduction of rice-growing and the fishing potential of Japanese waters had already made it possible for this mountainous country to feed a disproportionately large population, but pressure on land was to be a recurrent theme of Japanese history.
In 645 a political crisis in the dominant clan brought about its downfall and a new one arose, the Fujiwara. It was to preside over a great age of Japanese civilization and to dominate the emperors. There was more than political significance in the change. It also marked a conscious effort to redirect Japanese life along paths of renewal and reform. The direction could only be sought from the guidance offered by the highest example of civilization and power of which the Japanese were aware, and possibly the finest in the world at that time, that of imperial China, which was also an example of expanding menacing power.
Its continuing and often changing relationship with China is another theme of Japanese history. Both peoples were Mongoloid stock, though some Caucasoids whose presence it is difficult to account for also form a part of the Japanese ethnic heritage (these, the Ainu, were, at the beginning of the historical era, mainly to be found in the north-east. In prehistoric times Japan appears to have followed in the wake of the civilization of the mainland; bronze artifacts, for example, appear in the islands only in the first century or so BC. Such innovations in the last millennium BC may owe something to immigrants displaced by the Chinese as they moved southwards on the main island. But the first references to Japan in the Chinese records (in the third century AD) still depict a country not much affected by mainland events and Chinese influence was not marked until the centuries following the Han collapse. Then, a vigorous Japanese intervention in Korea seems to have opened the way to closer contact. It was subsequently fostered by the movement of Buddhist studentx. Confucianism, Buddhism and iron technology all came to Japan from China. There were attempts to bring about administrative changes on Chinese lines. Above all, Chinese writing had been brought to Japan and its characters were used to provide a written from of the native language. Yet cultural attraction and dependence had not meant political submission.


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つぼ7 翻訳のためのIT技能

(1) IT技能は誰でも習得できる

皆さん、コンピュータはお好きですか? 私は、ダメです。小さい頃から、機械は大の苦手でした。いまでも、テレビやステレオの配線をみただけでぞっとします。典型的な文系タイプですね。

でも、翻訳者となってからは、パソコンやインターネットの使い方について頑張って覚えるようにしました。使えないと、仕事にならないからです。いまでは、翻訳に必要な機能だけは、なんとか人並み以上に使えるようになりました。こんな私でもなんとかなるのですから、皆さんは、絶対に大丈夫です。へんな励まし方ですが。

翻訳に必要となるIT技能ですが、まずワープロのWord、表計算のExcel、プレゼンテーションのPowerPointの3つのソフトウェアを使いこなせなければなりません。マイクロソフト社の回し者のようでいやなのですが、現実がそうなのですから、仕方がありません。なかでもWord機能の完全マスターは、翻訳者にとって必須条件です。

もう1つ翻訳者にとって必須条件となっているのが、Googleの使い方です。これもGoogle社の回し者みたいで納得できませんが、仕方ありません。そのほかには、データをどのように管理するかという問題もあります。以下、Wordについて、Googleについて、データ管理について、ご説明をしたいと思います。

(2) Wordの使い方

翻訳のためのWord機能には、どのようなものがあるでしょうか。一言でいえば、上のメニューバーの機能をすべて使いこなせればよいのですが、なかなかそうもいきません。ここでは、特に重要なものだけを以下に紹介します。

「書式」
「フォント(書体)」「段落」「タブとリーダー」「スタイル」「箇条書きと段落」などの機能は、すべて完全にマスターしておかなければなりません。なかでもマスターすべきが、「スタイル」機能です。「スタイル」では「ショートカット」キーを使えるのも、大きな利点です。マウスを使う必要がないので、作業が圧倒的に楽になります。

「タブ」
「タブ」と「段落」をうまく組み合わせれば、いろいろな処理ができます。また「リーダー」機能を使って破線や実線のリーダー線が引けることも便利です。

「コメント」
読み手に対してテキストに関するコメントを、テキスト外で提供する機能です。テキスト「外」というところがミソ。プリントアウトしてもコメント文は印刷されないのです。この機能は、特に翻訳者にとって便利です。翻訳コーディネーターに、翻訳文に関するさまざまなコメントを伝えることができるからです。

「テンプレート」
新しいファイルを作る際、デフォルトフォーマットだけに縛られる必要はありません。「テンプレート」機能を使って、自分独自のフォーマットを作れはよいのです。独自テンプレートを複数用意して、用途に合わせて使い分けるというのもよいでしょう。

「変更履歴」
既存の文書に加えた変更を記録して、さまざまなかたちで表示してくれる機能です。多数のメンバーが係る翻訳プロジェクトで重宝します。

「マクロ」
「マクロ」とは、つまりは簡単なプログラミングのこと。Wordに組み入れられているプログラミング言語は「Visual Basic Editor」で、これを使って一連の処理を自動的に行います。プログラミングなどとてもできないと思われるかもしれませんが、そうでもありません。翻訳者はプログラマーではないのですから、翻訳者として必要最小限の知識とテクニックさえあればよいのです。

(3) Googleの使い方

Googleで最もよく使うのは、もちろん検索機能ですが、その際に忘れてならないのが、ダブルクオーテーションを使って複数語を一語扱いにする検索。これを使うことで、検索の精度と応用範囲が大きく向上します。また、オンライン上の第一のリソースは英語であって、日本語ではありません。翻訳者の多くが、日本語のリソースに重点を置きすぎている気がします。英語リソースの内容をいかに素早く読み取るかが、勝負の分かれ目です。

検索以外には、GmailとGoogleDocの2つの機能が、翻訳者に特に有用です。うまく使えば、自分のデータベースをGoogle上につくっておいて、どこででも仕事ができます。私も、そうしたかたちで仕事をしています。それ以外には、Google上に自分のサイトやブログ、メーリングリストなどをつくっておくのもよいでしょう。

(4) データベースの使い方

翻訳を行っていると作品がたまってきます。これをデータベース化して今後の翻訳に活かしたいと思うのは人情ですね。データベース化に特別なことをする必要はありません。これまでの仕事をきちんとフォルダのなかに入れておき、新しい仕事が出てきたときにキーワード検索をかければよいのです。

マニュアルではない普通の翻訳で、過去のデータベースが非常に役立つ領域としては、例えば法律分野や会計分野があります。いずれも、用語が特殊で定型文が多く、基本的に語と語の一対一の対応でカバーできます。こうした領域の仕事ならば、過去の仕事から類似のものを引っ張ってきて参考にすると、きわめて効率的です。

ただ、こうした翻訳は、近い将来にマニュアルと同じく、翻訳支援ソフトでの処理が大半になると思います。突き詰めると、これは翻訳ではなく、「情報処理」です。そこで求められるのは、優れた翻訳技術ではなく、優れた情報処理技術になるでしょう。翻訳者というよりも、情報技術者としての仕事だと思います。


総合演習

次の英語を日本語にしてください。

1
The schoolmaster is the person who takes the children off the parents’ hands for a consideration. That is to say, he establishes a child prison, engages a number of employer schoolmasters as turnkeys, and covers up the essential cruelty and unnaturalness of the situation by torturing the children if they do not learn, and calling this process, which is within the capacity of any fool or blackguard, by the sacred name of Teaching.

