成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

言葉オンチ

2011年9月14日

数十年も経済・財務・金融分野の翻訳業に携わってきているが、いつも思うのは、これらの分野に携わっている人々の言語感覚はきわめて異常だということだ。

たとえば経済学に「限界効用」という語がある。「限界効用」。なんのことやらさっぱりわからない。こんな日本語を使えるという言語感覚はそもそも普通ではない。これはmarginal utilityの訳語だが、なぜmarginalを「限界」と訳したのかが理解できない。marginalの原意は「周辺的」で、そこから「余白、マージン」といった訳語が生まれてくる。「限界」という訳語もあるにはあるが、しかし「限界」を英語でいうならばlimitであってmarginalではない。

そもそもmarginalを「限界」と訳すとmargin(利ざや、マージン)との整合性がとれなくなる。そこを考慮せずにmarginal utilityを「限界効用」と訳し(明治期に訳されたと思われる)、さらに驚くべきは、その後もその訳語をずっと使い続けているのである。よい訳語が思いつかないならば「マージナルユーティリティ」とすればよい。経済学では「マクロ経済学」「ミクロ経済学」という奇妙なカタカナ入り日本語が堂々と使われているのだから「マージナルユーティリティ」でちっともおかしくない。

金融分野では「期待値」という語がある。expected valueの翻訳語で、将来に生み出されると予想されるキャッシュのことだ。だが、この語は損をしたときにも用いられる。ゆえに「今回の期待値は10億円の欠損である」という日本語が金融の世界では実際に使われている。彼らは損についても「期待」するのである。

これはexpectを「期待」と訳したことによる誤りである。expectの原意はex(外を)pect(見る)であって、今後を見通すことだ。もしその見通しが明らかによければ「期待」してもよいが、そうでなければ単なる「予想」である。ここでは明らかに「期待値」ではなく「予想値」のほうが訳語としてふさわしい。だが金融関係者はいまも「期待値」という語を用い、そして「今回の期待値は10億円のマイナスである」という日本語を使い続けている。

財務分野で大きな問題となる語は「公正価値」である。fair valueの翻訳語だが、財務関係者が英和辞書のfairの最初の訳語が「公正な」なので「公正価値」と訳したと推測される。これは誤訳に近い。fairという語に「公的、正しい」という確定的なニュアンスはないからである。fairの原意は「特に欠点はない」である。規則に反しておらず基準もクリアし、それなりのクオリティを保っていること、それがfairな状態である。アメリカの大学の成績は良いほうからexcellent, good, fair, failとなっている。日本でいえば「優、良、可、不可」にあたる。つまりfairとは「可」である。そして財務におけるfair valueのfairには、このイメージがぴったりだ。素晴らしいわけではないが特に文句のない、いちおう合格点である価格基準がfair valueである。

ところがfair valueを「公正価値」と仰々しく訳してしまったせいで、fair valueという語の格が大きく上がってしまった。「可」でなく「優」になってしまったのだ。その結果、いまでは財務関係者の多くがfair value=「公正価値」をどこか優れたものとみなしている。間違った翻訳のせいで実際の認識に大きなゆがみが生じているのである。

ようするに経済関係者も金融関係者も財務関係者もみんな「言葉オンチ」なのである。言葉に対する感受性がきわめて低い。なぜこれほどまでに低いのだろうか。もともとなのか、それとも経済や財務や金融を勉強すると言葉の感受性が失われるのだろうか。

いずれにしろ、言葉とともにずっと生きてきた私の独断と偏見をもっていわせていただければ、言葉に対する感受性が低ければ、人間に対する感受性も低い。そうした人間たちが、経済や財務や金融の専門家としていまの日本の社会を動かしているのだとすれば、これはかなりの問題だと思いませんか?

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