成瀬由紀夫コラム ことのは道中記

「輸入」学問から「輸出」学問へ

2011年10月21日

今日(2011.10.21)の日経新聞の夕刊の「人間発見」というコラムで、経済学者で東京大学教授の植田和男が以下のような発言をしている。どぎつい言い方をさせてもらうなら、その要旨は、日本の経済学は欧米の受け売り学問であって日本独自の理論をつくって世界に貢献できるケースでさえも欧米理論を鵜呑みにしてみずからの頭では考えようとしてこなかったということである。繰り返すが、どぎつい言い方をすれば、のことである。

いずれにしろ、植田の発言をきいてみよう。(以下引用)

「日本の経済学は欧米の経済学の輸入で始まった不幸な歴史を持っています。日本の現実を踏まえない議論が交わされがちです。

例えば日銀が非伝統的政策をやり始めたときに、マネーをたくさん出せばデフレが止まるということを言った人が多かった。物価はマネーの量と比例するとの、貨幣数量説という学説をそのまま当てはめたものでした。

しかしよく考えてみると、金利の低下余地が小さくなってくれば、そう簡単でないことがわかります。「マネーを増やす→金利が下がる→支出を刺激する→デフレ防止効果が出る」という関係が成り立ちにくくなるのです。

日銀は時間軸政策で長めの金利まで押し下げてきましたから、長期金利も含めてそう下げ余地はないところまで来た。とすれば、金融政策に対して大きな景気刺激策効果は一段と期待しにくくなります。金利がゼロ近辺に下がり、政策の発動余地が狭くなるという事態にいち早く直面した日本の現実。それを踏まえた議論がもっと交わされるべきでした。

若い人たちには経済の現場にもっと接して、現実的な議論をするよう促したいですね。ただ政策運営に携わろうとするあまり、発言内容が政治的になってはいけません。(略)

米国では今になって「金融政策は米経済が直面する問題に対する万能薬ではない」(バーナンキ連邦準備理事会(FRB)議長)といった声が出ています。過去10年間の日本の経験を見れば、予想できたはずのことです。米国でゼロ金利が現実化したのはここ2、3年なので、教科書にそのあたりの話が書き込まれていないのです。本来は日本人が自国の経験を「輸出」し、経済学の教科書に反映させる必要があったはずなのです。世界に対して日本の経験を伝えていく役割を、次世代に期待しています。

海外にもどんどん出ていって、下手な英語でもいいから積極的にモノを言ってほしい。ささやかな試みではありますが、毎年、ゼミの学生と海外でおちあって研修旅行をするのも、その気持ちの表れです。今年は10月中旬、英国ロンドンの金融街シティを訪れました。学生が面会する相手との日程調整などで結構疲れますが。」
(2011.10.21日経新聞夕刊)(引用おわり)

コメント内容は前半部と後半部に分かれる。前半部では、マネーサプライ理論を鵜呑みにした日本の多くの経済学者たちが、日本で生じた新たな経済状況を正しく把握できなかったと論じ、そして「日本の現実を踏まえた議論がもっと交わされるべきでした」と結論する。

この前半部の論でもうひとつ注目すべき点はマネーサプライ理論が「マネーを増やす→金利が下がる→支出を刺激する→デフレ防止効果が出る」という演繹的な思考を基盤にしているという点である。こうした演繹的論理展開は「風が吹けば桶屋が儲かる」というまやかしと紙一重であるという健全な直観が日本人には根づいているのだが、そうした健全な直観を経済学者たちは失ってしまった。盲目的な西欧学問受容に骨の髄まで毒されてしまったのである。

後半部は、日本独自の理論を確立すべきだという前半部の論を受けたうえで、日本人は日本人独自の論を携えて世界にもっと出ていくべきだという論が展開されている。そしてそれには下手でもよいから英語でどんどん発言していくべきであると提言している。

以上が植田の日本の経済学に対するコメントなのだが、この「経済学」という語を「英語教育学」に置き換えると、そのまま私のコメントになる。ようするに日本の学問が抱える問題点はその根をたどればいずこも同じ、すなわち欧米学問の受け売りだという点にあるのだ。そしてこの輸入学問の悪弊をなんとしても断ち切り、逆に輸出学問へと変えていかなければ、日本人の知的活動に明るい未来はみえてこないというのが、私の長年の考えである。

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