2
WASHINGTON, May 9 – Moderate Republicans gave President Bush a blunt warning on his Iraq policy at a private White House meeting this week, telling the president that conditions needed to improve markedly by fall or more Republicans would desert him on the war.
The White House session demonstrated the grave unease many Republicans are feeling about the war, even as they continue to stand with the president against Democratic efforts to force a withdrawal of forces through a spending measure that has been a flash point for weeks. (New York Times, Thursday, May 10, 2007 )

3
Genes
The carrier of genetic information are the genes. These are contained in the chromosomes: structures formed from DNA and proteins. The generic information is represented by the order of nucleotides within the gene.

A gene is a segment of DNA (deoxyribonucleic acid)(p150) within a choromosome that encodes information fro the synthesis of a particular protein. In eukaryotes (or genism with a true cell nucleus), most of the organism’s genetic information is contained within the nucleus. In addition, the mitochondria (the cell’s “power plants”), and chloroplasts in plants, also have their own small, separate sets of genes. In prokaryotes, which lack a cell nucleus, the DNA generally takes the form of a ring-shaped molecule within the cell’s cytoplasm. Many bacteria also possesses plasmids (smaller, nonchromosomal DNA molecules), which normally do not contain essential genetic information but may carry genes, such as those for toxin production, carbohydrate processing, or resistance against antibiotics. Species with these genetic addition often have competitive advantages over other bacteria. Taken together, all of the genetic information contained in an organism’s genes constitutes its genotype (the genetic constitution of an organism). The actual appearance of the organism–its phenotype–results from interactions between the genotype and internal and external environmental influences. Thus, organisms with identical genotypes do not necessarily have the same phenotype.
Organisms with double (diploid) sets of chromosomes, such as human beings, have two copies of each chromosome (homologous chromosomes). Therefore, each genes is represented twice. Different occurrences of specific genes are called alleles. Accordingly, humans have two alleles for each gene.
If two series of nucleotides are identical, the genes are called homozygous; conversely, if the pattern is different, they are heterozygous. Gene that occur in more than two different versions are multiple alleles. If an organism is heterozygous for a particular gene, its phenotype may be determined by only the dominant of the two alleles. The allele whose effect is overshadowed is recessive. If the phenotype is partially or equally influenced by both alleles, this is called intermediate inheritance, and the appearance of the heterozygous organism reflects a mixed form of the two homozygous phenotypes.

4
Giving Presentations

Like most endeavors, an effective presentation begins with focused thinking. This doesn’t mean preparation, which comes next. Instead, you should think about the objective of your presentation, the audience, and the context for what you’ll eventually present.

Define your objective
The objective of you presentation is the outcome you want–persuasion, discussion, buy in, feedback, or a sale. Your objective should drive the development of your presentation. Begin by asking yourself these questions: “What is the purpose of this presentation?” “What do I want you audience to do as a result?” More specifically, ask these questions:

・Do I want to inform, persuade, or sell?
・Do I want the audience to understand, learn, or take action? Note the difference between presentation presenting a budget so that your audience understands it and presenting a budget so that your audience votes on it.
・Do I want commitment from the audience?

Later, you’ll want to include examples, visuals, and details that will help you achieve your objective. Anything that is extraneous, distracting, or interfering should be omitted.

Your objective also helps you determine the following:

・Whether to give the presentation at all; another mode of communication–such as having lunch with key decision makers–may be more effective.
・Whether to give it to this particular audience under these particular circumstances
・What to say and how to say it
・What the follow-up needs to be
・Possible objections

Know your audience
A presentation is an interactive dialogue between you and your audience. The better you understand your listeners, the more you can customize your presentation. Make sure that you can answer these questions:

・Is the subject controversial, familiar, or new (ore a combination) to this audience?
・Who are they, and what is their relationship to your topic?
・How well informed are they about the subject? What do they need to know about it?
・What do they expect from your presentation?
・Are they accustomed to a certain type of presentation?
・What do they know about you? What more do they need to know? How do they feel about you?
・Why are they present? Are they there by choice or by requirement?
・Are they likely to be enthusiastic? Polite? Apathetic? Hostile?
・Are there any other obstacles, history, or expectations that you need to take into account?

Understand your presentation’s context
No presentation is made in a vacuum. The context of your presentation will play a major role in how it will be received, so be aware of the following issued:

・Is the situation formal or informal?
・When you present, will the audience have just finished eating, drinking, working, having a break, or doing something active? Will they be tired or alert?
・Who will speak before you? Who comes after you? How might this affect audience reaction?
・Are you the first or last speaker of the program? The day? The morning or afternoon?
・Are you expected to take questions or leave copies of you presentation?
・How much time will you have for the presentation? Can your message be delivered in that time?
・Will the physical setting of the presentation required you to adapt your skill?
・What control will you have over the physical environment?

