成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

英語の名詞認識、動詞認識

2011年10月8日


英語の名詞認識の三層構造

英語の名詞認識は三層構造をしている。「特定/不特定、可算/不可算、単数/複数」の三層である。この英語の名詞認識における三層構造について以下詳しくみていきたい。

第一層「特定/不特定」

英語の名詞における第一層の認識は「特定/不特定」という区分である。言葉の送り手(話し手/書き手)からみてその名詞を特定できるものとして認識しているか、あるいは特定できないものとして認識しているかという区分である。特定できると認識した場合にはtheを使って表現する。このtheを敢えて日本語に訳すと「あの例の…」といったところである。名詞を特定できないものと認識した場合は、theは用いない。

たとえばここにI like reading the book.というセンテンスがあるとする。the bookとあるからには、この書き手は「あの例の」本のことをすでに知っており、特定できる。ただし、これだけでは読み手のほうが「あの例の」本を特定できるかどうかはわからない。文脈のなかで「あの例の」本についてすでに述べられているとすれば読み手にもその本は特定できるので、このセンテンスに問題はない。しかしただ唐突にこのセンテンスが出てきたのだとすると、突然「あの例の本」といわれるわけだから読み手としては困ってしまう 。

ここからわかることは、I like reading the book.というセンテンスそのものが「正しい」「正しくない」といった議論には意味がないということである。重要なことは書き手がtheに伴う特定/不特定の感覚を正しく認識したうえで、このセンテンスを書いているかどうかにかかっている。

第二層「可算/不可算」

第二層の認識は「可算/不可算」という区分である。これについてはマーク・ピーターセンの『日本人の英語』にI ate a chicken in the back yard.とI ate chicken in the backyard.との対比という有名な例があるので、それを利用する。

I ate a chicken in the backyard.というセンテンスでは書き手は「鶏」を数えられるもの(可算)として認識している。すなわち「一羽の鶏を裏庭で食べた。」である。もしこのIがキツネだとすると、そのキツネが裏庭にいた一羽の鶏をむしゃむしゃ食べたという状況をイメージできる。このIが人間だとするとかなりグロテスクにも思えるが、ではa chickenのかわりにa fishだとどうだろうか。少なくとも日本人にとっては違和感がない。

いっぽうI ate chicken in the backyard.というセンテンスでは書き手は「鶏」を数えられないもの(不可算)として認識している。すなわち「鶏肉を裏庭で食べた。」である。バーベキューでもしたのだろう。こうした不可算の認識を敢えて日本語に置き換えるとすると「~というもの」という表現を使えばよいだろう。すなわちa chickenは「一羽の鶏」であり、chickenは「鶏というもの」である。

ここでもポイントとなるのはセンテンスが「正しい」「正しくない」ではなく、書き手が「可算/不可算」を正しく認識したうえでこのセンテンスを書いているかどうかである。もしバーベキューで鶏肉を食べたのにI ate a chicken in the backyard.と書いたのだとすれば、これは間違いである。一方、本当に手づかみで生きた鶏をむしゃむしゃと食べたのにI ate chicken in the backyard.と書いたのであれば、それも間違いである。

第三層「単数・複数」

「特定/不特定」「可算/不可算」という順番に名詞の認識をおこなったのち、書き手がその名詞を「可算」と認識している場合には、第3スの認識として「単数・複数」の区別をする。「不可算」と認識している場合には単複の区別はしない。というよりも区別ができない。

単数/複数の区別はおなじみだろうが、用法から考えてしまうと実際の区別に迷うことが多い。しかし用法ではなく認識という観点から考えるのであれば、書き手が1つと認識しているときにはaをつけて、2つ以上だと認識しているときには複数形にすればよいだけの話である。あまりナーバスになる必要はない。

ここまでの話を図にまとめると以下のようになる。例としては「にわとり」を使いたい。





単層しか持たない日本語の名詞の認識構造では「にわとり」はつねに「にわとり」という単一のかたちであるが、三層構造になっている英語の名詞認識構造をとおすと、the chickens, the chicken, chickens, a chicken, chichenの5つのかたちに分化するということがここからわかる 。