5
Chocolate’s bittersweet economy
By Christian Parenti

Outside the village of Sinikosson in southwestern Ivory Coast, along a trail tracing the edge of a muddy fishpond, Madi Ouedraogo sits on the ground picking up cocoa pods in one hand, hacking them open with a machete in the other and scooping the filmy white beans into plastic buckets. It is the middle of the school day, but Madi, who looks to be about 10, says his family can’t afford the fees to send him to the nearest school, five miles away. “I don’t like this work,” he says. “I would rather do something else. But I have to do this.”
Sinikosson, accessible only by rutted jungle tracks, is a long way from the luxurious chocolate shops of New York and Paris. But it is here, on small West African farms like these, that 70 percent of the world’s cocoa beans are grown – 40 percent from just one country, Ivory Coast. It’s not only the landscape that is tough. Working and living conditions are brutal. Most villages lack electricity, running water, health clinics or schools. And to make ends meet, underage cocoa workers, like Madi and the two boys next to him, spend their days wielding machetes, handling pesticides and carrying heavy loads.
This type of child labor isn’t supposed to exist in Ivory Coast. Not only is it explicitly barred by law – the official working age in the country is 18 – but since the issue first became public seven years ago, there has been an international campaign by the chocolate industry, governments and human rights organizations to eradicate the problem. Yet today child workers, many under the age of 10, are everywhere. Sometimes they’re visibly scarred from their work. In the village of Lilo a young boy carrying a machete ambled along a road with a bandaged shin. He said he had cut his leg toiling in a cocoa patch.
The big cocoa exporters – Cargill, Archer Daniels Midland (ADM, Fortune 500), Barry Callebaut and Saf-Cacao – do not own plantations and do not directly employ child workers. Instead, they buy beans from Ivorian middlemen called pisteurs and treton. These middlemen own warehouses and fleets of flatbed trucks that travel deep into the jungle to buy cocoa from the small independent farmers who grow most of the crop. But labor and human rights activists charge that Big Chocolate has an obligation to improve working conditions on the farms where so many children toil. They argue that the exporters and manufacturers bear ultimate responsibility for conditions on the farms because they exert considerable control over world cocoa markets, essentially setting what is called the farm gate price.

6
Trust in the Knowledge Society
Eric M. Uslaner

A bond of trust lets us put greater confidence in other people’s promises that they mean what they say when they promise to cooperate. The “standard” account of trust presumes that trust depends on information and experience. Offe (1999) states: “Trust in persons results from past experience with concrete persons.”
If two people do not know each other, they would have no basis for trusting each other. Moreover, a single encounter will not suffice to develop trust. Even when they get to know each other better, their mutual trust will be limited to what they know about each other.
The decision to trust another person is essentially strategic. Strategic (or knowledgebased) trust presupposes risk (Misztal, 1996, 18; A. Seligman, 1997, 63). Trust helps us solve collective action problems by reducing transaction costs–the price of gaining the requisite information that people need to place confidence in each other (Putnam, 1993, 172; Offe, 1996, 27). It is a recipe for telling us when we can tell whether other people are trustworthy (Luhmann, 1979, 43).1
Beyond the strategic view of trust is another perspective. Moralistic trust is a moral commandment to treat people as if they were trustworthy. The central idea behind moralistic trust is the belief that most people share your fundamental moral values (cf. Fukayama, 1995, 153). Moralistic trust is based upon “some sort of belief in the goodwill of the other” (A. Seligman, 1997, 43; cf. Mansbridge, 1999; Yamigishi and Yamigishi, 1994, 131).
Strategic trust cannot answer why people get involved in their communities. The linkage with moralistic trust is much more straightforward. Strategic trust can only lead to cooperation among people you have gotten to know, so it can only resolve problems of trust among small numbers of people. We need moralistic trust to get to civic engagement and to other benefits of faith in others. Moralistic trust is important for the knowledge-based society: It leads to greater tolerance for groups that have historically faced discrimination. It leads to more tolerant attitudes toward immigrants–and to greater support for open markets. And beyond people’s attitudes, moralistic trust has consequences for public policy: Nations that rank higher on trust have more open economies, higher rates of economic growth, better functioning governments, less corruption, and are more likely to have activist governments. Trusting nations prosper because they are the forefront of globalization. They are the pioneers in the knowledge-based economy.
Trust is generally considered to be part of a larger concept of “social capital.” Social capital has been defined to include trust, norms of reciprocity, and networks of civic engagement (Putnam, 1993, 180). Each of the components of social capital is said to produce cooperation within society. I have argued that trust does indeed lead to greater cooperation. However, membership in voluntary associations (the most widely used measure of networks of civic engagement) do not promote cooperation and economic growth in the same way as trust. All sorts of people join civic groups and there is little evidence that group membership leads to greater trust. There may be other benefits from joining civic groups. But the key to better government, more tolerance, and greater economic growth is through trust, not civic engagement.

7
Managing the Nonprofit Organization
by Peter Drucker

Forty years ago, when I first began to work with non-profit institutions, they were generally seen as marginal to an American society dominated by government and big business respectively. In fact, the non-profits themselves by and large shared this view. We then believed that government could and should discharge all major social tasks, and that the role of the non-profits, if any, was to supplement government programs or to add special flourishes to them.
Today, we know better. Today, we know that the non-profit institutions are central to American society and are indeed its most distinguishing feature.
We now know that the ability of government to perform social task is very limited indeed. But we also know that the non-profits discharge a much bigger job than taking care of specific needs. With every second American adult serving as a volunteer in the non-profit sector and spending at least three hours a week in the non-profit work, the non-profits are American’s largest “employer.” But they also exemplify and fulfill the fundamental American commitment to responsible citizenship in the community. The non-profit sector still represents about the same proportion of America’s gross national product—2 to 3 percent—as it did forty years ago. But its meaning has changed profoundly. We now realize that it is central to the quality of life in America, central to citizenship, and indeed carries the value of America society and of American tradition.


7
The Fifth Discipline
by Peter M. Senge

From a very early age, we are taught to break apart problems, to fragment the world. This apparently makes complex tasks and subjects more manageable, but we pay a hidden, enormous price. We can no longer see the consequences of our actions; we lose our intrinsic sense of connection to a larger whole. When we then try to “see the big picture,” we try to reassemble the fragments in our minds, to list and organize all the pieces. But, as physicist David Bohm says, the task is futile—similar to trying to reassemble the fragments of a broken mirror to see a true reflection. Thus, after a while we give up trying to see the whole altogether.
The tools and ideas presented in this book are for destroying the illusion that the world is created of separate, unrelated forces. When we give up this illusion—we can then build “learning organizations,” organizations where people continually expand their capacity to create the results they truly desire, where new and expansive patterns of thinking are nurtured, where collective aspiration is set free, and where people are continually learning how to learn together.
As the world become more interconnected and business becomes more complex and dynamic, work must become more “learningful.” It is no longer sufficient to have one person learning for the organization, a Ford or a Sloan or a Watson or a Gates. It’s just not possible any longer to figure it out from the top, and have everyone else following the orders of the “grand strategist.” The organizations that will truly excel in the future will be the organizations that discover how to tap people’s commitment and capacity to learn at all levels in an organization.
Learning organizations are possible because, deep down, we are all learners. No one has to teach an infant to learn. In fact, no one has to teach infants anything. They are intrinsically inquisitive, masterful learners who learn to walk, speak, and pretty much run their households all on their own. Learning organizations are possible because not only is it our nature to learn but we love to learn. Most of us at one time or another have been part of a great team, a group of people who functioned together in a extraordinary way—who trusted one another, who complemented one another’s strengths and compensated for one another’s limitations, who had common goals that were larger than individual goals, and who produced extraordinary results. I have met many people who have experienced this sort of profound teamwork—in sports, or in the performing arts, or in business. Many say that they have spent much of their life looking for that experience again. What they experienced was a learning organizations. The team that became great didn’t start off great—it learned how to produce extraordinary results.
One could argue that the entire global business community is learning to learn together, becoming a learning community. Whereas once many industries were dominated by a single, undisputed leader—one IBM, one Kodak, on Xerox—today industries, especially in manufacturing, have dozens of excellent companies, American, European, or Japanese corporations are pulled forward by innovators in China, Malaysia, or Brazil, and they in turn, are pulled by the Koreans an Indians. Dramatic improvements take place in corporations in Italy, Australia, Singapore—and quickly become influential around the world.
There is also another, in some ways deeper, movement toward learning organizations, part of the evolution of industrial society. Material affluence for the majority has gradually shifted people’s orientation toward work—from what Daniel Yankelovich called an “instrumental” view of work, where work was a means to an end, to a more “sacred” view, where people seek the “intrinsic” benefits of work. “Our grandfathers worked six days a week to earn what most of us now earn by Tuesday afternoon,” says Bill O’Brien, former CEO of Hanover Insurance. “The ferment in management will continue until we build organizations that are more consistent with men’s higher aspirations beyond food, shelter and belonging.”
Moreover, many who share these value are now in leadership positions. I find a growing number of organizational leaders who, while still a minority, feel they are par of a profound evolution n the nature of work as a social institution. “Why can’t we do good works at work?” asked Edward Simon, former president of Herman Miller, a sentiment I often hear repeated today. In founding the “Global Compact,” UN Secretary General Kofi Annan invited businesses around the world to build learning communities that elevate global standards for labor rights, and social and environmental responsibility.
Perhaps the most salient reason for building learning organizations is that we are only now starting to understand the capabilities such organizations must possess. For a long time, efforts to build learning organizations ware like groping in the dark until the skills, areas of knowledge, and paths for development of such organizations became known. What fundamentally will distinguish learning organizations from traditional authoritarian “controlling organizations” will be the mastery of certain basic disciplines. That is why the “disciplines of the learning organization” are vital.

8
13. Implications for English language teaching

In this chapter I shall consider the implications for language teaching of the variation that exists within and across Enlishes and the way that it has developed and spread in the context of the choice of model for the language classroom in outer and expanding circle countries (see also Kirkpatrick, 2007, 2006a). Currently, one of the following two alternatives tend to be chosen: either to adopt an exonormative native speaker model or to adopt an endonormative nativized model. The possible reasons and the advantages and disadvantages for the various stakeholders in choosing these models will be considered. These choices are never absolute, of course: a country, ministry or institution may choose one model for one context and another for another. It is possible for an outer circle or expanding circle country to choose an exonormative nativized model. I shall also discuss the possibility of using a lingua franca model in certain contexts and conclude the chapter by providing a list of skills required by English language teachers. It follows that TESOL courses should provide these and TESOL employers should insist upon them.

13.1 Choosing an exonormative native speaker model
This is the choice that most outer and probably all expanding circle countries have made. There are several reasons for this. The first is that these native speaker models have prestige and legitimacy. They have a history and, most importantly, they have been codified. This means that grammars and dictionaries are available, useful reference tools for teachers and learners alike. Codification also brings with it the notion of acceptance as standard—learners can be tested and evaluated against codified norms and standards. Thus Bamgbose has pointed out that, for nativized varieties, ‘The importance of codification is too obvious to be laboured’ (1998: 4).
A second reason for choosing an exonormative native speaker model is that English language teaching materials based on such model are readily available. English language teaching publishers are constantly commissioning new courses and reprinting successful old ones. However, most publishers seek to publish for a mix of global markets for their English language teaching courses and localized markets, producing market-specific courses for the latter.
Linked to this is the massive English language teaching industry that exists in the US and Britain. American and British organizations compete for contracts to provide English language teaching expertise in countries throughout the world. The English language teaching market is so important that it is common to find senior government ministers promoting it on behalf of their respective ELT industries. It is inevitably sometimes tempting for them to claim a ‘market advantage’ in that they can provide native speaker teachers, and thus appear to claim some extra value in a native speaker model.
A third reason for the choice of native speaker model is that Ministries of Education around the world are keen to be seen to be providing the ‘best’ for their people. By insisting on a native speaker model, ministries can claim to be upholding standards and providing students with an internationally recognized and internationally intelligible variety of English, although, as I have illustrated earlier, native speaker models are not always easily understood in international communication.
But does the choice of an exonormative native speaker model really advantage the people for whom the choice is most significant: the teachers and the learners.

13.1.1 Advantages and disadvantages
As implied above, there is no doubt that the choice of a native speaker model advantages the American and British English language teaching industries. They can sell materials, provide training and courses, place native speaker teachers and develop international examination and testing systems. All this is financially benericial for the parties concerned.
The choice of a native speaker model obviously also advantages native speaker teachers. They have become in great demand throughout the world. The demand for native speaker is so high in many places that being a native speaker is the only qualification that many teachers require. Thus native speakers who have no specialist training in English language teaching are routinely employed by schools, institutions and universities all over the world. I know from personal experience that many Chinese universities currently employ native speakers to teach English to a wide range of students and that only a small minority of these teachers have teacher training qualifications. That teachers only need to be native speakers is often explicitly stated in advertisements. When the South Korean government decided to employ 1000 native speaker English teachers in its schools, the Korean Herald carried the advertisements reprinted below (emphasis added) (Kirkpatrick, 2002a: 220):

Type 1 teachers require a Certificate in TESOL or three years full-time teaching experience with a graduate degree in TESOL or experience and interest in Korean culture and language.
Type 2 teachers only have to be a native speakers of English with a bachelor’s degree in any field.