別の例として「デザイン」を挙げておく。




たとえば「特定」「可算」「複数」のthe designsは書き手(話し手)と読み手(書き手)がすでに知っている具体的な複数の設計図や図案、つまり「あの例のいくつかの設計図や図案」を示している。「不特定」「不可算」のdesignは「そもそもデザインというもの」という抽象的な概念である。日本語の「デザイン」という語はどちらかといえば抽象的なイメージであるが、英語ではそれだけではなく具体的な設計図や図案のことを指す場合がよくある。

これらとは別に、英語名詞のなかには「純粋不可算名詞」「純粋可算名詞」と呼ばれるものがある。たとえば「純粋不可算名詞」で有名なものにはinformation, equipment, knowledge, furniture, evidence, adviceなどが挙げられる。これらの語には可算のかたちがない。よってかたちはinformationとthe informationの2つだけである。





いっぽう「純粋可算名詞」としてはtube, cup, machineなどが挙げられる。これらの語には不可算のかたちがない。





純粋不可算名詞、純粋可算名詞のような例外はあるにしても、英語名詞の大多数は5つのかたちを持つことができるのである。

英語の動詞認識の三層構造

英語では動詞の認識構造も以下の3層の認識基準を持っている。

第一層 Aspect(アスペクト、相)
第二層 Tense(テンス、時制)
第三層 Mood(ムード、法/叙法)

第一層 Aspect

Aspect(アスペクト、相)は「コト」(出来事)のさまざまな状態(完了・未完了、進行、起動など)をあらわす文法概念である。英語は「完了・非完了」「進行・非進行」の2つのコトの状況を複合動詞(「完了」をhave+過去分詞、「進行」をbe+現在分詞)のかたちで表現している 。ちなみにフランス語やドイツ語には進行相という文法形式はない 。日本語では完了相は「た」という助動詞、進行相は「~ている」という複合動詞のかたちで表現するのが一般的である。

第二層 Tense

英語にはTense(テンス、時制)と呼ばれる動詞変化がある。英語を説明する前にまず標準的印欧語の代表としてラテン語の動詞の変化のあり方をみてみると、ラテン語の動詞の時制(tempus)は、現在時制(praesens)、完了時制(perfectum)、未完了時制(imperfectum)、過去完了時制(plusquamperfectum)、未来時制(futurum)、前未来時制(futurum praeteritum)の6つであり、この6つがそれぞれに異なるかたちをもっている 。

英語はそのTenseのかたちの数を減らしてしまった印欧言語である。動詞のかたちの違いは規則動詞で4つだけ(例:talk, talks, talked, talking)、不規則動詞で5つだけ(例:take, takes, took, taken, taking)になった。動詞形を減らしたかわりに英語ではTenseを表現するために動詞を組み合わせて用いることにした(複合動詞化)。具体的には完了形というかたちをやめたかわりに「have(be)+過去分詞形」というかたちを、未来形というかたちをやめたかわりに「will(shall)+原形」というかたちを採用している。ラテン語にあてはめると以下のとおりになる 。

 完了時制(perfectum)→ have(be)+過去分詞(いわゆる「完了用法」)
 未完了時制(imperfectum)→ have(be)+過去分詞(いわゆる「継続用法」)
 過去完了時制(plusquamperfectum)→ had(was/were)+過去分詞
 未来時制(futurum)→ will(shall)+原形
 前未来時制(futurum praeteritum)→will have+過去分詞(英語では「未来完了」)

Tenseは印欧諸語では共通だが、それ以外の言語ではそうではない。たとえば中国語にTenseという概念はない。インドネシア語にもTenseの概念はない。日本語もTenseがないと考えることができる 。