In other words, even the higher grade teaches only actually require ‘experience and interest in Korean culture and language’, however defined.
In a teacher recruitment advertisement placed by an ELT company in Japan, a prospective applicant simply needed to be ‘a people-oriented, professional-minded university graduate’. In the same issue of the newspaper, an ELT recruitment company was also recruiting for teachers to teach English in Japanese schools. Such teachers needed to be ‘enthusiastic, energetic graduates’ and ‘must like children’; ‘No teaching or TEFL experience is required’.
It would seem pedagogically risky for such companies to recruit and employ untrained native speakers as English language teachers. And it is disturbing that these companies are recruiting untrained teachers (who ‘must like children’) to teach children, given the children protection measures that operate in other areas of education. This recruitment of untrained native speakers needs to be challenged on both pedagogical and moral grounds.
In some countries around the world, the choice of a native speaker model can also advantage those institutions and schools which can afford to hire native speakers, who, even when untrained, can command a higher salary than even well-trained and highly proficient local teachers. This can happen when groups of learners of English in an outer or an expanding circle country display a prejudice against the local model and a preference for a native speaker model (see for example, Kubota, 1998).
If the choice of a native speaker model advantages native speaker teachers, it can also disadvantage non-native speaker local teachers for several reasons. Firstly, the choice of an exonormative model automatically undermines the value and apparent legitimacy of a local teacher’s own model of English. Secondly, teachers are required to teach a model which they themselves do not speak, which can severely reduce their sense of self-confidence (Medgyes, 1994). Such a lack of self-confidence may be accompanied by a related feeling of resentment, especially when they themselves are highly trained, if an untrained native speaker teacher appears in the school who then becomes the ‘source’ of knowledge about the model purely on the strength of being a native speaker. How would such a situation be received by teachers in inner circle countries? It is diverting to imagine the reaction of Australian English language teachers, for example, if they were told by their government or institution that the model they would required to teach was American English and that untrained American native speakers would be employed, at higher rates of pay, to demonstrate the model.
The choice of a native speaker model may also disadvantage local teachers if the choice of the model is tied to a choice of methodology associated with native speaker teachers. Two tenets of native speaker English language teaching methodology are that English should be taught monolingually—this despite there being ‘no principled reasons for avoinding the L1 in the classroom’ (Cook, 2001: 157)—and that the ideal teacher is therefore a monoligual native speaker (Baine, 1999). That is to say that English should be the sole language of the classroom and a teacher who is monolingual is thus an ideal teacher, precisely because s/he cannot resort to the use of other language in the classroom. The teacher’s linguistic paucity ensures the sole use of English in the classroom.
Belief in these two tenets further undermines the value of multilingual local teachers. Their knowledge of the language of their students, far from being as a strength, is seen as a weakness. As they know the languages of their students, they will inevitably resort to it in the classroom, runs the argument and this thus violates the first tenet.
In fact, however, being multilingual and knowing the language of their students should be seen as important strengths for any language teacher for a range of reasons (Cook, 2002; Skutnabb-Kangas, 2000). First, such teachers have had the experience, not only learning a language as a second language, but learning the language they are now teaching. This experience gives them an understanding of the potential difficulties their students might have and an empathy with their students (Medgyer, 1994). Second, it would seem important for a language teacher to have knowledge of more than one language. It is hard to conceive of any other field in which a powerful part of the profession could seriously argue that teachers with limited knowledge of the subject should be employed ahead of those with wider knowledge of it. But when arguing that monolingual native speakers are ideal language teachers, the language teaching profession is in danger of doing just that. The great majority of English language learners are at least bilingual (Brutt-Griffler, 2002). Bilingual students benefit from and respect bilingual teachers.
In some circumstances, however, certain students may be advantaged by the choice of a native speaker model. In particular, students who have the opportunity to visit or study in inner circle countries would clearly benefit from being taught by a well-trained native speaker teacher who has first-hand knowledge of the culture and manners of the relevant inner-circle country. Students who go to study abroad in English-medium universities comprise the major part of this group and it would appear obvious that such students would benefit from using as a model the English variety spoken in the country to which they are going. However, this is more complex than it seems for at least four reasons. First, many of the academic staff of the host countries employ a significant number of academics recruited from other inner-circle countries and from many outer-circle ones. In some disciplines, ‘Anglo’ academics represent a minority on the staff. Second, the local student body will speak a broad, informal variety of English characterized by local and ‘student’ slang, while the international student body will speak a wide range of varieties of English. Third, the host country, especially if it is Britain or the United States, will be home to a wide range of regional dialects (see Chapter 4 and 5). Finally, the host country is likely to have a mixed multicultural population, many of whom will speak a ‘localized’ version of their own variety of English. For these reasons, the belief that students going, for example, to Australia, Britain or the United States will be advantaged by learning an idealized version of the respective native speaker model is not necessarily true.
It also needs to be pointed out that students who are learning English in order to study in English-speaking countries only constitutes a very small minority of the sum total of English learners. The great majority of learners of English are children studying in state-run schools that range from well-resourced urban schools to poorly resourced rural schools, of which the latter, unfortunately, represent the majority. As I shall argue below, the choice of a native speaker model does not necessarily advantage such students.
The choice of a native speaker model can also disadvantage the great majority of students if the chosen model is seen as unattainable by the students (Honna and Takeshita, 1998) and the students feel that this is so. This also leads to an unwillingness to experiment with the language and results in:
… Japanese students’ passive attitudes in using this language as a means of international and intercultural communication. They are ashamed if they do not speak English as native speakers do. (Honna and Takeshita, 2000:63)
As Cook has pointed out:
If L2 learners feel that the chief measure of L2 success is passing for native, few are going to meet it. Both teachers and students become frustrated by setting themselves what is, in effect, an impossible target.
This feeling can be devastatingly de-motivating for students. Adopting a native speaker model and then hiring native speakers to model it simply serves to let the students know that the model can only be attained by people who look and sound very different from themselves. This also carries the clear message that teachers who do look and sound like them are unable to produce the required model. Student will wonder what chance they will have if even their teachers can’t manage it. Again, it is hard to conceive of any other field in which the learners are implicitly informed that, not only can they never achieve the goal that the curriculum has set for them, but that this goal is even beyond their own teachers. Students who are continually evaluated against unrealistic, unattainable and inappropriate models will soon become disheartened and disillusioned.

9
On Writing Well
by William Zinsser

A school in Conneticut once held “a day devoted to the arts,” and I was asked if I would come and talk about writing as a vocation. When I arrived I found that a second speaker had been invited—Dr. Brock (as I’ll call him), a surgeon who had recently begun to write and had sold some stories to magazines. He was going to talk about writing as an avocation. That made us a panel, and we sat down to face a crowd of students and teachers and parents, all eager to learn the secrets of our glamorous work.
Dr. Brock was dressed in a bright read jacket, looking vaguely bohemian, as authors are supposed to look, and the first question went to him. What was it like to be a writer?
He said it was tremendous fun. Coming home from an arduous day at the hospital, he would go straight to his yellow pad and write his tensions away. The words just flowed. It was easy. I then said that writing wasn’t easy and wasn’t fun. It was hard and lonely, and the words seldom just flowed.
Next Dr. Brock was asked if it was important to rewrite. Absolutely not, he said. “Let it all hang out,” he told us, and whatever form the sentences take will reflect the writer at his most natural. I then said that rewriting is the essence of writing. I pointed out that professional writers rewrite their sentences over and over and then rewrite what they have rewritten.
“What do you do on days when it isn’t going well?” Dr. Brock was asked. He said he just stopped writing and put the work aside for a day when it would go better. I then said that the professional writer must establish a daily schedule and stick to it. I said that writing is a craft, not an art, and that the man who runs away from his craft because he lacks inspiration is fooling himself. He is also going broke.
“What if you’re feeling depressed or unhappy?” a student asked. “Won’t that affect your writing?”
Probably it will, Dr. Brock replied. Go fishing. Take a walk. Probably it won’t, I said. If your job is to write every day, you learn to do it like any other job.
A student asked if we found it useful to circulate in the literary world. Dr. Brock said he was greatly enjoying his new life as a man of letters, and he told several stories of being taken to lunch by his publisher and his agent at Manhattan restaurants where writers and editors gather. I said that professional writers are solitary drudges who seldom see other writers.
“Do you put symbolism in your writing?” a student asked me.
“Not if I can help it,” I replied. I have an unbroken record of missing the deeper meaning in any story, play or movie, and as for dance and mime, I have never had any idea of what is being conveyed.
“I love symbols!” Dr. Brock exclaimed, and he described with gusto the joys of weaving them through his work.
So the morning went, and it was a revelation to all of us. At the end Dr. Brock told me he was enormously interested in my answers—it had never occurred to him that writing could be hard. I told him I was just as interested in his answers—it had never occurred to me that writing could be easy. Maybe I should take up surgery on the side.
As for the students, anyone might think we left them bewildered. But in fact we gave them a broader glimpse of the writing process than if only one of us had talked. For there isn’t any “right” way to do such personal work. There are all kinds of writers and all kinds of methods, and any method that helps you to say what you want to say is the right method for you. Some people write by day, other by night. Some people need silence, other turn on the radio. Some write by hand, some by word processor, some by talking into a tape recorder. Some people write their first draft in one long burst and then revise; others can’t write the second paragraph until they have fiddled endlessly with the first.
But all of them are vulnerable and all of them are tense. They are driven by a compulsion to put some part of themselves on paper, and yet they don’t just write what comes naturally. They sit down to commit an act of literature, and the self who emerges on paper is far stiffer than the person who sat down to write. The problem is to find the real man or woman behind the tension.
Ultimately the product that any writer has to sell is not the subject being written about, but who he or she is. I often find myself reading with interest about a topic I never thought would interest me—some scientific quest, perhaps. What holds me is the enthusiasm of the writer for his field. How was he drawn into it? What emotional baggage did he bring along? How did it change his life? It’s not necessary to want to spend a year alone at Walden Pond to become involved with a writer who did.
This is the personal transaction that’s at the heart of good nonfiction writing. Out of it come two of the most important qualities that this book will go in search of: humanity and warmth. Good writing has an aliveness that keeps the reader reading from one paragraph to the next, and it’s not a question of gimmicks to “personalize” the author. It’s a question of using the English language in a way that will achieve the greatest clarity and strength.
Can such principles be taught? Maybe not. But most of them can be learned.


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翻訳の将来

最後に、翻訳の将来について、私の考えを述べさせていただきます。

翻訳の役割の変化

近代日本において、翻訳は西欧の事物を日本に移植するために必要不可欠なものでした。西欧で生まれた最新の技術や文化の情報を手に入れるには、翻訳を通じる以外に、方法はありませんでした。しかし、時代は大きく変わりました。いまでは、インターネットを通じて英語のあらゆる情報を、瞬時にして手に入れることができます。英語が読めれば、わざわざ翻訳を通じて情報を手に入れる必要はもうありません。

一言でいえば、日本社会において、翻訳の果たす役割が小さくなったということです。翻訳がまったく必要なくなったわけではありませんが、これまでのように社会にとって必要不可欠なものという位置づけではなくなったのです。

翻訳依存からの脱却

一人の日本人として、私はこのことをとても喜ばしいことだと思っています。翻訳者の私がいうのもおかしなことですが、そもそも、これまでの日本社会は翻訳に頼りすぎていました。そのためにレベルの低い翻訳書が巷にあふれ、それが日本人の思考を無用な混乱に陥れてきました。外山は「悪分をありがたがって読んでいるうちに日本の知識人の頭脳はかなり大きな損傷を受けたように思われる。原文忠実を信奉して精神は独創を忘れる。模倣をこととしていれば、自らの知的個性が確立することは難しい。翻訳とは知的独立にとって有害であることがわかる」と述べています 。まったくそのとおりです。

翻訳が社会にとって不可欠ではなくなった現在は、日本人がこれまでの翻訳への過剰依存から脱却する絶好のチャンスです。西欧の事物をただやみくもに輸入するという後進国的で未熟な翻訳のあり方を捨てて、日本人にとって本当に必要な情報のみを最良のかたちの日本語に翻訳するという先進国的で成熟した翻訳のあり方に変えていくべき時期がきたのです。

粗製濫造から高品質少量製造へ

そのためには、低レベルの翻訳を次々と作り出す現在の粗製濫造の翻訳体制を改めなければなりません。ビジネスとして「速い、安い」が必要なことはよくわかりますが、翻訳業界がそうした点に比重を置き過ぎると、自分で自分の首を絞めることにつながりかねません。長期的にみれば、たとえ少しコストが高くなっても、高品質なものを丁寧に製造していくほうが、翻訳業界全体にとっても有益であることは間違いありません。もちろん、それがビジネスとしてたいへんに難しいことは重々承知していますが、しかしその方向に舵を切らなければ、翻訳に明るい将来はないでしょう。

直訳から創作的翻訳へ

翻訳技法という観点からみれば、直訳、英文和訳という呪縛から解き放たれて創作的翻訳へと向わなければなりません。しかし実際のところ、創作的翻訳に到達することは、簡単なことではありません。創作的ではなく、単なる「でたらめ」に陥る可能性も大いにあります。

現実的には、まず英文和訳を抜け出し、確かな段階を踏みながら、最終的に自由闊達な創作的翻訳に行き着くようにするべきでしょう。本書では、その各段階のことを「つぼ」と呼び、それぞれに解説と演習問題をご提供してきたわけです。