第三層 Mood

英語(を含む印欧諸語)は、現実の出来事と、現実には起こっていないが心の中で想定している出来事とを明確に区別する言語である。これを文法用語でmood(法、叙法)と呼ぶ。現実に起こった出来事を表現するかたちをindicative mood(英語では「直説法」または「叙実法」)といい、心の中だけで想定している出来事を表現するかたちをsubjunctive mood(英語では「仮定法」または「叙想法」)という 。

ただここで注意しなければならないのは、ドイツ語やフランス語といった他の印欧語族とはちがって英語はMoodをすでに大幅に失ってしまっている言語だということである。ドイツ語やフランス語をみるとIndicative moodとSubjunctive moodとでは動詞活用のかたちそのものが違っている。Indicative moodにはIndicative moodの、Subjunctive moodにはSubjunctive moodの動詞活用形が存在する。ところが英語ではこのような動詞活用形の違いはもはや存在しない 。したがってかたちのうえだけではIndicative moodとSubjunctive moodの区別がつけられないのである。このことは客観的な出来事と心理的な出来事とを区別するという印欧語的な世界認識を現代英語が弱めてしまっていることを示唆する。

だからといって現代英語がMood(法、叙法)という印欧語族としての世界認識のあり方を完全に失ってしまったわけではない。たしかにSubjunctive moodの動詞活用のかたちは失ってはいるが、かわりに現代英語ではTenseをずらすことによってSubjunctive moodの非現実性を表現する。現在形を過去形にすることで、あるいは過去形を過去完了形にすることで、その出来事が現実ではなく想定にすぎないことを示すのである。以下、数例を挙げておく

I wish I knew her name.(彼女の名前がわかればいいのに)
Would you rather I didn’t talk? (あたしに黙っていてほしい?)
I’m afraid it is time I was going.(そろそろおいとまするべき時刻ね)
(安藤貞雄 『現代英文法講義』 p.374)

では具体的に英語のネイティブは動詞のこの3つの認識をどのようにして処理しているのだろうか。ここではI ate a chicken in the backyardというセンテンスのeatという動詞を例として考えてみたい。

まずAspectを認識する。食べるというその「コト」が進行中かそうでないのか、完了しているのかそうでないのか、である。もし進行中であれば進行形(is/are eating)にする。完了しているのであれば完了形にする(has/have eaten)、完了しつつ進行しているのであれば完了進行形にする(has/have been eating)。完了も進行もしていないのであれば、なにもしない(eat(s))。

つぎにTenseを認識する。過去のことと認識すれば過去形にする(was/were eating, had eaten, had been eating, ate)。未来のことと認識すれば未来形にする(will be eating, will have eaten, will have been eating, will eat)。

最後にMoodを認識する。現実のことであればなにもしない。現実ではなく想定上のことであればTenseをひとつ過去にずらす。

以上の話を図にまとめると、以下のようになる。





名詞認識の場合と同様に、英語の動詞認識においてもポイントとなるのはセンテンスのかたちが「正しい」「正しくない」ということではなく、書き手がこれらの動詞認識を正しく認識したうえで使っているかどうかである。たとえ進行形や完了形といったかたちとして正しくとも、それが書き手/話し手の意図とは異なるように用いられているのであれば、それは間違いなのである。

上にみたように英語では名詞認識で三層、動詞認識で三層、合計六層もの認識活動をしなければならない。私たち日本人英語学習者が第一におこなうべきは、上記の名詞認識、動詞認識のあり方をまずしっかりと頭で理解することである。英語のネイティブはそれらを無意識のうちに身につけているが、私たちのような「外国人」はそうはいかない。まず意識的に理解することが不可欠であり、そのうえで、この合計六層の名詞・動詞認識を無意識のうちにできるようになるまで地道にトレーニングを積むことである。具体的には、スピーキングトレーニングよりもライティングトレーニングのほうがよいだろう。スピーキングではこれらの認識を正しく行わなくとも深刻なトラブルはあまり生じないが、ライティングではそうはいかないからである。必然的にこれらの世界認識に対する注意力が増すはずである。

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