これからの翻訳者に求められる能力

また、これからは翻訳者に求められる能力も、大きく変わるはずです。これまで翻訳者は一般に外国語の専門家だとみなされてきました。しかし現在では、翻訳者よりも外国語のできる人間は、各方面に数多くいます。もはや外国語の専門家という点だけで翻訳者の専門性を説明することはできない時代になったのです。

そのため、これからの翻訳者は外国語能力はもちろんのこと、それ以外にもさまざまな能力が求められることになるでしょう。では具体的に、どのような能力がこれからの翻訳者に求められるのでしょうか。

第1は、日本語の高度な知識と運用能力です。日本人の行う翻訳は、日本語と外国語とのあいだで行うのですから、日本語に精通していなければならないのは、当然のことです。しかし実際のところ、これまではそうではありませんでした。翻訳者で日本語の構造に精通している人間は、それほど多くありません。多くの翻訳者は、外国語に強い興味と関心を持っていても、日本語については、外国語と同じほどの強い興味と関心を持っていないのです。なかには、日本語は曖昧で非論理的な言語と、堂々と口にする翻訳者さえもいるほどです。そういった人たちは、その発言を曖昧で非論理的な日本語で行っていることをどう思っているのでしょうか。日本語は曖昧で非論理的な言語ではありません。明晰で論理的な言語です。曖昧で非論理的なのは日本語ではなく、そうした発言をする人たちです。

第2は、高度な専門知識です。実際のところ、翻訳者とは何かの領域の専門家のことです。経済の専門家であったり、法律の専門家であったり、医薬の専門家であったり、あるいは文学の専門家であったりします。専門知識を持たない翻訳者は、決してよい翻訳者にはなれません。専門知識も持たずに、外国語能力と翻訳技術だけで翻訳を行うケースも見られますが、無残な失敗作を生み出すだけのことです。こうした失敗作が、いまの世の中には満ち溢れています。

第3は、IT技術力です。翻訳作業においてインターネットでの情報収集はすでに必要不可欠になっています。さまざまな先進ITテクノロジーをうまく使いこなせなければ、これからは翻訳者としてよい仕事はできないでしょう。
これまでの延長線上で考えると、翻訳の将来はあまり明るくないようにもみえます。これから英語ができる日本人がもっと増えてくるでしょうし、そうなると翻訳の必要性はますます小さくなっていくとも思われがちです。

しかし英語ができる日本人が増えれば増えるほど、質の高い本物の翻訳に対するニーズは逆に増えてくると、私は確信しています。いくら英語ができようとも、日本人にはよい日本語が絶対に必要だということが、多くの日本人にわかってくるからです。私自身、英語がある程度できるようになればなるほど、日本語の大切さをますます感じるようになりました。日本語とは、日本人の心そのものだからです。

その大切な日本語を守り育てていくのが、私たち翻訳者としての務めです。そのためには、レベルの低い英文和訳もどきの日本語を作るのではなく、明晰で美しい日本語を作っていかなければなりません。たいへんなことですが、しかし、やりがいのある仕事です。皆さんにも、この翻訳という魅力的で大切な仕事にぜひ携わっていただきたいと願っています。


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あとがき

この本は、私が講師をしているサイマル・アカデミー産業翻訳講座の講義内容をまとめたものです。あるご縁から講座の講師を引き受けさせていただいたのですが、これまでを振り返ってみますと、受講生の方々の優秀さと熱心さに引っ張られてなんとかやってこれたというのが実感です。この本も、受講生の皆さんのおかげでつくらせていただいたといってよいでしょう。サイマル・アカデミー産業翻訳講座のこれまでのすべての受講生の皆さんに心より御礼を申し上げます。またサイマルアカデミーの翻訳講座担当者の方々の多大なご協力にも心より御礼を申し上げます。

できるかぎり翻訳の全体像をカバーしようと努めましたが、私の翻訳者としての仕事範囲が経済ビジネス分野に限られているために、内容もそうした方面に偏ってしまいました。その意味で内容的に読みづらい点もあろうかと思います。ご容赦ください。

「はじめに」に書きましたように、翻訳は奥の深い仕事です。また息の長い仕事でもあります。あせることなく一歩ずつ前に進んでいくことが大切かと思います。本書がそうした歩みを少しでもお手伝いできるのであれば、とても嬉しく思います。

成瀬由紀雄


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参考文献

言語一般
レトリック感覚 佐藤信夫 講談社学術文庫
レトリック認識 佐藤信夫 講談社学術文庫
日本語と外国語 鈴木孝夫 岩波新書
ことばと国家 田中克彦 岩波新書
言語学とは何か 田中克彦 岩波新書
チョムスキー 田中克彦 岩波現代文庫
世界の言語と日本語 角田太作 くろしお出版
認知言語学の発展 坂原茂 ひつじ書房
認知言語学 大堀壽夫 東京大学出版会
屋根の上のバイリンガル 沼野充義 白水Uブックス
「する」と「なる」の言語学 池上嘉彦 大修館書店
脳からみた心 山鳥重 NHKブックス
外国語の水曜日 黒田龍之助 現代書館
記憶力を強くする 池谷裕二 講談社ブルーバックス
単純な能、複雑な「私」 池谷裕二 朝日出版社

英語
<英文法>を考える 池上嘉彦 ちくま学芸文庫
英語の発想 安西徹雄 ちくま学芸文庫
英文法を知ってますか 渡部昇一 文春新書
講談英語の歴史 渡部昇一 PHP新書
英文法を撫でる 渡部昇一 PHP新書
アングロサクソンと日本人 渡部昇一 新潮新書
スタンダード英語講座(1)英文の翻訳 別宮貞徳 大修館書店
スタンダード英語講座(2)日本文の翻訳 サイデンステッカー 大修館書店
スタンダード英語講座(3)英語の歴史 渡部昇一 大修館書店
英文法総覧 安井稔 開拓社
学校英語よ、さようなら 辻谷真一郎 文芸社
現代英語文法 グリーンバウム、他 紀伊国屋書店
英語の本質-ヨーロッパ語としての考え方 鈴木寛次 郁文社
チャンク英文法 田中茂範 コスモピア
Style–Toward Clarity and Grace Joseph M. Williams シカゴ大学出版局
On Writing Well William Zinsser Harper Resource
Elements of Style William Strunk Longman Pub
The Careful Writer Theodore Bernstein The Free Press
The History of The English Language Albert Baugh Routledge
The Complete Plain Words Ernest Gowers David R. Godine
Oxford Guide to Plain English Martin Cutts Oxfort University Press
Effective Business Writing Maryann Piotrowski Harper Resource
The Art of Styling Sentences Ann Lngknife Barrons
Painless Writing Jeffrey Strausser Barrons
Introduction to Academic Writing Alice Oshima et. Al Pearson/Longman
Writing Academic Writing Alice Oshima et. Al Pearson/Longman
American Accent Training Ann Cook Barrons
「英語の書き方」がわかる本 三浦順治 創拓社出版
英文法の疑問 大津由紀雄 NHK出版
英文法をこわす 大西泰斗 NHK出版
ネイティブスピーカーの英文法 大西泰斗/Macvay 研究社
ネイティブスピーカーの前置詞 大西泰斗/Macvay 研究社
ネイティブスピーカーの英語感覚 大西泰斗/Macvay 研究社
ネイティブスピーカーの単語力1 大西泰斗/Macvay 研究社
ネイティブスピーカーの単語力2 大西泰斗/Macvay 研究社
ネイティブスピーカーの単語力3 大西泰斗/Macvay 研究社
ネイティブスピーカーの英文法絶対基礎力 大西泰斗/Macvay 研究社
ネイティブスピーカーの英会話 大西泰斗/Macvay 研究社
ハートで感じる英文法 大西泰斗/Macvay NHK出版
ハートで感じる英文法 会話編 大西泰斗/Macvay NHK出版
日本人の英語 マーク・ピーターセン 岩波新書
英語はいらない? 鈴木孝夫 PHP新書
英文解釈教室 伊藤和夫 研究社

日本語
はじめての日本語文法 野田尚史 くろしお出版
日本語の論理 外山滋比古 中公文庫
日本語は進化する 加賀野井秀一 NHKブックス
日本語の特質 金田一春彦 NHKブックス
日本語をどう書くか 柳父 章 法政大学出版局
文章読本さん江 斎藤美奈子 筑摩書房
日本語の変遷 金田一京介 講談社学術文庫
日本語の歴史 山口明穂、他 東京大学出版会
日本語の歴史 坂梨隆三、他 放送大学
日本語はいかにしてつくられたか? 小池清治 ちくま学芸文庫
現代日本語文法入門 小池清治 ちくま学芸文庫
日本語はどんな言語か 小池清治 ちくま学芸文庫
漢字と日本人 高島俊男 文春新書
日本語基礎講座―三上文法入門 山崎紀美子 ちくま学芸文庫
日本語は生き残れるか 井上史雄 PHP新書
日本語のこころ 渡部昇一 ワック出版
文章読本 谷崎潤一郎 中公文庫
文章読本 三島由紀夫 中公文庫
文章読本 中村光夫 新潮文庫
文章読本 井上ひさし 新潮文庫
日本語の作文技術 本多勝一 朝日文庫
日本語の論理 山口明穂 大修館書店
国語の論理―古代語から近代語へ 山口明穂 東京大学出版会
日本語を考える 山口明穂 東京大学出版会
漢語と日本人 鈴木修次 みすず書房
新しい日本語学入門 庵功雄 スリーエーネットワーク
基礎日本語文法 益岡隆志、他 くろしお出版
24週日本語文法ツアー 益岡隆志 くろしお出版
国語学原論 時枝誠記 岩波書店
現代語法序説-シンタクスの試み 三上章 くろしお出版
象は鼻が長い-日本文法入門 三上章 くろしお出版
日本語の文法(1)文の骨格 仁田義雄、他 岩波書店
日本語の文法(2)時・否定と取り立て 金水敏、他 岩波書店
日本語の文法(3)モダリティ 森山卓郎、他 岩波書店
日本語の文法(4)複文と談話 野田尚史、他 岩波書店
日本語のシンタクスと意味1,2,3 寺村秀夫 くろしお出版
日本語に主語はいらない 金谷武洋 講談社選書メチエ
英語にも主語はなかった 金谷武洋 講談社選書メチエ
日本語文法の謎を解く 金谷武洋 ちくま新書
論文の書き方 清水幾太郎 岩波新書
言葉の海へ 高田宏 岩波書店
翻訳と日本の近代 丸山真男、加藤周一 岩波新書
近代語の成立 語彙編 森岡健二 明治書院
近代語の成立 文体編 森岡健二 明治書院
欧文訓読の研究 欧文脈の形成 森岡健二 明治書院
日本語概説 渡辺実 岩波書店
日本語史要説 渡辺実 岩波書店
なんのための日本語 加藤英俊 中公新書
閉ざされた言語・日本語の世界 鈴木孝夫 新潮新書
<日本美術>の誕生 佐藤道信 講談社選書メチエ
日本の文章 外山滋比古 講談社学術文庫
数学用語と記号ものがたり 片野善一郎 裳華房
私の日本語雑記 中井久夫 岩波書店

翻訳論
翻訳を学ぶ 別宮貞徳 八潮出版社
翻訳読本 別宮貞徳 講談社新書
翻訳の初歩 別宮貞徳 The Jpana Times
誤訳迷訳欠陥翻訳 別宮貞徳 文芸春秋
誤訳迷訳欠陥翻訳 続 別宮貞徳 文芸春秋
こんな翻訳読みたくない 別宮貞徳 文芸春秋
こんな翻訳に誰がした 別宮貞徳 文芸春秋
翻訳語の論理 柳父 章 法政大学出版局
翻訳とはなにか 柳父 章 法政大学出版局
翻訳語を読む 柳父 章 光芒社
日本語の思想 柳父 章 法政大学出版局
翻訳文化を考える 柳父 章 法政大学出版局
秘の思想 柳父 章 法政大学出版局
翻訳語成立事情 柳父 章 岩波新書
江戸の翻訳家たち 杉本つとむ 早稲田大学出版部
杉本つとむ著作選集(2) 杉本つとむ 八坂書房
杉本つとむ著作選集(4) 杉本つとむ 八坂書房
日本近代思想体系 翻訳の思想 加藤周一、他 岩波書店
日本近代思想体系 文体 加藤周一、他 岩波書店
翻訳入門 辻谷真一郎 NOVA
翻訳語としての日本の法律用語 古田裕清 中央大学出版部
Introducing Translation Studies Jeremy Munday Routledge
In Other Words Mona Baker Routledge

その他
入門!論理学 野矢茂樹 中公新書
論理学 野矢茂樹 東京大学出版会
論理トレーニング 野矢茂樹 産業図書
論理トレーニング101題 野矢茂樹 産業図書




































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